にまにま:ホワイトデー

 三月十四日の朝、あたしは普段よりちょっと早く起きた。いつもは布団から離れるのが惜しいんだけど、今日ばっかりはスパッとね。手早く身支度を整えて、朝ごはんを食べて、ケータイを握りしめて待つ。いや、ケータイに連絡入らないかもしれないけど。


 ケータイは震えなかった。玄関のブザーが、ビビーッと品のない音を鳴らした。


「はーい!」


 あたしは短い廊下を走って、玄関に突撃した。


 曇りガラスに映るシルエットは、黒地に赤が入ったジャージ。玄関の鍵を開けて引き戸を開けると、マツモト先生が立っていた。


「おはようございます」


 背中にリュックサック。登山用みたいに、ベルト付きのやつ。息が上がってるし、走ってきたんだな、これは。


「おはようございます。上がります?」

「いや、渡すだけやけん、ここでよかです」


 ホワイトデーの今日を控えて、昨日の夜、マツモト先生からメールが入った。


《明日の朝、子どもたちが登校するより早く、タカハシ先生のお宅にお邪魔していいでしょうか?》


 どうぞ、って即答。ハートマーク付けようかと思ったけど、やめといた。プレゼントもらえるからって喜んでたら、なんか図々しい感じがした。


 マツモト先生は、リュックサックを胸に抱えた。サイドのポケットから、ピンク色の紙包みを取り出す。


「これ、バレンタインのお返しに……大したもんじゃなかですけど……」


 紙包みをあたしに差し出しながら、というか、突き付けながら、マツモト先生はちょっとそっぽを向いてる。照れてる? 照れてんだよね? なんか中学生みたいな照れ方してない?


「あああ、ありがとう、ございます……」


 てか、あたしまで照れるし。うつったよ。顔熱い。


 軽くてちっちゃな紙包み。アクセサリー系? 開けていいですか、って訊いたら、マツモト先生はうなずいた。無愛想な表情に見えるけど、これ照れてるときの顔なんだ、って今さら気付く。


 破らないように丁寧に、紙包みを開けた。中から出てきたのは、アナログな腕時計。四葉のクローバーのモチーフがかわいい。


「腕時計、ほしかって言いよったでしょう? 学生時代までケータイで時間ば見よったけん、ちゃんとした腕時計ば持っとらんって。安か時計はこの間、壊れたって」


 ぼそぼそと、言い訳するみたいな口調。ぶっきらぼうに聞こえるから、そのしゃべり方、もったいないですよ。


「ありがとうございます! 時計、すごいかわいいです!」

「よかった。メーにアドバイスしてもろうたとです」


 それ言わなくていいって。かわいい時計選んだの、自分の手柄にしちゃえばいいのに。メーちゃん本人も、アドバイスのこと口止めしたでしょ?


 ま、いいけど。そういう嘘つけなくて正直すぎるとこ、マツモト先生の長所だし。あたしはね、もっとずるくてちっちゃい人間だから。


「今日から早速、付けて行きますね!」

「はぁ……え、まあ、どうぞ」


 マツモト先生は、早々にリュックサックを背負い直した。そのまま玄関を出て、立ち去ろうとする。


「ちょ、ちょっと待って!」

「うわっ」


 あたしはリュックサックに飛びついて、マツモト先生はバランスを崩しかけて、たたらを踏んだ。振り返りかけた肩に手を置いて、あたしはつま先立ちになる。


 一秒だけ、あたしは、唇をマツモト先生の唇に押し付けた。


「ありがとうございました!」


 マツモト先生の顔を見ずに、あたしは勢いよく頭を下げた。玄関に飛び込んで、引き戸をピシャッと閉めた。曇りガラスの向こうに、棒立ちのマツモト先生。あたしは心臓がバクバクしすぎて、どうしようもない。


 居間に駆け込んで、お気に入りのクッションに顔をうずめて、言葉にならない何かを叫んだ。マツモト先生にもらった腕時計を、左腕に付けてみる。にまにましてしまう。




 この日は一日じゅう、にまにま続きだった。四年生たちは、全員で平等にお金を出し合って、バレンタインのお返しを用意してくれていた。流行ってる妖怪のおまけが付いた、どこにでも売ってるお菓子だったんだけど、ちゃんとラッピングされてて、一人ひとりが書いてくれたカードも添えてあった。


 お金使わせちゃったことは、申し訳ないって思うべき? でも、嬉しいのは事実。


 大人びてるサリナちゃんが、気を遣ったことを言ってきた。


「みんな、家の手伝いばして、お金ば稼いだと。何に使うためのお金か、おかあさんにも説明したとよ。おかあさんも、ちゃんと認めてくれたばい」


 もともとは島っ子じゃないサリナちゃんだけど、このところ完璧に島の言葉になってる。いいなぁ、と思う。あたし、聞くのはできるけど、しゃべれないから。


「そっか。みんな、あたしのために頑張ってくれたんだ。ありがとうね」


 優しいダイキくんは、もう一つ、プレゼントを持ってきてくれてた。水仙の花だ。


「これ、うちの畑の隅に咲いとっと。キレイかでしょ? ほんとは椿のほうがキレイかとけど、教室に飾るなら水仙のほうがよか、っち、おかあさんが言いよったけん」


 ちょくちょくお花を持ってきてくれるダイキくんは、お花を生ける仕事にも慣れてる。ダイキくんがお世話する花瓶は、花と葉っぱのバランスも考えて生けてあって、ふとしたときに癒されるんだ。毎回、デジカメで撮ってある。


「ありがとう。椿の花、今度、見せてもらいに行こうかな。四年生最後の理科の時間には、みんなで散歩しようか」


 子どもたちが歓声をあげた。元気だね。あたしも負けずに元気でいなきゃね。


 妖怪のお菓子のおまけだったオレンジ色の猫ちゃんは、黒板のそばに飾ることにした。板書の途中、つぶらな瞳が目に留まるたび、こっそりにまにましてしまう。


 ほんとに、嬉しい一日だった。

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