四、殻の中

 現場についたころには雨は弱まり、ほとんど止んだが、ここは雨の代わりにがれきが降っていたようだった。すぐ装甲車に乗り換えて接近する。ビル周辺には先行した隊がすでに装備を展開していた。厚い雲のせいで薄暗く、日没も近いので投光器が設置されていたが、最上階の『虎』は照らされた光を吸収する暗黒の特異空間を翼のようにひろげていた。結構大きくなっている。『虎』が空中を移動した例は観察されていないが、なんとなく不安になった。

『機関』の展開場所の外側には国防軍や警察、消防が取り巻き、危険物の搬出や一般人の避難誘導および報道の制限にあたっている。特異事象に関するかぎり、報道の自由はない。抗議をつづけたある社は事業の停止に追い込まれ、個人は投獄された。『機関』はそういったことは各国の内政であるとして無関係のふりをしていた。また、同様に軍や警察といった組織とは一線を画して関わろうとはしなかった。あくまで『機関』の活動に対して各国が自発的に協力しているという形をとっていた。

 救助活動を行わないのは警察や消防と協議したと言っていたが、どんな協議だったか想像はつく。そういうことなのだろう。


「イナムラさん、来てたんですか」

「ええ、近かったから。それに、ひさしぶりにあなたの活躍が見たくて」

「『虎』はどこから?」

 マサヒコは軽口を無視して聞いた。

「北海道」


『虎』は国境を超えない。転移位置は接触した人々に大きく影響を受ける。その者たちの出身地や幼少期を過ごした地域に関連する土地に転移することが多い。どの国であれ、炉の近くに外国人がいる可能性はまずないうえ、複数の人間の思い出を均等に混ぜ合わせてならしたような場所が選ばれるので、結果、転移位置は国内であることがほとんどだ。また、物理的に移動することはあるが、二度目の転移は確認されていない。行った先で怒りや不満をかかえた幼児のように暴れるだけだった。


 マサヒコとイナムラ博士は装甲車内で防具をつけた。重く、体中を締めあげて固めるが、それがかえって頼もしかった。最後にゴーグルをつけると、服を着ただけなのに背中と脇に汗をかいていた。

 イナムラさんがスイッチを入れてくれる。風が防具内をめぐり、すっかり忘れていたと恥ずかしくなった。


「ありがとう」


 総勢十二名。急ぎ足でビルを登りはじめたふたりのまわりには、重装備で爆発物処理もできそうな防具をつけた隊員たちがいる。かれらはSDDの操作、状況の記録や通信の中継を行うが、身を盾にする役目も負っている。ほかには分解された『古時計』が二機と、屋内での活動なのでところどころに中継器を置くと同時に、通信ケーブルを繰り出しながら進んでいる。それでも軽量防具にわずかな荷物のふたりより足取りはしっかりしていた。

 マサヒコはかばんから青いバケツだけ出して腰にぶら下げ、イナムラ博士は記録機器を運んでいた。センサーや監視機器は別に用意されているが、自分でも記録したいのだそうだ。


 最上階を完全に有効半径におさめ、かつ余裕をみるため十二階まで登った。そこは入っていた会社が出たばかりで、いまはなにも置かれていない。

 マサヒコは案内されたとおり、最上階床面の中央真下にあたるところに腰を下ろした。息を整えている。音と振動がかなりある中、周囲ではSDDやほかの機器の組み立てと設置が手際よく完了した。


「どうですか。探知にはいれそうですか」

「ちょっとまってください。すみませんが水を」

 ボトルが差し出された。室温のぬるい水だが、それがありがたかった。


 マサヒコは両膝を抱えるような姿勢を取った。青いバケツは折りたたんだままひろげない。どうせこのビルは取り壊して修復工事が必要になる。車内ではないので床に吐いてしまうつもりだった。イナムラ博士はすこし離れて自分の記録機器をかまえる。まわりの隊員たちは見ないようにしながら能力者の様子をうかがっている。


『バーニング・ブライト』状態になった。周囲が白く輝き、ものの裏側がなくなった。上のほうで黒点がぶれている。位置を絞りこまなくてはならない。できるだけ早く。しかし正確にだ。


『虎』がさらに破壊行動を強めたと有線通信で報告があり、すぐに途絶えた。高層ビル最上階から投擲される破片が下であらたな破壊を引きおこしたのだろう。

 くだける音、きしむ音、くずれる音。破壊にともなう音と振動がひびいてくる。ここに来た時から窓にはひびが入っていたが、それがさらに増え、ひろがった。


 マサヒコは一次座標を送信する。SDD担当が即座に入力し、二機のうち近いほうが用意をした。まだ黄色だが、座標が出たという緊張が走る。


 窓の外を建物の破片が落ちる以上の速度でとばされていく。被害者もまじっているのかもしれないが、そこまではわからなかった。

 天井にかすかにひびが入り、周囲の盾がマサヒコに近づこうとしたが、指揮官とイナムラ博士が止めた。あきらかな危険でないかぎり、すこしでもじゃまをするような行動をおこなってはいけない。予想点探知に歪みを生じさせてはいけない。


 今回はじめての出動となる隊員は、青ざめた顔であちらこちらに首を振るマサヒコから目をはなせなかった。ほこりが降りそそいでいるなかで、その少年は安全規則に違反してゴーグルをむしり取って投げ捨てた。もう首は振っていない。さきほどできた天井のひびを見つめている。


 隊員の一人がそのひびを指さした。とがった先端を持つ人の腕ほどの太さの特異空間が一本、しみでるようにおりてきた。光の線が血管のように走り、脈打っている。指揮官はイナムラ博士を見たが、彼女は首をふって手で制した。なにもしてはいけない。マサヒコは、すわったままその棒状特異空間の先端を見つめている。


 その顔に微笑みが浮かぶのを博士は見、記録にのこした。


 笑みが消えた瞬間、棒状特異空間がマサヒコの頭めがけて急に伸びた。盾が駆け寄るよりも早かったが、伸びはじめた瞬間、指がパッドをすべっていた。

 SDD担当が赤タグ付きの座標を入力してスイッチを押し、空間歪曲が始まり、棒状特異空間はマサヒコの目の前まできて消失した。

 SDDが砕け散って自らの役目を果たしたのを合図に撤退が始まった。特異空間がなくなり、破壊されつくした最上階から崩壊するおそれがある。マサヒコは吐きながらよろよろと立ちあがった。ひびがさらに広がり、天井の一部が崩れてきたが、すぐに盾が抱えて運んでくれた。恩人なのに吐いたものがかかったが、階段をかかえられて駆けおりているときにそんなことは気にしていられず、揺らされるのであちこちに吐き散らしていた。ひどいありさまだった。


 地上につくと、こちらもひどい状態だった。がれきは投げつけられたものなのか、それで破壊されたものなのか区別がつかない。周囲の建物や一般の自動車などは玩具のように破壊されていた。

『虎』が北海道の炉に転送され、『異次元高エネルギー体』に復旧したとの確認連絡があったので、国防軍と警察、消防が現場に入り、救急隊員が負傷者を運び出していた。白い布で覆われた者や、がれきの中の観光客がここを去るのはもっと後になる。

 マサヒコは窓のない装甲車の後部座席でドアをあけたまま横になっていた。今日はいつもより消耗した感じがする。帰りは自分の足じゃなかったのに、全身がけだるい。

 そのマサヒコをイナムラ博士がはなれた所から見ていた。記録機器の動画を再生し、微笑んだ顔のところでとめている。ちょっと考えて、数か所に連絡を入れた。


 マサヒコはそのまま、その車で炉に併設された研究所にもどらされた。家には帰してもらえそうにない。それどころか、研究所内に泊まれと言う。測定の時はいつも旅館かビジネスホテルなのに、今夜は急なことで取れなかったという信じられない言い訳を聞かされた。味気ない食事と、職員用の風呂。研究時に仮眠するための部屋を一室提供されたが、布団カバーには糊がききすぎていた。

 風呂からあがって着替え、汚れた服を洗濯してしまうとすることがなくなった。遅れている課題でもかたづければいいのだが、それはやる気になれなかった。今日あったことについて考えようとするのだが、いろんな感覚や考えがぐるぐるまわって落ち着かない。もう寝よう。

 所内は昼間の職員がいなくなって静まりかえっている。虫の声が波のようにうねっていた。

 翌朝、ぱさぱさのパンと冷えた目玉焼きで朝食を済ませ、朝の支度を終えたころ、イナムラさんから呼び出しがかかった。職員に連れられて研究室に向かう。


「おはよう」

「おはようございます」

 イナムラさんは一晩中起きていたような目と髪だった。複数あるモニター画面には、それぞれ角度や処理を変えながらきのうの様子がうつし出されており、そのなかの一台でマサヒコが微笑んでいた。

「よく寝られた?」

「いいえ。布団カバーの端で首を切るかと思った」

「そう、管理に言っとくわ」


 マサヒコはすすめられた椅子にすわり、イナムラさんと低いテーブルをはさんでむきあった。茶を出してくれたが、茶菓子は例のキャンデーだった。


「さっそくだけど、きのうの『虎』。あんな特異空間を発生させたのは珍しいし、あなたになんらかの影響を与えようとした行動もほかに報告がない。あなたの立場からなにか説明できることはある?」

 マサヒコはすこし考え、なにもかも話すことにした。ごまかしたり、うそをついたりする理由がない。

「きのう、ぼくは『虎』と接触しました。あの棒状の特異空間は見た目よりも大きく長いんです。天井から見える部分がおりてきたときには本当の先端はぼくを包んでいました」

「それは記録されていない。すべてのセンサーからのデータでは特異空間は映像記録と一致していて、その外側の広がりはなかった」

「うまく説明できません。そのセンサーについてはなにも知りませんし。でも、あのときぼくにとってはそうだったんです」

 イナムラ博士はモニター画面の微笑みを指さした。

「この表情、説明できる? とても幸せそうだけど」

「幸福だったんです。安心感を感じました。暖かかった」

「『虎』と交流した?」

「そうは言えないと思います。なにか話したり、情報のやりとりはしていません」

「安心感って、なにに対する?」

「ひとりでいること。孤独です。ぼくはずっとひとりでしたから」

 博士は質問を変えてみた。

「どうしてすぐに報告しなかったの? あ、これは叱責じゃないから」

「『虎』は幼稚な悪意のかたまりで、いつもたまらなく不快で、吐いてばかりです。でも、きのうはぼくの孤独感をいやしてくれる仲間、もしかしたら友達になれるかもしれないって感じました」

 彼女はマサヒコの目を見、先をうながす。

「吐くほど不快でいながら、同時に親友にもなれそうな存在がいるって直感的にわかって、混乱してたんです。だれかに話すとか、こうして聞かれるまで思いもよりませんでした」

「けれど、最後にはいつもどおりに座標を送った。親友になれそうな存在を消した」

「はい。どうしても不快さがなくならなかったから。とくに、見える部分が伸びはじめたときに急に不快さが強くなったので、それで、そのすこし前にわかっていた最終座標を送りました」

「座標の送信を意図して遅らせていた?」

 言葉にすこしとげがまじり、イナムラ博士は冷静にと自分に命じた。しかし、これは重大な規則違反だ。ここでもみ消せる問題ではない。

 マサヒコも、そのとげを感じた。自分が見逃してはもらえない過ちを告白したのはわかっている。しかしなぜか反省する気にはなれなかった。イナムラさんのうしろの画面では、きのうがなんどもくりかえされている。落ちていく破片、ひびから下りてくる特異空間、幸福そうな表情。

「あなたは孤独なの?」

 イナムラ博士はわかりきっている質問をあえてぶつけた。この少年ほどひとりを強制されている子供はいないだろう。

 マサヒコは答えない。任務、訓練、精度測定や研究への協力。そのあいまに通信教育。友人はできない。『機関』にとって探知能力者は肉でできている装備品にすぎない。その人生がどうなろうと責任は取ってくれないのだと、最近わかってきた。

 両親は、最初のうちはあれこれ心配したり世話を焼いてくれたが、小学校卒業のころから距離を置くようになり、すぐに無関心になった。はじめのころの抗議のはげしさはなんだったんだろうと思うくらいだ。書類に署名が必要になったときも、最近では説明を聞くか聞かないかのうちに同意する。

 ときどきマサヒコは考えるのだが、担当者をどなり、人をたよっていい弁護士をさがしていた両親の姿は、そうであったらいいなという想像を過去と思いちがいしているだけで、最初から無関心だったんじゃないだろうか。でも、イナムラさんもどなられたことがあるという。

 イナムラさんにいわせれば、それは深い愛情の裏返しで、だいじな子供を失うのが怖いからわざとそうしているのだそうだ。喪失の衝撃をやわらげるために、すでに失われたかのように対応しておく。そういう心理的防衛機構なのだと説明してくれた。

 けれど、それはイナムラさんの推測にすぎないし、当たっていたとしたらなおつらい。だってそれは、もう自分を死んだ者あつかいしているってことじゃないか。


 イナムラ博士は、返事をせずにだまって自分の殻に閉じこもってしまった少年をどうあつかったらいいかわからなかった。冷たいようだが、探知能力者の心理的問題への対応はここの仕事ではないし、急ごしらえの『機関』にはそういう部門はない。

 しかし、その問題が任務の遂行に影響をおよぼす可能性があるとなると話はべつだ。今後、座標の伝達を意図的に遅らせたり、場合によっては誤情報を伝えたりするようになってはいけない。博士は心のメモに、ほかの上級職員に相談を行い、信頼のおける外部の専門家の雇用を検討することと書きとめた。


 それから数日、とても忙しくなった。座標の送信を遅らせた件についての報告。マサヒコは再教育で当分帰宅できなくなった。両親はそれを了承したきり連絡ひとつよこさなかった。


 マサヒコの証言は調査の対象にはならなかった。あらゆるセンサーにまったくとらえられない現象など検討の必要もないとされ、単なる心理的問題だと上級職員全員の意見が一致した。


 しかし、その心理的問題への対応については遅々として進まなかった。問題があると認識したにも関わらず、だれもその担当になりたがらない。この種の問題は解決したところでふつうの状態にもどるだけであり、実績として見えにくい。それに、これまでなかった部門の新設ともなればかなりの時間をとられる。イナムラ博士とて、本音をいえばかかわりあいになりたくなかった。結局、だれも手をあげなかった。

 これについてはどうやら、再教育を行ったのだからもうしばらく様子を見てみようというあたりに落ちつきそうな風向きだった。


『様子を見る』というのは魔法の言葉だ。すべての問題をかたづけてしまう。パッドに指をすべらせて再教育の報告書を作っている能面のような顔のマサヒコを見ながら、イナムラ博士は、また日本にはないめずらしいキャンデーを買ってきてあげようか、がんばってるごほうびに、と自嘲した。

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