刀神
ささむし
序の段 画狂ひは当座の一筆が大事也
葛木の山中にある神社の奥宮、古びた鳥居には「一斬主神社」と書かれた額がかかっている。参道は掃き清められていて、木の葉一枚落ちていない。玉砂利が踏みしめられて鳴った。じゃりじゃりと人の歩く音がした。
「さて。そろそろ行くかな」
竹箒を手にした白の狩衣姿の青年はぽつりとつぶやいた。肩までの長さの黒髪を紐でちょんと犬の尻尾のように結んでいる。琥珀の瞳は光の入りようによって青味がかって見えた。人の形をしているが、人らしい気配がない。
善きも悪しきも一斬り、故に一斬主と伝えられた御神刀。通称三郎丸、それが青年の本性だ。二振りの兄、一郎丸と二郎丸はとうの昔に人里へと下りている。人が沢山いる場所がどうにもおっかないと社に残っていたが、観念して山を下りようと決めて、三郎丸は最後の掃除に勤しんでいた。人の形は化身で本体の太刀は社に奉納されている。腰に佩いて下界に行くと、検非違使のような者に捕縛されると聞いていたので、綾織の袋に入れて下げ緒で口を縛りつけた。狭苦しい感覚がするが仕方がない。人のように食物も飲み物を必要としないので、荷物は少ない。大昔に奉納された残りの古銭と小判を懐に入れてから、結界の注連縄を境内を囲むようにぐるりと張る。三郎丸が最後に社の方を振り返った時、御神木の枝が手を振るようにざわりざわりと揺れた。
人の子と同じように居を構えて数日。三郎丸は危機に陥っていた。
「鍵が、ない」
狩衣姿は目立つので、シャツにジーンズ、上にジャケットを羽織っていたが、ポケットに入れたはずの鍵がいくら探っても出てこない。これでは部屋に入れない。ぼろいアパートの扉である。斬って壊すこともできるが、騒ぎになる。鍵を開けてくれる業者があるのは知っていたから、電話番号を調べて連絡をした。
「まいどっ!かきやです」
しばらく待っていると、小柄なひとの娘がやってきた。黄金色の髪に碧玉のような瞳をしぱしぱと瞬かせている。空色の作業着で手には工具箱を携えていた。
「早速ですが、鍵を開けてもらえませんか」
「無理です」
即答だった。
「鍵屋かぎやさんですよね?」
「いえ、かきや。描くえがくって字の方ね」
呼ぶ業者を間違えた。三郎丸はがくりと肩を落としてうなだれた。描き屋はその様子を見て哀れに思ったのか、しばらく考え込んでから聞いてきた。
「扉が開けばいいの?」
「……そうだけど」
「それなら、いけるかな」
工具箱から筆や絵の具を取り出すと、描き屋は扉に何かを描きはじめた。
「はい、完成!」
扉に手が入るくらいの穴が書かれていた。そこへ描き屋は手をつっこみごそごそまさぐった。かちりと音がして扉は開いた。三郎丸は目を丸くした。
「穴を開けたのか」
「いんや、描いたの。わたしが描いたものは何でもほんとになるんよ」
にかりと笑うと、描き屋は掌を差し出した。絵の具まみれの手をまじまじと眺めている三郎丸に催促するように告げる。
「お代、何くれるのかな」
「待て。この穴、消せるのか」
扉に穴が開いたままでは大家に怒られるし、物騒極まりない。扉が開いているのと同じだ。本性が刀だから、そんなに困ることでもない気もするが、一応は人の世の習いに従うつもりはあった。折角描いたものをすぐに消す様に言われて、描き屋が不機嫌になるかもしれないがしょうがない。
「いいの?消して」
「鍵が役立たずになるじゃないか。スペアがあるから、消してくれ」
「へーえ……。今までのお客さん、そのまんまにしてってみんな煩かったんだけど。あんた、珍しい」
工具箱から取り出したガラス瓶に満たされた液体を、ぼろ布に染み込ませるとごしごし穴の絵をこする。ごしごしと拭くうちに絵の具が薄れていく。
「はい、元通り。ねえ、手を出してよ」
「手……か?」
三郎丸の差し出した手をとって、描き屋はその肌を指でなぞった。手首から肘まで、ゆるりと渦を巻くように辿る。
「描き料代わりに、ここに描かせてよ。綺麗に描くからさ」
「穴を開けられるのは困るぞ」
「開けないよ、模様を描いてあげる。すぐに消すんでしょう?」
「刃金みたいに滑らかだね。描きがいがありそう。描いて消して、また描いて。うれしいなあ」
「変なやつだな。絵を消されるのがうれしいなんて」
「だって、消さないと描くところ無くなっちゃう。いくらでも描きたいんだもん」
眉を顰めた三郎に、描き屋はけらけらと笑った。
刀神 ささむし @sasanogo
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