バーニング・ブライト
@ns_ky_20151225
一、青いバケツ
夜は明るい。マサヒコは窓がわりのモニターを流れていく街灯だらけの町を見ながらそう思った。車にはほかに大人が四人乗っているがだれも口をきかない。窓のない車内には、空調と『虎』の捕獲につかう機器のうなりが低くまじりあってひびいている。
四人とも知らない隊員たちだった。任務のたびに交代するからだ。マサヒコは人の顔を覚えるのは得意ではないけれど、おなじ人が来たことはないような気がする。黒い防具に身を包んだ男女。『虎』に防具など役には立たないが、はねとばされたなにかの破片から身を守るためだ。みんな表情がない。
自分もおなじ顔だろうな、と思う。今日の任務の状況ではマサヒコは防具をつけなくていい。装甲があり、空調のきいた車内にいられる。でも、うれしくともなんともない。たんにそうであるというだけだ。
任務について考えただけで、もうすでに口中には酸っぱい味が広がっている。終わったらかならず吐く。いまも足のあいだに青いバケツを置いている。このバケツは傷や折れ目のひとつひとつまでよく覚えている。十歳でこの任務に携わるようになってから五年間ずっと一緒のバケツ。小さく折りたためて持ち運びに便利なバケツ。ほかの子のものだったなら水や砂を入れられていただろうが、こいつは反吐だけを受け止めてきた。
「今回は『古時計』が車載型二機、携行型一機。それから『赤の女王』が一機」
「『赤の女王』なんて使うんですか」
「念のため待機させておくが、今回も『古時計』、できれば携行型のみで終わらせたい。頼む」
大人たちが話をしている。「頼む」といった指揮官の女はマサヒコを見ながら携行型の『古時計』をしずかに叩いた。ほかの車載型はモニターでは見えない。すでに先行して配置についたのだろう。
マサヒコは大人たちの使う通称を聞き、以前受けた研修を思い出していた。かわりばえのしない内容だが、一年ごとに一週間受けている。
それによると、通称『古時計』は、正しくは『空間歪曲機(SDD:Space Distortion Device)』という。その名のとおり、空間をゆがめて閉じた領域を作り、『虎』を捕獲、回収してもとの炉に転送する機器だ。大出力の車載型と、小回りのきく携行型がある。どちらも配線や部品がごちゃごちゃしたところがむかしの柱時計に見えなくもない。
一方、『赤の女王』は、タコとエビの合成のような姿をしていてかなり大きく、専用の車両で輸送され、運用される。正式名称は、『存在減衰機(EAD:Existence Attenuation Device)』で、SDDで対処しきれないと判断された場合に使用される。空間を歪曲するだけではなく、流れるプールにたとえられる流動空間を作りだす。それにより、そこに存在し続けるためだけにエネルギーを急激に消費させ、『虎』そのものを消滅させる機器だ。
だから、使用には慎重さが求められる。『虎』に変異したとはいえ、『異次元高エネルギー体』は貴重で、失われれば大損害になる。空間に亀裂を作って新しい高エネルギー体を呼びこむには莫大な費用と年単位の時間が必要となる。国際組織との調整も手間だ。
マサヒコ自身が所属している機関は、その国際組織の下部組織で、『異次元高エネルギー体』の漏出に対応する。組織名は『異次元高エネルギー体による特異事象対応機関』で、縮めて『機関』と呼ばれる。映画みたいな格好いい頭字語や省略型はない。
車のモニターにうつる夜の町はすでに避難が完了していた。警察や消防が忙しそうに走り回っている。時々国防軍の制服も見えた。ただし、『機関』の出動が要請されたので、かれらの活動は避難誘導など、現場周辺での補助的なものに限られ、『虎』が転移した建物への対応は行われない。
現場は小さな建物で、特異事象発生時には五人いたそうだが、救出は考慮に入れられていないということだ。
その建物に近づくと、通りの角に車載型SDDを荷台にのせ、まわりに盾をならべた車が配置についているのが見えた。EADは見えなかった。かれらは建物から百メートルほど離れたその位置にとどまるが、マサヒコたちはもっと接近する。それはマサヒコ自身のせいだ。
マサヒコたちが見ているモニターに建物が大きく映った。全体に細かいひびが入り、不定形の『虎』が作り出す半透明の黒っぽい特異空間が屋根を包み込むようにひろがって、粘液がまとわりついてるように見える。ときどき赤や青の血管のような光がひらめく。
現場周辺で監視している『機関』の隊員たちが見ているモニターでは、そのたびに画面にノイズが走り、とうとう中継映像は使いものにならなくなった。これからは誤り訂正信号など冗長性をかなりもたせた近距離通信にかぎられる。
車は正面に停まった。大人たちは汗をかいている。金属のような緊張のにおいが車内に立ちこめた。ここからは全員ためらいなく訓練どおり動かなければならない。
大人三人は車外へ出た。二人が『古時計』を運んで設置し、一人が監視センサーと中継器を設置して通信を確かめた。いずれも透明な盾を時限接着剤で固定して簡易な陣地をこしらえている。『虎』はやたらとものを投げつけてくるからだ。
指揮官はマサヒコのそばにいる。防具の送風ファンの音が聞こえるほど近くだった。
そしてマサヒコは『バーニング・ブライト』の状態に入った。
周囲すべてが白く輝くように感じられる。しかし、ものの輪郭は失われない。車の中にいて、座席や内装は見えるのに、その向こうも見える。『虎』がとりついた建物も見える。さらにその向こうも見える。けれど、ガラスのように透けているのではない。ただ見える、分かる。それが『バーニング・ブライト』、特殊知覚による探知能力、だ。
しかし、ひとつだけはっきりせず、黒点に見える部分があった。それこそが『虎』の中核部分と予想される点で、SDDで狙うべき場所だった。
マサヒコは、半径三十メートル以内であれば、絶え間なく動き、次元をすり抜けて振動しつづける中核部分の位置を予想できる。その精度は九十五パーセントだった。『機関』でいう精度とは、中核が予想点の半径五十センチの球内にある確率であらわされるが、いまの技術では、SDDは半径七十センチ、EADは半径十五メートルのずれを許容する。
つまり、マサヒコは頼りになる。
「警戒。外壁がゆるみ始めた。攻撃くるぞ」
「了解」
「予想はまだか」
「その発言は違反だ。能力者をあせらせるな」
細かいひびの入った外壁の一部が崩れ、投げつけてくるかのように破片が四方八方へ飛び散った。車にあたったかけらが鈍い音を立てるが、マサヒコは意識していない。白く輝く空間の中で、揺れ動く黒い点の位置を正確に求めようとしている。唾液が苦酸っぱい。
「SDDおよび中継担当、状況は?」
「機能しています」
車外の三人は自分たちが無事かどうかは答えない。そんな答えは求められていない。中核の予想座標が送られたときにスイッチを押せるかどうか、通信を中継し、記録を取り続けられるかどうかだけが求められている。
さらに鈍い音が天井からする。車内からもへこみがわかる。防具に身を包んだ指揮官は状況を確認し、指示を出しながらマサヒコを見ていた。まだ幼さをのこした少年だった。鼻の下のはひげか産毛かもわからない。真っ青な顔をして焦点の合わない目であちらこちらを見ている。
それでも、この少年以上の能力者は日本、いや外国にも存在していない。能力は有効半径と精度を組み合わせてあらわされ、マサヒコは三十-九十五だが、たいていは二百五十-六十五とか三百-七十あたりが多い。
今回も予備としてそのような平均的能力者が待機してはいるが、『バーニング・ブライト』能力は互いに干渉して精度が下がるので、同一目標への同時使用はできない。
それはSDDやEADもおなじで、空間歪曲は一度に一台だけしか機能せず、命中時は機能を果たす過程で崩壊する。命中しなくても一度の使用ごとに手数のかかる長時間の整備が必要になるので連続使用はできない。
マサヒコの指が右太ももにつけているパッドをすべる。その動きから自動的に座標が入力された。しかし、「一次」の黄色のタグ付きだった。大まかに絞りこめたが、まだ正確性に疑問ありというしるしだ。マサヒコの能力からすると、大まかというのはだいたい六十五から七十五パーセントくらいの精度にあたる。
それでも、能力者が機能を喪失する状況を想定し、精密さに欠けてもある程度わかったところで一次座標を報告する手順になっていた。
「SDD担当、一次座標は伝わったか」
「受信。合わせま……」
はげしい咳が聞こえてきた。
「音声不明瞭。あらためて報告せよ」
「一次座標入力完了。機能正常。最終座標を待ちます」
SDDやEADについては、遠隔操作や人工知能による自律操作が試されたこともあるが、いずれも不確定要素の多すぎる『虎』相手では不満足な結果しか得られなかった。有線操作は『虎』の乱数的破壊行動に対しあまりにもろすぎた。無線操作は『虎』付近での空間のゆがみによる通信不安定のため信頼性が実用に耐えないほど低下した。
また、人間ほど臨機応変に対応できない現在の人工知能は金を食うばかりだった。危険でも現場に人間が必要だった。機器類も枯れた部品ばかりで組み上げられ、重くて大きく非効率だが、確実に動作する。それが求められていた。
「おい、あれ……」
中継担当が冷静さを失った声を出した。
「どうした、正確に報告」
「人です。人の手だ。振ってる」
「生存を確認したのか」
「いえ、未確認です。右腕前腕部。二階の窓で振っています」
「『虎』が操作しているのではないか」
「不明。確認を提案します」
「却下。われわれの任務ではない」
「では、ほかの組織に引き継いで……」
「われわれが出動した以上、それはない。記録のみ行え」
マサヒコはジグソーパズルの最後のピースがはまるときのような感覚と、錠が開くときのような感覚が走るのを感じた。まちがいない。
赤いタグ付きの最終座標が送られ、SDD担当は入力してスイッチを押した。
SDDは縮めていた出力板と歪曲針を展開し、座標周辺の空間の歪曲を始めた。その様子は肉眼ではわからないが、センサーがとらえている。外見はごつい防具をつけた操作員がそばに立っているのと合わさって、古時計ではなく、カニが潮を招いているようだ。
しだいに周囲にまとわりついていた黒い空間が消え、支えをうしなった建物は内側へ倒壊した。あの右腕はがれきとほこりのなかに消えた。
「安定しました。捕獲、固定完了」
その瞬間、すべての通信が回復し、映像が入ってきた。『虎』の消えた建物は全壊、隣接する建物はとばされた破片でほぼ破壊されている。稼働中のSDDによりかかっている担当ふたりは血とほこりまみれで、中継担当のおなじような顔には涙が筋を作っていた。
「炉の準備はできている。転送許可がでた」
青いバケツに吐き続けるマサヒコの背をさすりながら、女は指示を出した。
転送処理が始まり、その過程でSDDは仕様通りに崩壊した。それと引き換えに『虎』は炉に転送され、そこで『異次元高エネルギー体』にもどった。これで社会の基盤であるエネルギーは守られた。どんな物質よりも高効率にエネルギーを生み、環境負荷はない。炉の中にあるかぎり、人類が手にし、作り出してきたあらゆるエネルギー生産方法を上回る。これなしでは社会の安定的発展は望めないだろう。
それほどまでに依存しているが、いまだに漏出事故が絶えない。しかし、交通事故にくらべれば被害はわずかだ。交通事故の被害者数を見て車をやめろという者がいないのとおなじで、『異次元高エネルギー体』の事故があったからといっていまさらむかしのエネルギー生産方法にはもどれない。
女は被害の様子を見て動揺した自分に皮肉をいうようにそう考えながら、車外の三人の応急手当てをすませた。救急車のサイレンが遠くに聞こえてきた。
マサヒコはふらつく足で、青いバケツの中身を溝にあけていた。
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