第2話


 二人の男が森の中で向かい合っていた。アルシアと法衣を着た修道士然のような男だ。


 アルシアはいつも通り覇気が無く傍から見れば、布の服と合いまりただの一般人にしか見えない。一方、漆黒の法衣を纏った男は尋常ならぬ魔素を周囲にただ寄せていた。


 魔術師には二通りのタイプが存在する。

 一方は魔素を意図的に漏らすことで他人に威圧を掛ける自分の力を誇示しようとする魔術師。

 他方は、己の魔素を完全に隠蔽し自分の実力を隠す魔術師である。

 この二つは明確に分けられているわけではないが前者は二流、後者は一流の魔術師のイメージを多くのものが持っているのだが、この男の場合はそのどちらにも当てはまらなかった。

 この男は小惑星の魔素量にも匹敵する膨大な魔素を身一つに宿しているからこそ微量にだが魔素が漏れ出してしまっているのだ。そしてその微量な魔素は常人にとっては有りえないほどの魔素の量となっていた。


 そもそも小惑星の存在量にも匹敵する魔素量を持つなど常識では有りえない事である。大きさ、熱量、質量あらゆる構成要素から考えれば、人間を維持するのに必要な魔素量など大小はあるがたかだか知れている。

 つまり、アルシアの前に立つこの男は、人の姿をしながらその中身は人ではないであるのだ。

 そしてその異常差を知っていてなお、アルシアの態度が普段通りであると考えるなら傍目から見た見え方も変わってくる。

 何故なら、人は強大なモノに対して畏怖、恐怖、羨望を抱かずにはいられないものだからだ。

 この状況は例えるなら大自然の災害の前で一人立ち止まっているようなもので、

 そんな状況下で冷静で居られるものは自分の状況を認識しようとしない馬鹿かあるいは自然災害という無意志な暴虐の力に対抗しうる力を持ち得ている他ならない。


「アルシア・フォーンヘルト……。神託を伝える。大樹の歪みの調停を終えた貴殿は役目を果たした事となる。よってこれより貴殿に長期の休暇を与える。これは神からの恩賞である。使徒としての活動は今後神託が下りるまでする必要はない」



 低い声で厳かに神託を告げた法衣の男の名はホルンケス。

 それを呑気にいや、穏やかに聞いていたアルシアは笑みを浮かべながらホルンケスに尋ねる。


「長期休暇ですか……まあ、数百年近く働いていた訳ですし、有り難い事ですね。あの方は他に何かおっしゃっていましたか?」



「……。何百年か時間はやる。休むには十分過ぎる時間だろう?まあ、何かあったら呼ぶから腕は鈍らせるなよ。とおっしゃっていた」


「あの方らしいですね」


「貴殿は、これからどうする気だ?」


 ホルンケルは今後のアルシアの動向が気になっていた。

 使徒にとって神のために働く事は最上位の至福であり、短期的な空き時間はあるものの自ら長期間休みを求めるなんて事は前例も無く、愚の骨頂としか言えないからだ。

 だというのに、使徒の筆頭ともいえるこの男がそれを申し出た。

 一体何をする気だと勘ぐってしまうのも仕方ない事であった。


「そうですね、ひとまずはこの大陸を回ろうかと。目的も何もないんですけどね」


 小さく笑いを零しながらアルシアはこれからどうするか子どものように楽しそうに考えていた。

今までの制限された生活。決して嫌いでは無かった。

しかし、なんとも言えない寂寥感を感じていたのも事実であった。

だからこそ、今回わざわざ神に申してまで使徒としての活動を休止して、この大陸を回ろうと決めたのであった。


「目的はないか。だが今回の件は貴殿からの願い立てだと聞いている。何故だ?」


「まあ、こういうことを一度はしてみたかったんですよ。ほら歪みの調停は篭りっきりの陰鬱とした仕事じゃないですか。だからそんなわけで今回のは気分転換のようなものと思って下さい」


 その帰ってきた返答にホルンケルは納得はいっていないもののこの男の秘匿性の高さからこれ以上聞いても無駄かと悟り、諦めることにした。


(あの方に敵対することはありえない。それだけの信頼はあるからこそあの方も許可を出したのだろう。)


「……そうか。貴殿は元々我々とは独立した存在であるからこちらからしても支障は無い。存分に休暇を楽しんでくれ。私はこれからあの方のいる大陸にもう戻るとするが要件があるなら今のうちに言って貰いたい」


 アルシアは少し考える素振りを見せるがそれを直ぐに辞め、笑顔で答える。


「ないですね」


「分かった。では」


 これ以上話すこともないだろうと判断したホルンケスは法衣を捲り右腕を晒し、そして十字をきる仕草をする。

 アルシアは権能の発動を感じ取る。


「はあ、便利な力ですね」


 アルシアの権能は対象の破壊や消滅に全振りした能力で有るため、ホルンケスのような補助魔法よりの権能が羨ましかった。


「そう便利なものでもない。色々と制約も多いからな。 ……貴殿に神のご加護を」


 その言葉を最後に淡い光が足元から包み込むようにホルンケスを覆い、やがて光と共にホルンケスの存在は消失した。

 これが神の使徒第三席、『救恤の修道士』ホルンケス・ゲントリアの権能。

『転送』である。

 移動に限らず、あらゆる現象を対象から対象に移すことが可能であり、アルシアの純水な破壊の力と違い色々と応用が利く便利かつ有能な能力と言える。

 欠点として挙げるのならば、多量の魔素を必要な位で小惑星に匹敵する魔素量を持つホルンケスには関係のない話であった。


 アルシアはホルンケスが完全に帰ったのを見送った後、森の出口に向かって歩き始めた。


「さて」


 森がざわついた。


「ん?今のは……」


 微かに聞こえた人の嗚咽。

 それは超越者たるアルシアであるからこそ聞こえた音であった。

 そしてそこからすぐにおおよその状況を理解した。


 (村人が迷い込んだといったところですかね。

 回収するだけなら手間でもありませんし、向かうとしますか。)


 アルシアは慈善活動を自らするような人間ではない。

 であるから使徒としての活動中であるならば間違いなく無視をしていた。

 しかし今は丁度、使徒活動を休止した訳で、それに近くの村には荷物を預けていたままだったので旅に出る前に一度戻るつもりであった。

 またこれから旅をするのにあたり色々とモノがいるだろうし村人に恩を売っておくのは悪くないと打算が働き、足の方向を帰りとは正反対に向ける。


 そして駆け出す。


 木々を潜り抜け、途中出会う魔物をナイフで切り刻みながら森の中を進み、声の発生源に近づいていく。


 そして、木々を抜け小さな祠にたどり着く。


 (こんな所に祠が。

 まあしかし大きさから見ても大した事は無く、神性も感じられない。入っても問題なさそうですね。)


 休業中とは言え、神の使徒である自分が異教の神の祠に勝手に入るのは失礼だと考えたが、神の気配ともいえる神性を感じなかったので中に入ることを決め、祠に足を踏み入れた。


「余り手入れされているようにはみえない。忘れ去られた祠といった所ですかね」


 辺りを見回し、そう結論付ける。そして次にその端で丸くなっている生物に視線を向ける。

 視線を向けるとびくっと痩せ細った体を震わし、淡い空色の髪のすき間から怯えるような瞳で此方を見つめてくる。

 7歳くらいな外見に見えるが、痩せ具合からしてもう少し上だろうなと考えながら見ていると、丸まった体をさらに丸くしてしまう。


「あ、あなたは、だれなの?」


 たどたどしい声。

 少女は突然現れたアルシアに完全に怯えていた。


「私はアルシア。貴方は……ここら辺では珍しい綺麗な朱色の瞳ですね。北の大地カルアント地方の血でも混ざっているのでしょうか?」


「……お母さんは、北の遠くから来たって言ってたの」


「じゃあ、私の考えは当たりのようですね。所でどうして貴方はこんな所にいるのですか?それも一人で」


「わ、わたし、森に捨てられて、それで変な生き物に襲われて、走ってて……」


「なるほどそれで走ってたら、この祠にたどり着いたという訳ですか」


「う、うん。そうなの」


「そうだったのですか……」



 この場面、子どもが一人捨てられているのを見てしまったとき普通なら放置する事はないだろう。また、たとえ見捨てるとしても良心が痛むのは当然だ。

 しかし、アルシアは普通のではない。

 彼は使徒であり、彼らにとって人も獣も魔物も大差はない。

 だから自分にとって意味がないのならそれに興味を持つ事は無く、そこらに転がる石ころのようにどうでもいい存在でしかなかった。


「これから、頑張って生きてくださいね」


 少女を助ける理由も無くなったアルシアは冷酷ともいえる判断を即座にし、踵を返すように祠から出ようとする。


 それを止めるように少女が叫ぶ。


「ま、待ってなの!」


「何ですか?」


 アルシアは呼びかけられたので足を止め体を後ろに向ける。

 少女は逃げる最中に足をやられていたようで足を引きずるようにアルシアに近づいてくる。

 泣きそうな顔で必死に。

その姿は哀れで滑稽にアルシアには映った。


アルシアのような生まれ持った強者と生まれ持った弱者である彼女の間には理解するには程遠い隔絶した差があった。


 だからアルシアはそれに何の感慨も持たず、ただ見つめていた。

 そんなアルシアに対して少女は掠れた声を必死に絞り出す。


「あの、わたし、な何でも、するの……。わたし、捨てないで……なの……」


 その言葉は自分を誰かと混同しているのだとアルシアは考えた。

 何故なら、捨てるも何もこの少女とは今あったばかりなのだから。


「貴方を捨てたのは私では」


「じゃっ、じゃあっ、わたしを買ってなの? 荷物持ちだって、せ、性欲処理だって出来るの……」


 少女は言葉を遮るように必死そうにアルシアに問い掛けるがアルシアは苦笑いを浮かべる。


 正直な感想は困ったなと言った所であった。

どこからどう見ても荷物を持てるような体格でもなく、アルシアには少女趣味などもないのだから当然といえる反応だ。


 律儀にもどう断るか考えていたアルシアは、少女の一言に思考を止める。


「やだの……。一人はもうやだの……やだやだやだ、やだ」


 死への恐怖では無く、また一人になることにこの少女は怯えている事に気づいた。

孤独。

その感情をアルシアは持ったことない。

だが、それが少女にとって死より恐ろしい事なのだという事は理解できた。

そして、それがどんな感情なのかアルシアは興味を持った。



「貴方は死が怖いですか?」


「……。怖、くないの。怖いのは、怖いのは一人ぼっちでいること……。誰もわたしを見ないで必要としてくれない……」


 涙を零しながら、答える少女。


「孤独というモノは生物の中でも限られた種のみが持つ特有な感情です。それがどういったモノかは私には理解することが出来ませんが、生物において生存本能は全てにおいて優先されるモノかと思っていました。しかしどうやら、違ったようですね」


 アルシアはここでルナをどうするか考え直し始める。

 先ほどまでとは違い、彼女を連れて行くか行かないかでだ。

 そして、そんな事を考えている内に明らかに自分にとって利益の一つもないというのに、どうして私は今、迷っているのだろうと疑問に思った。




ふとある会話を思い出した。

 


数百年前。

第四席『理の担い手』と第十三席『道化師』の会話でのことだ。


『どうもこうもお前らって奴は真面目すぎてつまらん。効率や利益だけを追い求めて人生楽しいか?もっと無駄な事してみろよ』


道化師のその言葉に『理の担い手』は不思議そうな顔を浮かべた。


『そうは言ってものう。あのお方の命に最大限全力で答えるのが我らの務めであろう。無駄な事をして何になるというのじゃ?』


『かああぁぁ、分かってねえなぁ。無駄ってのは最高なんだぜ。無駄な時間の浪費、無駄な努力、無駄な思い。どれもこれも最高だ。今のおまえらはただの喋って動く只の人形よ。人を少しは見習え。あいつらは無駄な事をいつだって全力で楽しんでいる。あいつらにとってはそれは無駄じゃねえ別のなんだよ。それを知らないうちは人生損してるぜ、あんたら』


『ふむう、お主の言うことはよう分からんわ』


『当たりめえだ。これもだからな』





 無駄。

(結局、道化師が言っていた事は私にも良く分からないままであった。

何も考えずに只適当に言っていただけかも知れない。

あの男ははそう言う奴であったから。

 しかし、無駄な事をしてみる。そういうのも悪くないかもしれない)


アルシアは道化師の言っていた無駄な行い、そして少女が言う孤独は、自分の感じていた寂寥感ともしかしたら似たようなモノなのかも知れないと考えた。

この自分の感情を理解するのには感情豊かである人の力は必要不可欠であるのではないか?

そう理屈づける。しかし、その考えを直ぐに振り払った。



(どれも言い訳だ。只、私はこの少女に興味を持っただけでしかない。他は己を正当化するための言い訳にしか過ぎない。であるならば、初めから私の答えは決まっている)


「あの……」


 アルシアが突然黙りこくってしまったので少女は戸惑いつつも待っていたのだが、不安からか尋ねてしまう。

 そしてそんな少女を見ながらゆっくり口を開いた。


「私の話相手として着いてきますか?結構大変ですよ」


「え…………。あ……でも、いいの? わたし、たぶん役に立たないの……。力もないし、胸も小さいし」


 まさか、本当に自分を買ってくれるとは思っていなかったようで彼女は一瞬硬直してしまうがすぐにはっとする。そして不安そうに自分の事を卑下しだす。

 少女は今になってアルシアの手を取るのを迷った。それはきっと、恐怖からだ。

 また、捨てられるのではないかという恐怖。

 それがこの少女を迷わせてしまっているのだ。

 自分をさっきまで買ってくれと言っていたのにいざそのときなったらしり込みしてしまうその様子から少女が情緒不安定であることがアルシアにも分かった。

 だからアルシアは安心させてあげようと膝をつき、優しい声音で話す。


「それでも大丈夫ですよ。だから着いて来ますか?」


 アルシアの言葉を聞いて安心したのか少女は決心するかのように此方をみる。


「う。うん。着いて……行きたいの。わたし、頑張るからっ」


「そうですか。じゃあ行きましょうか」


 そう言って少女の痛めた足に注意しながら持ち上げ両手で抱っこをすると、少女は驚いたようで可愛らしい声をあげる。


「ひゃぁっ」


「すみません、驚かせてしまったようですね」


「いや、大丈夫なの……」


 顔を瞳と同じ朱色に染めながら答える。

 抱っこされていることが恥ずかしくて頬を赤く染めていたのだがそれをみたアルシアは寒さで風邪を引いているのかと思い、額に手を当てる。


「少し熱いですね。こんな所に薄着なのも余りよくないでしょう」


 片手を瞬時に開け、亜空間から薄い布を取り出し、少女を包み込むとわっと驚いた声をあげる。その絹のような手触りから少女は心配そうにアルシアに質問する。


「あの、これ高い布なんじゃ……。汚れちゃうの……」


「気にしなくていいですよ。都市で買った安物です。あと、足は痛みますか?」


 細い足は折れているようで赤く腫れ上がっていた。しかし、骨自体はずれていないようでこのまま固定すれば問題ないだろうと結論付けた。


「え、あ大丈夫なの」


 そう言いつつも少し引き攣った顔をしていたので少女が我慢しているのが分かった。

 人に迷惑をかけまいと我慢する。それは決して悪いことではない。

 しかし、旅路を共にするというならその相手の状況を深く知っておく事が大切である。

 もし体調が悪いのを隠し、無理な行軍をして魔物と戦っているときに倒られてしまう方が困るからだ。


「そうですね、これから旅路を共にするのですから私達との間には嘘はない事にしましょう。これは私たち二人の盟約です」


「盟約……?」


「約束って事ですよ。それで、もう一度聞きます。足は痛みますか?」


「ちょっと痛い……けど、大丈夫だと思うの」




「少し痛みますか……。では振動が響かないようにゆっくり帰る事にしましょう。宿に帰れば荷物の中にこの程度の傷は治せる回復薬がありますからそれまで辛抱して下さいね?」


「う、うん。あの、帰るって村に?」


「そうですよ。この森に寄る前に荷物を宿に預けてきましたから」


「そっか」


 少女は不安そうな顔を浮かべているのは当然で自分を捨てた村の人たちとどんな顔で会えば良いのか悩んでいた。あのむらの人たちの性格からしていざこざが起きることは間違いないからだ。

 そんな少女の気持ちを見透かしてかアルシアは安心させようと声を掛ける。


「不安そうな顔をしなくても大丈夫です。何かあっても私が守りますから。まあ、そんな面倒な事にはならないと思いますし。 では行きましょうか」


「……うん」


「そういえば、貴方の名前は何と言うのですか?」


「わたしは、ルクナリア。お母さんにはルナって呼ばれてたの……」


「ではルナ、行きましょうか」























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紫電の王 @nupopo

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