1-6 魔導学院Ⅰ

 日本防衛の要とも言うべき学院はあまりにもみすぼらしかった。

 日本が世界に誇る異世界技術を集約した最高機関であるはずの中央魔導学院の実態を目の当たりにし、声にならない―出せない不満が表情に出ていたらしく太陽はフェリスに窘められる。

 「本心というものは人前では隠し通すものですよ」

 「そうかもしれないけど……みすぼらしいものはみすぼらしいでしょ?」

 「その通りだと思うぜ」

 ―!?

 背後から突如として声が飛ぶ。

 声の主を振り返るとそこには黒を主体とした制服に身を包んだ体躯のいい青年が立っていた。

 「よお、フェリスちゃん。お帰り」

 そんな気さくな挨拶にフェリスは優雅な所作でドレスをつまむと足をクロスさせ身体を沈めるように頭を下げる。

 「ただ今戻りました神崎さん」

 「相変わらずお堅いなフェリスちゃんは」

 「互いの立場を考えれば当然かと思いますが……」

 つまらないといった様子で嘆息する。

 「お前も災難だな少年」

 「太陽です」

 「んっ?」

 青年は首を傾げる。

 「俺の名前です」

 太陽は間髪入れずに答える。

 「ああ、太陽くんね。OK覚えたよ」

 「俺は徹だ、よろしくな!」

 互いに自己紹介を終えたタイミングでフェリスが話に割って入る。

 「それはともかく、学院は断じてみすぼらしくないですよ。変な先入観を太陽さんに与えないでいただけますか。それと太陽さんも外的な部分だけで物事を判断しないように!」

 どうやら怒りの矛先が神崎から太陽へと向かってしまっているらしい。

 神崎は「怒ると怖いだろう?」と茶々を入れてくる。

 「話が進まないので無視してください」

 フェリスが冷たく言い放つ。

 「酷いなぁ~」

 神崎の存在を無視したままフェリスは話を始める。

 「この魔導学院の姿は幻覚魔法で歪めてあります。魔法の概念がない者からすれば、ただの古い洋館にしか見えません」

 「俺は魔法使えるけど?」

 「ああ、太陽さんには魔導学院の姿は見えていないと思います」

 「何で?」

 フェリスは太陽の問いに答えようとはしなかった。

 すると二人の会話を傍観していた神崎が溢れ出す感情の波を抑え込むように静かに笑う。

 「面白いな、お前!!」

 太陽がなぜ笑っているのか、と問うと神崎はフェリスに目を移すと何かを窺うように首を小さく傾げた。

 フェリスは大きく頭をブンブンと左右に振ると自らの意思を伝えるように神崎と視線を交わした。

 「教えてはいけないそうだ。政府はよほど君が大切と見える」

 「神崎さん、政府直轄の魔導学院での政府批判と受け取られかねない発言はお控えください。粛清の対象になりかねません」

 神崎は「粛清ね……」と鼻で笑う。

 「おかしいですか?」と問うフェリスに神崎は答える。

 「おかしくはないが不可能だ。今ここにいる十傑はフェリスちゃん一人。フェリスちゃん一人じゃ俺の相手はできないよ。そんなことは同じ十傑なんだからわかっているよね?」

 フェリスは端整で美しい顔を歪めた。

 「神崎さん十傑だったんですか!?」

 太陽の純真な疑問の投げかけに神崎は嬉しそうに答える。

 「ああ、十傑の一人だよ一応な。ちなみに序列は第六位だ。そしてフェリスちゃんは序列第七位を務めている」

 「序列って何です?」

 「そうだな、簡単に言うと……」

 「強さです。十傑の中での純粋な日本国の戦力としての優劣をつけたもの、それが十傑での序列の定義となります」

 話に割り込まれてあからさまに機嫌を悪くする神崎を尻目にフェリスはさらに続ける。

 「日本は十傑と呼ばれる十人の英傑がいるということはお話ししたと思いますが、その十人が魔導学院を始めとする七つの機関にそれぞれ配置されています。いうなればそれぞれが国を作っています」

 「国を?」

 「ええ、決して大袈裟なことではなく国を作り上げています。それほどまでに十傑の力は強大だということです。十傑の末席、序列第十位ですら玄武館をわずか二日で自らの支配下に置いたといいます」

 「玄武館って何?」

 「玄武館は北に位置する魔導学院の分校の一つですよ」

 「魔導学院とまったく名前が違うんだけど……」

 「至極当然のご質問かと思います。玄武館というのは帰還者を始めとする特異能力者が自らの能力の向上を目的とした同志の集まりのことです。そしてその集まりが当時、北分校に在籍していた神崎さんの指示の下、北分校の中枢を乗っ取りました」

 政府機関の乗っ取り。そのことが意味していることは太陽にもすぐに理解できた。

 ―それって!?

 「そう、革命だよ」

 感情を感じないひどく冷たい声が背筋を伝い身体を硬直させる。

 「帰還者たちはこの国の奴隷だ。奴隷の解放運動を起こすことは人道的観点からみても正しい行いだと思うのだが……違うのか?」

 フェリスは目を見開き、正面から対峙すると神崎を否定した。

 「貴方の言う革命は世界を混沌へと陥れ、絶望へと導く人災―いえ、神災でしかありません」

 一つ大きなため息を零すと、神崎は明るい口調で喋る。

 「俺は別にフェリスちゃんとケンカがしたいわけではないのだけれど……俺たちは相容れない存在なのかもしれないね。太陽くん、またね。君とはわかり合えるかも知れないね」

 そう言うと神崎は魔導学院の門を潜った。

 すると門を跨いだ足から順にまるで飲み込まれるようにその姿が掻き消えた。



 *



 足を踏み入れた魔導学院は白昼夢を見ているのかと錯覚してしまうほどに現実離れしていた。

 門の外から見えていた古びた洋館とはまったくの別物の、洋館というよりもどこかの宮殿と言われたほうがしっくりきそうな趣の建物が建っており、その周りには景観を無視した超高層ビルが七棟、学院を取り囲むように聳え建っていた。

 古典建築と近代建築とが同時に存在する異空間に呆気にとられること数十秒。

 超高層ビルを見上げる首が疲れると感じる程度には思考が現実世界に引き戻されつつあった。

 「如何ですか? 魔導学院は」

 フェリスは、つい先ほどまで神崎と対峙していた時の表情が嘘のように柔らかい笑みを浮かべて話す。

 それに釣られるように太陽にも笑みが零れる。

 「ああ、すごい場所だな。数百年後の未来にでもタイムスリップした気分だよ」

 「それは言い過ぎですよ」と談笑をしながら二人は宮殿風の建物へと向かって進む。


 魔導学院の本校舎である宮殿風の建物は予想以上に広く、部屋の数も尋常ではなかった。

 フェリスに案内され本校舎を見て回ったが、すべての部屋を見終わった時にはすでに日は沈みかけていた。

 フェリスが「すみません、思っていたよりも遅くなってしまいました」と言いながら苦笑する。

 「この様子だと学院への入学手続きは明日になるな」

 しかし太陽は、それ以上に目下最大の不安は今夜の寝床だなと一人思案しているとフェリスが一つの提案をした。

 「私の部屋をお貸ししましょうか」と。

 


 *



 女の子の部屋というものに初めて足を踏み入れた太陽は驚きを得た。

 「広いな……」

 口から零れた出た言葉を聞いたフェリスは小さく笑った。

 「この部屋は十傑に特別に割り当てられた部屋で私自身の部屋はこの部屋の奥です」と手で部屋の奥を指す。

 示された先には豪勢な部屋から完全に浮いたベニヤ板で拵えた簡素な扉があった。

 示された扉へと近づこうとするとフェリスは慌てた様子で太陽を制止する。

 「太陽さん、私にもプライベートな空間ぐらいありますよ」と安易に部屋に入るなと釘を刺される。

 「こちらの部屋は自由に使ってください」と言うとフェリスは逃げるように扉を少し開け、その隙間に身体を滑り込ませるようにして入っていった。



 怒らせてしまっただろうか、と太陽はフェリスの消えていった扉を眺めていた。

 すると、部屋の外から何か物音が聞こえた。

 フェリスの部屋の扉と違いこの豪勢な部屋の扉は重厚な造りで、装飾もかなり凝っていた。

 扉に近づくと、ガリガリと引掻くような音が聞こえた。

 扉を開けるとそこには黒猫がいた。

 「お前は……」

 さんざん状況を引っ掻き回してくれた問題児―問題猫? と一瞬頭を過ぎったが、今日一日を振り返ると黒猫はフェリスの飼い猫であるという結論に辿り着く。

 太陽は黒猫を部屋へと招き入れると抱きかかえた。

 「お前どこに行っていたんだ?」

 思い返せば神崎と話をしていた時にはすでに黒猫の姿はなかったように思う。

 改めて抱きかかえた黒猫を見てみるとどことなく飼い主に似ている気がした。

 「ミャー」と鳴き声を上げると黒猫は太陽の手から抜け出すと脇目も振らずにフェリスのいる部屋へと駆ける。

 「嫌われたな~」と呟いた言葉に黒猫の足が一瞬止まったように見えたが黒猫はすぐに駆けだした。

 

 *


 人一人がやっと横になれるスペースを異世界の書物の山を掻き分けてさらに自分の背丈よりも高く積み上げることで確保される。

 きちんと部屋の掃除をしていれば何の問題もないのだが私には掃除をしている時間はない。

 私は忙しい。

 おそらくこの国にいる十代の女の子の中で最も忙しい。

 だから自室の掃除にまで手が回らない。

 十傑の一人としての仕事量は人知を超えている。勿論、人知を超越した存在である私たちにはこなすことのできない仕事量ではないのだが、休みは欲しい。しかし、休みがもらえたからといって掃除などしないことは十数年の私の人生からして明白なのだが、息抜きも必要だと思う。

 そんな私のひと時の安らぎが彼女との他愛もないお喋りである。

 そして今日も彼女に語りかける。

 「あの人ったら私を抱きかかえるんだもん! びっくりしちゃった!」

 今日一日で体験したことを一から順に話してかれこれ二時間が経過していた。

 彼女は疲れたようで、大きく口を開けて欠伸をする。

 そして彼女は身を縮めて睡魔に身を委ねようとしていた。

 私は指先で軽く彼女の額を小突いた。

 「ねえ、まだ寝ないでよ。もう少しで終わるから」

 眠りを妨げられ見るからに機嫌の悪い彼女に謝りながらも、私は話すことをやめない。

 いい加減にしろ! と言わんばかりに立ち上がると彼女は部屋を出ようとする。

 「待ってよ、フェリス!」

 彼女は私の声に足を止めることはなかった。


 *


 太陽はなかなか寝付けずにいた。

 太陽のいる部屋はその広さもさることながら、家具や装飾品も見るからに高級といった雰囲気で落ち着かない。

 太陽の育った家は今いる部屋よりもずっと狭く汚かった。しかし、ずっと居心地がいいところであった。

 「広すぎるよなぁ」

 そんな言葉が宙に漂う。

 兄がいなくなって母と二人きりになってからも寂しくはなかった。

 狭くて汚い家だったが―家と呼べるものだったかはさて置き、心休まる場所であったことは間違いない。

 それに対して今は……。

 「一人は寂しいな……」

 心の声が漏れる。

 「ニャー」

 ―? 

 何かの気配を感じうつむいていた顔を上げた。

 「ニャー」

 そこには艶やかな光沢を帯びた純白の毛並みの美しい猫がいた。

 「おや? 君はあの黒猫のお友達かな?」

 「ニャー!!」

 まるで否定するかのように太陽に答える。

 「喧嘩でもしたのかな? でも、そんな時はちゃんと仲直りしないとダメだよ」

 「ニャー」

 「わかればよろしい」

 白猫は嬉しそうに甘えたように鳴く。

 太陽は白猫の頭に手を置くとそのまま抱え込むように抱き寄せ、白猫に囁くように告げた。

 「一緒に寝ようか?」と。

 一瞬、白猫の息が荒くなったが、すぐに落ち着いた。

 太陽が優しく身体のラインに沿って撫でてあげると白猫は身体をくねらせながらその快感に身を委ねるように身体を太陽に預けた。


 *


 照明一つない全面ガラス張りの部屋へと足を踏み入れる影が一つ、神崎徹である。

 神崎はその圧倒的な力で十傑という地位に名を連ねているが、神崎は十傑という地位には興味はなかった。

 ただ、力があるからという理由だけで政府に拉致同然で魔導学院第六分校内にある施設へと入れられた。

 そしてその後、第六分校へと入学した神崎は同志を集め玄武館を立ち上げた。

 そしてすぐに行動に出た。

 第六分校の関連施設数棟を攻撃、一部施設を掌握した。

 すなわち、政府に対して反旗を翻したのだ。

 それからは第六分校―玄武館と政府との戦争となった。

 しかし、その戦争は開戦して半日で終戦を迎えた。

 それもたった一人の女によって。

 「ふぅ、嫌なこと思い出しちゃったよ」と、ため息交じりに神崎は歩を進める。

 「嫌なことか……」

 神崎に同意するように言葉がかけられる。

 神崎は立ち止まると仰々しく一礼をすると、誰も座っていない部屋の奥に据えられた高級感に溢れる漆黒の椅子を見た。

 月明かりに照らされた室内に新たに一つの影が現れた。

 「お早いお帰りですね、月光様」

 神崎は軽い口調で話しかける。

 「俺が帰ってきたのがわかっていながらなぜ、あなたはとぼける?」

 「そのようなことはありませんよ」と神崎が否定の言葉を口にする。

 神崎の目にはいまだにシルエットのままの月光が間髪入れずに神崎の言葉を否定する。

 「ほぅ、つまり、あなたは俺の部屋に俺がいないと認識したうえで入室していたということですか?」

 「おやおや、これは手厳しい」

 おどけた口調の神崎を、月明かりの中に浮かび上がるシルエットから覗く鋭い眼光は神崎を見据えていた。

 「そんなに睨まないでくれます? 序列一位様に凄まれたら六位の俺みたいな奴は心臓が口から飛び出してしまうくらいビックリしてしまいます。聞いてます? 月光様」

 月光と呼ばれた男は神崎に向けるプレッシャーを解くと神崎の下へと近づく。

 「ビックリ? あなたがですか? 冗談はよしてくださいよ。あなたらしくない……俺が留守の間に何かありましたか?」

 神崎は薄く笑みを見せると静かに答えた。

 「弟君にお会いしましたよ」

 「太陽か……」

 何か思うところがあるのか、月光は言葉に詰まる。

 「太陽、名は体を表すとはよく言ったものですね。まさしく太陽と呼ぶに相応しい力を感じましたよ」

 月光は驚いたように目を見開いた。

 「見たのか、あいつの力を!?」

 「いえ、違いますよ、感じたのです。あくまで感じたのです」

 感覚的なもので確証はないと言い張る神崎の言葉に月光は警戒心を強くする。

 「嫌だな~、そんなに警戒しちゃって、忘れてないですか、俺はあなたたちとことを構える気はないんですから。それよりも月光様は覚悟を決めておいたほうがよろしいかと思いますが」

 月校は眉を吊り上げる。

 「覚悟だと?」

 「ええ、覚悟です。弟君とことを構える覚悟ですよ」

 全面ガラス張りの空間に際限なく差し込む優しく穏やかな月明かりの中に佇む二人の間には並々と水を注がれたコップの縁の表面張力のように今にも何かが溢れ出しそうなほどに空気が張り詰めていた。

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