六、歪んだ世界

 同時に複数漏出する事例はごくわずかだが、過去にもあった。しかし、同一の場所への転移や合体は知らない。研修でも習わなかった。

 イナムラさんからメールが着信した。今回の事象について特別研修を行うのであさってから二日間日程をあけるようにという命令と出頭する研究所の案内だった。すぐに分かりましたと返信する。あけるもなにも『機関』以上に優先する予定なんかない。

 それにしても、といつも思うのだが、研修や測定でも家まで迎えに来てくれればいいのに。炉と研究所はたいてい人里はなれたところにあるので、もよりの駅からの送迎はあるのだが、そこまでは自分で手配して行かなければならない。そもそも、研修なのにそこへ行かなくてはならないというのもおかしな気がする。父が以前、苦笑いしながら組織というのはそういうものだと言っていたのを思い出す。空間を歪曲するような最先端の機器を運用しながら、交通費の精算は末締めの翌々月払いだ。


 イナムラさんが研究所の入口で出迎えてくれた。研修室にはほかに二人いた。あらためて紹介してくれたが、前にも研修で会ったことがあるのを覚えていた。三十代と四十代の男女で、男性が二百五十-六十五、女性が二百-六十二とのことだった。

 ふたりともマサヒコを見てあいまいに会釈する。三十-九十五の精度をたもちつづけ、任務を開始してからはつねに最前線にいたマサヒコは年齢にかかわらず近寄りがたい雰囲気だった。


 かんたんな挨拶が終わると、すぐに特異事象の説明がはじまった。

 フランス東部と西部の炉から約五分の差で漏出。ニースとカンヌのほぼ中間地点の公園に転移後、破壊行動を行いながら近くの商業ビルに物理的に移動。東部からの『虎A』は地上階、西部からの『虎B』は最上階に位置を占めて停止した。

 五十三秒後、行動を再開し、ビルおよび周辺を破壊しながら『虎A』は上昇、『虎B』は下降し、中間階にて合体して『虎C』に変化したのをセンサーがとらえた。この時能力者(百五十-六十九)もふたつあった予想点がひとつになったと検知している。

 その後、周辺への攻撃に変化が見られた。通常は建築物の破片などを投擲して物理的衝撃をあたえるだけなのだが、合体後はあたった破片の爆発と高熱の発生が確認された。分析では飛散した破片はほかの破片と組成になんらのちがいはなく、この現象の機構はいまもって不明だ。

 しかし、このとき、攻撃の影響で配備されたSDDが機能を喪失したことと、爆発と高熱がさらなる被害の拡大をまねくと予想されたため、『機関』の現場指揮官は後方に配置していたEADの使用を決定した。EADは仕様どおり動作し、『虎C』は出現後四百九十二秒で消滅した。

 なお、現場で処理にあたった者たちの大半は能力者をふくめ、『虎C』の新種の攻撃により死亡または重傷を負い、生存者は後遺症などにより今後の任務に当たることは非常に困難となった。『機関』とフランス政府は周辺諸国に援助と協力を要請している。


「……『虎』の合体現象については、理論上は予想されていましたが、現実に発生したのはこれが初めてです。また、今回観察された新種の攻撃についてはまったく予測されていませんでした」

 イナムラ博士は画面に被害状況の静止画を映す。被害者はぼかしてあったが、画面内の建物や路面、車などは素人が見てもかなりの高熱にさらされたような壊れかたをしていた。物の表面はこげたように黒ずんでいるのではなく、色味をうしない、灰のようにうす汚れた白色になっていた。

「ただ、合体してもSDDやEADは仕様通りの効力を発揮するものと考えられています。理論上は復旧時に分離することも可能です。よって、基本的な対応は変わりません」

 マサヒコは画像に目を走らせ、高熱による被害の範囲を見積もっていた。イナムラ博士はその目線に気づいた。

「現在も合体や、その攻撃に関する資料収集、分析、研究が進行していますが、合体後の攻撃に適切に対応するのは困難であろうと思われます。すべての対応は合体前に行われなければなりません」

 画面が切り替わり、空港と建物群が映し出された。

「フランスでの事象にかんがみ、今後、『虎』対応はいっそう迅速に行われなければならないことになりました。いまは能力者が現場に到着するまで平均三時間四十二分かかっています。最長は五時間です」

 イナムラ博士は映像を指さした。

「われわれは、この到着時間を半減させる目標をたてました。ここに映っているのは国防軍の宿舎です。全面的な協力をいただけることになりました」

 男女の能力者はいやな方向に話がむかっているなと感じていた。その感じは当たっていた。

「今後、特別待機任務が加わります。能力者は国防軍の宿舎で生活し、事象が発生しだいその輸送機などで現場に向かいます。そのため、研修内容に国防軍との共同演習が加わります」


「まってください」

 男がたまりかねたようにいった。

「わたしには家族がいます。はなれて暮らせというんですか」

「宿舎での待機は最長六か月としますが、状況に応じて延長もあり得ます。しかし、ずっと行ったきりではありません」

「介護の必要な親がいるんです。そんな長期間家をあけられません」

 女が静かだが、動揺の感じられる口調で抗議した。

「この特別待機任務に対しては手当が加算されます。各家庭のご事情もあるでしょうが、この手当で解決をはかってください」

 それから、イナムラ博士はすまなさそうにつけくわえた。

「すべてお金で解決というのは心苦しいのですが、『機関』は『虎』対応を最優先としています。それは社会の要請でもあります。みなさんにはご協力いただかなくてはなりません」

 国防軍宿舎での特別待機任務についてと、新たに加わる手当の説明が映し出され、各自のパッドに配布された。ざっと目を通すと、待機地にもよるが、最長六か月待機だと年収は三割から五割増しとなる。宿舎の出入りは自由ではないが、基本的な生活にかかわる物品は支給される。マサヒコにとってはべつに悪い条件ではない。

 しかし、あの二人はちがう。いくら金を積まれたところで、家族と離れなければならない。それはとてもつらいことなのだろう。

 自分はなぜつらくないのだろう? 質問をしつづける二人と答えるイナムラさんを聞き流しながら自問してみた。この待機任務はぜんぜんこまらない。なんだったらここから直接行ったっていいくらいだ。極端をいえば、ネットがつながってパッドなどの端末さえあればいい。ああ、青いバケツとキャンデーの包み紙コレクションもほしいけれど、絶対ないといけないというほどではない。家に置いておいてもいい。

 でも、心を置いておくところはない。ここに帰ろうという場所はない。そうなんだ、とマサヒコは気づいた。ぼくは行きっぱなしで帰らない片道旅行をしてるんだ。だからなにもつらくない。

 それは強いということなのだろうか、それとも弱さなのだろうか。


「待機地は選べるのですか」

「いいえ、それは各能力者が日本中をまんべんなくカバーできるように決定され、当方から通知されます」


「一時帰宅は可能ですか。家族になにかあったときなど」

「原則として許可されません。しかし、実際はそのときの状況によるとしか言えません。ほかの待機地で一時的に代理できそうなら短期間許可されることはあり得ます」


「国防軍との共同演習とはなにをするのですか」

「たいしたことではありません。銃器をあつかうのではありませんので。軍の設備を使用するのでその練習です。たとえば座席での体の固定のしかたひとつとっても民間の航空機のようにはいきません。また、出動命令が出てから十五分以内には移動を開始してほしいので、迅速な行動の訓練がふくまれます」


 問答が途絶えた。男女二人はマサヒコを見た。この子はなにも話さない。質問もしない。家族と離れるというのにもう受け入れているのだろうか。それともなにがどうなっているかわかっていないのだろうか。


「君は質問しないのか。もう納得したのか」

 男がまるで批難するかのようにマサヒコに言う。マサヒコは無視してイナムラさんに聞いた。


「六か月以上の待機は可能ですか」

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