1-7 魔導学院Ⅱ
窓から差し込む朝日を受けて太陽の意識は浮上する。
窓から覗く朝日で一瞬、世界が真っ白に塗りつぶされる。
朝は苦手だ。燦々と輝く太陽は好きなのだが、睡眠状態から覚醒するのは億劫なもので、どうしても身体は睡眠欲求を満たそうと覚醒することを拒む。
鼻先を擽る柔らかい感触。
ああ、昨日抱いて寝た白猫の毛が鼻先にあたっているのだろう、と自己完結してその柔らかな毛先に触れる。
そのまま毛先に指を通して柔らかな毛を伝い身体へと手を伸ばす。
指先が身体に触れる。
―ん!?
固い……?
猫の身体というものはもっと柔らかいものではなかったか、と浮かんだ疑問符を確認すべく太陽は目を瞬かせながら覚醒する。
次の瞬間、太陽は思った。
ああ、俺寝ぼけているな、と。
目を開けると目の前にフェリスの顔があった。
太陽の鼻先を擽っていたのはフェリスの銀髪らしかった。
状況が理解できない。太陽の心は揺れに揺れていた。
この状況で言い逃れはできない。
記憶はないが責任をとらなくてはならない。
軽い錯乱状態の太陽が取り敢えずフェリスとの間に距離を取ろうと身体を起こした。すると覆いかぶさるような形でフェリスが降ってきた。どうやら太陽が起き上がるタイミングとフェリスが寝返りをうつタイミングが重なったらしかった。
ああ、これはより事態を悪化させてしまったと太陽は肩を落とす。
傍から見た状況は完全に事後である。加えて先に起きているということが太陽をさらに追い詰めていた。
せめてフェリスが先に目を覚ましていてくれたら、と嘆息する。
「んっ……んぅぅん……」
あっ、俺終わったな……。
目を覚ましたフェリスはまだ眠たそうに眼をこすりながらはだけたネグリジェを気怠そうに正すと潤んだ瞳を太陽に向ける。
ここで悲鳴の一つでもあげられてしまえば俺は女の子を襲った変態という扱いを受けるのだろう。変態で済めばいいが、最悪の場合犯罪者として捕まるかもしれないと一人覚悟を決めていると、
「おはようございます。太陽さん」と、寝起きのためか妙に柔らかい雰囲気のフェリスが挨拶をする。
太陽も一言「おはよう」と返すと、フェリスは「私も覚悟していましたのに、襲わなかったようですね」と今度は打って変わって妖艶な笑みを浮かべる。
「成程、つまりはお遊び、冗談だったというわけだな」
「まあ、そんなところです」
フェリスの気紛れな遊びで寿命が数年縮まった思いの太陽はため息をついた。
視界の端に映るフェリスが呟く。
「意気地なし」
しかしその声が太陽の耳に届くことはなかった。
*
神崎徹は人目を憚らず大口を開けて欠伸を繰り返し、寝癖を弄りながら大食堂へと続く廊下を歩いていた。
神崎がいるのは魔導学院から上空に伸びる軌道エレベーターの終着点―魔導学院第一分校、通称高天原である。
高天原には神崎を含め、十傑のメンバーが三人在籍している。
政府機関の中で最も戦力が整っているのが高天原である。
神崎はその高天原において№2の実力者である。
高天原も一応は学び舎としての体裁を保つために委員会などの活動も行われている。
とはいえ、普通の学校ではないのだから委員会に求められる役割も普通の学校とは異なる。
高天原を含む魔導学院および分校での活動は国益に直結している。
神崎はそうした中で委員会副会長を務めていた。
高天原の生徒の活動を統括する運営組織、それが委員会である。
すなわち、高天原で生まれる国益の管理者という立場にある。
本来ならば、神崎のような人間―反乱を画策した不穏分子には回ってくるはずのない役職ではあるが、それはあくまで普通の場合である。
十傑という肩書は一度や二度の政府批判ごときでは微動だにしないほどに強固なものであった。
しかしながら念を押す形で政府は神崎を十傑序列第一位のいる魔導学院からすぐの高天原へ編入という形で移し、高天原の委員会会長として序列第五位を配置した。
監視されていることを除けば快適な暮らしが約束されている。
しかし神崎は自分だけが平穏な生活を送ることを望んではいなかった。
異能力者の立場向上、冷遇、差別からの脱却を望んだ。
そのためには神々と敵対することをも厭わなかった。
そしてそれは今も変わらぬまま神崎を突き動かしていた。
「まだ運は尽きたままか……」
神崎の呟きに声が投げかけられる。
「当たり前ですね、何時だと思っているのです?」
「朝だろ?」
「あなたの中では、でしょ。今はお昼ですよ。ランチタイムもとうの昔に終わっています」
今日もまた食べ損ねた。
朝食気分で空腹を訴えるお腹に手を当てさすってはみるが空腹は満たされない。
それよりも、
「友達でもないのに俺の独り言に割り込んでこないでもらえるかな? 山吹さん」
山吹と呼ばれた女は呆れたように話す。
「あなたに自由はありません。我々に下っている任務はあなたの監視です。常に我々があなたを監視しているということをお忘れなく」
そう言い放つ山吹の瞳は神崎の存在を認めないというようにただただ冷やかなものだった。
「相変わらずしつこいですね。山吹会長」
この女は大きな勘違いをしている。十傑の序列はあくまで国の戦力としての貢献度、戦術的価値を数値化して比べた暫定的な強さに過ぎない。
神崎は不敵な笑みを浮かべる。
「教えてあげますよ、格の違いを」
神崎の醸し出す不穏なオーラを感じた山吹が神崎に尋ねる。
「何か言われましたか?」
神崎は一瞬のうちに考えをめぐらした。機は熟したのか、と。
十傑二人とことを構えるとなるとかなり厳しい。
貴様の運は尽きた。かつて反旗を翻した自分を捕らえた元十傑の女に言われた言葉が頭の中で反芻する。
「まさかとは思いますが再び同じ過ちを繰り返すおつもりですか?」
神崎は沈黙を返す。
「無駄な事です。あなたの運はすでに尽きています。諦めてはいかがです?」
諦める……。
「無理だな―」
次の瞬間、高天原には轟音がこだました。
*
陽が高いうちに各施設を見ておきたいという太陽の要望に応える形でフェリスは魔導学院に併設している超高層ビルを案内することにした。
併設する六つのビルはそれぞれ六つの分校での研究成果を統括するメインバンクのような役割を果たしている。
つまり、魔導学院に併設する六つのビルには日本国が所有する異世界に関する情報、技術が集約されている。
それ故に他国からの干渉を受け続けてきた。
そのたびに十傑の中からすぐに動けるものを選出し対応にあたらせていた。
選出されるのは手が空いている者ではなく手の空いていない者、というのが通例となっていた。
正確に言うと、手の空いている者は任務の遂行という点において不安を残す者しかいない。
序列三位は戦うことにしか興味のない脳筋の人格破綻者、序列四位は長期任務にてここ数年不在、序列五位は監視任務のため持ち場を離れることができず、序列六位は危険分子、序列七位は子供、序列八位は五位同様監視任務に就いている、序列十位は玄武館に籠りきり。空席となっている序列二位を除く九人中七人が動くことができない(動かない)。実質二人で防衛任務をこなしていた。
そんな中訪れた学院案内という名の休暇を目一杯楽しもうと、フェリスはテンションを通常の状態から一段階引き上げていた。
「今日はなんかテンション高いね」
やはりそのように見えるのか、と改めて自覚すると色々と気恥ずかしい。
話題のすり替えを狙い頭に浮かんだことを口にする。
「もうお昼ですね」
「ああ、そうだね。お腹空いた?」
女性に対してあまりにも直球にものを言い過ぎな気もするが、その点には目を瞑る。
「ええ、少し」
「昨日案内してもらった食堂って今日もやってるの?」
「いえ、学院の学生食堂のほうは新学期までの間休みです」
「そうか、だから昨日も人がいなかったんだね。というより、学院に人っ子一人いないよね」
「そうですね。今は夏休み期間ですからわざわざ学院に来る生徒はいません。職員なら来ているとは思いますが」
太陽は疑問が生じる。
「でも、帰還者をはじめとする異能力者は特区の外には出られないんじゃなかったけ?」
「ええ、確かに特区から出ることはできませんが、特区の中にも娯楽施設はありますし、特区外よりも集約されているので皆さん退屈はしていないようです」
と、フェリスは返すと、思い立ったように続ける。
「あっ、学食は閉まっていますが第一分校の学生食堂はやっていうはずですから行ってみましょうか」
と言いフェリスは学院から伸びる天への架け橋を指差す。
フェリスの指の先を目で追い、これからの予定を理解した太陽の目下の関心ごとは軌道エレベーターであった。
*
にわかには信じがたい光景だった。
凄まじい轟音と共に委員会のメンバーの大半がやられた。
十傑とは国の最高戦力ではあるが完全無欠というわけではない。
確かにその圧倒的な力は一国の軍事力と相対するとされ、十傑はその存在自体が抑止力とされているが、その力は絶対ではない。異世界の技術力によって力を抑え込まれることもあれば能力の相性によっては苦戦を強いられることもある。それ故に神崎徹の監視には委員会で当たっており一対複数という状況を作ることにしていた。だから今日も各委員会の精鋭を引き連れて神崎と対峙していたというのに……。
一瞬という言葉では表現しきれない速さで、自分以外の人間の意識を刈り取ってしまったという目の前の状況に山吹凛は驚きを通り越し恐怖を覚えていた。
人間業じゃない―。
強大な力を行使するためにはより高度で複雑な魔法式が必要となる。
委員会のメンバーは十傑には及ばないものの各々が国家戦力として数えられる存在である。
そんな人間を一撃で先頭不能にしてしまう神崎の力以上に魔法式をまったく組み立てていないことの方が山吹は恐ろしかった。
さらに上がある。
底が知れない。
言うなれば未知―。
目の前の神崎から目を離すことができない。
神崎の一挙手一投足に神経を尖らせる。
「顕現しろ―」
次の瞬間には神崎の手に斧が握られていた。
「おっと、危ない……ちゃんと手袋しなくちゃね」
リラックスして話す神崎と対照的に山吹は額から大粒の汗が流れ落ち、緊張の色が見える。
ゆっくりとした動作で手袋をはめる。
親指、人差し指、中指と順を追って手袋におさめる。
「さてと……」
手袋を装着した神崎はしっかりと斧を握ると大きく振りかぶった。
「さようなら……会長」
―!?
瞬間―神崎の手に握られていた斧は、山吹の目の前まで迫っていた。
*
学院内にある軌道エレベーターの乗り場へと続く廊下を太陽とフェリスは並んで歩いていた。
ただでさえ広い廊下が人の往来がないため余計に広く感じられる。
軌道エレベーターへと真っ直ぐに伸びているという廊下の先には何も見えず、太陽はいつになったらあの消失点に辿り着くのだろうと少しだけ気が滅入った。
太陽は、長い道のりの暇つぶしにふと浮かんだ疑問を口にする。
「そういえば、猫二匹いるんだね」
「二匹?」
「うん、黒い子と白い子だよ」
「ああ、美弥ちゃんと私のことですね」
「美弥ちゃんと私?」
「ええ、こんな具合です」と言い、フェリスは身体に淡い光を纏うと姿を変える。
「ニャー」
「マジか! 本当に猫になった!!」
目の前の白猫もとい、フェリスは再び光を纏うと人の姿に戻る。
「こんな感じです」と鼻高らかに薄い胸を張る。
「ということは昨日の白猫は……」
「はい、私です」
ということは……。
「悪ふざけが過ぎますね」
声のトーンを落とす太陽の眼光は鋭いものへと変わり、フェリスに無言の圧をかけていた。
「ええ…っと、今日は人通りもないようですし飛行魔法でも使ってササッと行ってしまいましょうか」
どうやら話を逸らしたかったようなのでそのまま昨夜の悪戯には目を瞑ることにした。
「ああ、そうだな」
太陽は念じるように自らが宙に浮き移動することを瞑想した。
すると身体は浮かび上がり、前進した。
フェリスは驚きの表情を浮かべながらもどこか嬉しそうに微笑んでいた。
「では、参りましょうか」
ああ、と短い返答を返すと太陽はフェリスの後ろに着いて飛行した。
*
「お時間です月光様」
「ああ、わかったすぐに行く」
第一分校―高天原との連絡が途絶えた。
何か問題が発生したのかどうかすら不明。
そして、何より国の介入だけは避けたかった。
異能力者を人間とは認めず、兵器としての価値しか見出さない。腐りきっている。神崎が動いたか? 不明な点が多すぎる。そうでなくとも七つの特区機関は個々に情報網を確立しており、他の特区機関との情報システムは構築されていなかった。いや、正確には構築しなかった。
外部への情報規制の手間を省くために。
「上手くやれよ、徹」
「何か仰いましたか?」
黒服を着た魔導学院職員の問いに月光は答える。
「いや、何も……」
管理システムを使って連絡を取るのがセオリーだな。
「行くぞ―」
月光は重厚な扉をあけ放ち、自室を出て管理室へと向かう。
月光の自室の扉には学院長と書かれたプレートがはめ込まれていた。
*
軌道エレベーターに乗り込んだ直後ものすごい衝撃に襲われエレベーター内を転げまわった。
痛い……どうやら転がった際に頭を打ったようだ。
それにしてもさっきの衝撃は何だったんだ。
軌道エレベーター内では大きく身動きを取ることはできない。そのためにバランスを崩した太陽は盛大にこけ、フェリスに覆いかぶさる形になっていた。
「大胆ですわね」
頬を赤く染めるフェリスの薄い胸板についた手から僅かに柔らかな感触が伝わる。
慌てて手をどけようとするが先程の衝撃から続く微震のせいで上手く立てない。
フェリスに覆いかぶさった形のまま軌道エレベーターにはめ込まれた窓から外を窺う。
止まっているのか? 故障、動作の不具合といったところだろうか。
あれだけの衝撃を受ければ大概の機会は緊急停止せざるを得ないだろう。
しばらくした後、揺れは止んだ。
それから体勢を整え、二人並んで窓の外を眺めていた。
「直らないねぇ、というより故障しているのかコレ」
「故障ではなく緊急停止だと思いますが、それにしても復旧に時間がかかっていますね。管理室で何かあったのでしょうか」
太陽は、待ちくたびれたと視線を上に向けると、
「ん? あれはなんだ?」
太陽は窓の外に映る影を指差した。
上空から落下する影は風にはためいていた。人、なのか?
確信の持てない太陽の横で声がした。
「山吹……さん?」
「山吹?」
「少し……いえ、かなり不味い状況かもしれません」
そう言ったフェリスの顔には焦燥の色が窺えた。
*
「よろしいのですか? 月光様」
「ああ、構わない。外部への情報統制を最優先事項とする」
時間は稼いでやる。
せめて俺の計画の妨げにはなるなよ、徹。
月光は自らの邪魔にならない限り最大限の援護射撃をしてやろう、と決心した。
「月光様」
管理室の職員の一人が名前を呼ぶ。
「どうした」と月光は答える。
「軌道エレベーターに人が取り残されています」
「何? 学院内に生徒はいない筈だ」
「いえ、しかし……」
「カメラをエレベーター内のものに切り替えろ」
切り替えられた画面に映し出された映像には見知った二人がいた。
何でよりにもよってアイツが……。
「ことを構える覚悟」か……アンタの言うと通りになるかもしれませんね、徹。
「どうかしましたか?」
「いや、気にするな、問題ない。二人とも学院の生徒だ。少々待たせても問題はない」
月光は出口へと向かう。
「月光様、どちらへ?」
苦笑を浮かべながら月光は答える。
「尻拭いに……な」
あくまでも今回のことは大事の前の小事に過ぎない―。
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