二、明るい夜
報告書づくりは片目でニュースを眺めながらでもできる作業だった。フォーマットはできあがっていて、空欄を埋めたり、選択肢を選んだりするだけだ。
マサヒコは、深夜になってから帰宅し、部屋で『機関』から支給されたスマートフォンに報告を打ち込んでいる。帰宅途中に仕上げようと思っていたのだが、不快な気分が治らず、移動する車内ではずっと寝ていた。家に着いて気分はましになったが、報告書は丸々残っている。机の隅に置いたパッドはそばに人が座ったのを検知すると自動で起動し、ニュースを流し始めた。
すべてが終わってから放送を許されたニュースでは五名の死亡と、『機関』隊員の軽傷(なぜか、軽傷扱いになっていた)、破壊された建物の様子が伝えられている。中継担当が見たと言う右手についてはなにも触れられなかった。
あの瞬間まで生存者がいたのかもしれないし、なにかのまちがいか、『虎』が遺体をいじっていただけだったかもしれないが、いまとなってはわからない。記録映像が外に出ることはないだろう。
マサヒコもそのことを公表するつもりはなかった。意味はない。仮に生存者を見殺しにした可能性があると告発したところでなにがどうなるというものではない。『虎』の処理に生存者確認というよけいな作業を追加してなんになるのか。それは『機関』の出動前に警察がやっておくことだ。
今回の生存者がいた可能性についての責任の一端は日本の警察にある、とも言える。しかし、それは自分の罪の意識を軽くしようという卑怯な考え方だ。なぜ通報しなかったのか。いまからでも遅くはない。やはり、そういうことがあったと告発したらどうだろう。
『虎』の対応手順に生存者確認という一項目を追加するのは意味があるのかないのか。わからなくなってきた。
今日、正確にはきのうあった事だが迷う。あの右手について、どういうことか突き止めるために『虎』対応を遅らせ、『機関』なり警察なりが生存者確認や救助を行なった場合、さらに被害が広がり、最悪の事態になった可能性もある。シベリアで起きたことを日本で繰り返してはならない。
『虎』の行動の理由は不明で、先の予測は付けにくい。だからこそ素早い処置が求められている。それは研修でしつこいほど繰り返されたことだ。
だから、右手が振られていたからと言って対応の方針を変更しなかった指揮官は正しい。
でも、とマサヒコは、もう何度目になるかわからないほど、でも、と自分の心に問う。
あの建物の中で、だれかが助けてくれるというかすかな希望を抱いて手を振った人がいたのかもしれない。ニュースで言っていた五人のうち、だれなのかはわからないが、顔写真を見るとつらかった。みんなそれぞれの人生を生き、突然『虎』によって中断された。そして、すくなくともその中のひとりは救えたかもしれない。人生を続けられたかもしれない。
かもしれない、かもしれない。ぼくはそればかりだ。結局、公表などの行動には出ないだろう。そうする勇気はない。
『バーニング・ブライト』能力を持っているからと言って特別な、偉大な人間ではない。それよりはむしろ、便利な道具にすぎない。『機関』は明らかにそういう扱いをしている。
給料と手当は分厚い。待遇は悪くない。ほかの能力者もそうだろう。でも、仕事を断る自由はない。社会が『異次元高エネルギー体』に依存すると決めたときから、そして、漏出と『虎』への変化を抑える方法を見つけられていない以上、マサヒコたちは出動し続けなければならない。
仕上がった報告書を送信した。自動応答の受信完了通知を確認してから風呂に入る。両親はとっくに寝ているのだろう。夜遅く動き回るマサヒコには慣れているのか起きても来ない。
風呂上がりに牛乳と菓子パンで夜食をとった。必要以上に力を込めてパンを噛む。
生存者がいたかもしれない。
いらいらする。なにか助ける手があったかもしれない。でも『虎』の処置を遅らせることはできない。あの判断は正しかった。
なら、なぜ隠すのか。『虎』による被害を実際より小さく見せる情報操作は常に行われていた。マサヒコは出動するたびにそうした事実を目にしていた。報道は、あったことをなかったことにしたり、なかったことをあるようにしたりといった明白な嘘はつかない。そんな露骨なことはしないが、真実をすこしゆがめる。あったことを小さくしたり、大きくしたりだ。
五名が死亡し、隊員が怪我したことは事実だが、その死亡に至るまでの経緯は伏せられ、隊員の怪我の程度は小さくされた。
『機関』は各国政府からは独立し、内政には干渉しない建前だが、活動を円滑に進めるために、各国政府に協力を求めている。そして、各国政府は報道機関に協力を求める。報道機関は素直に従う。従わなかったら報道機関ではいられない。
マサヒコは、その『機関』の側の人間だ。生存者を見捨てたのかもしれない。手を振って助けを求める人をだ。
牛乳を一口飲む。
きのう、『虎』退治をした。手を振る人を犠牲にしたかもしれない。
今日はどうだろう。明日は? 出動するたびにこんなことがある。いちいち考えるな。そういうことは上の方の判断に任せておけばいい。公表する必要はないと決定されたのだからそれでいい。
マサヒコがベッドにもぐりこんだ頃、東の空は白み始めていた。
起床すると昼過ぎだった。両親は出かけてしまったのかだれもいない。『機関』からはなにも連絡は来ていない。簡単に食事と洗面を済ませると、通信教育の課題を片付け始めた。
出動がない時の日常だった。いつ『虎』が出現するかわからない。『機関』のスマートフォンを持っていれば、特に外出制限はないとはいえ、遠出は面倒だ。だから、家で勉強していることが多い。そのうちに両親が帰宅し、夕食、風呂、勉強、睡眠、起床、朝食、勉強、昼食、勉強、そしてまた夕食となる。決まりきった毎日。崩す気にはなれない。
時々『機関』から連絡が入る。今後の研修や定期精度測定などの予定の伝達が主だった。直近は来月頭の精度測定になっている。
それから、スマートフォンが独特のパターンでふるえると出動だ。月に一度あるかないかという頻度だが、準備は常にできていないといけない。マサヒコは専用のかばんをひとつ作り、それをつかんで出ればいいようにしている。
こんな生活がいつまで続くのか。ずっとだろうな、と思う。『バーニング・ブライト』能力の機械化や、能力者を増やす試み、『異次元高エネルギー体』の漏出と『虎』への変化を防ぐ対策は、いずれもまったく進歩していない。
それを言うなら、『異次元高エネルギー体』に頼りきった社会の仕組みもだ。なにも変わらない。いまの科学は変える手がかりをもつかんでいない。
ただ、こうすればこうなるということを経験的につかんだだけだ。
マサヒコは目の隅でなにか光ったのを感じて窓の外を見た。街灯が点灯したのだった。道が明るく照らされている。暗い夜は、むかしの映画とかドラマでしか見たことがない。
やはり、夜は明るい。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます