九月二回目の金曜日:運動会(一)
あたしが通っていた小学校は、ニュータウンにあった。児童数千人くらいの大きな学校。中学校も高校も、けっこうなマンモス校だった。離島と比べたら、あたしの育ちのほうが日本のスタンダードだと思う。
あたしが育った地域でも、市や町の体育祭はあった。でも、自治体規模の体育会系イベントって、みんなが参加するものじゃなくて、運動能力の高い皆さんが本気で競技に取り組むもので、そこまで運動ができるわけじゃないあたしには、無縁のものだった。
だけど、離島では全然、違うんだよね。まあ、全校児童三十人で運動会なんてできないのは、考えなくてもわかる。
運動会の紅白は、地域でざっくり分けるらしい。昔は別の校区だったところを境にしてるそうだ。この島、もとは三つの小学校があったって話だから。島の地理がまだわかってないあたしには、ピンと来ないんだけど。
島の人口は少ない割に、面積はかなり広い。海からいきなり山が生えたような地形で、道はぐねぐねしてる。狭い平地に無理やり建ってる家ばっかり。
片道一時間くらい歩いて学校に来てる子もいる。島の裏側から、山越えしてくる子もいる。
マツモト先生のクラスに、もっとすごい子がいた。この島のそばに浮かんでる離れ小島に住んでる子。毎日、舟でこの島まで渡ってきてるらしい。
「家庭訪問、どうやって行ったんですか?」
「舟で行ったに決まっとるでしょう」
いやいやいやいや、そんな当然な顔しないでよ! 舟通学とか、聞いたことないし!
「離島では、こういうこと、よくあるんですか?」
「うちの県内では、何校か、スクールボートば使いよりますよ」
スクールボート? って、スクールバスの舟バージョン?
そういや、海上タクシーなるものが存在するんだよね。要するに、チャーター船。何人かの乗合で、出してもらうの。あたしも、隣のちょっと大きい島に買い物に行くときに乗せてもらった。
「離れ小島の子どもは、海がしけたら、学校どうするんですか?」
「台風で休校するときと同じ扱いです」
「欠席するんですか?」
「するしかなかでしょう」
「まあ、確かに」
「凪いできたら、遅れてでも出てきよりますよ」
その話、どっかで聞いたことある。あー、あれだわ。『みなみのしまのハメハメハだいおう』風が吹いたら遅刻、雨が降ったらお休み。リアルな話、そうなんだ。
二学期に入って、体育は全部、運動会の準備や練習になってる。時間割の都合ができるときは、全校で運動場に出て、行進やダンスをする。
おかげで、めちゃめちゃ日焼けする。日焼け止めを塗っても塗っても、動いて汗かいて流れていくから、意味がない。職業柄、どうしようもないか。運動会は、晴れてるシーズンを狙ってスケジュール組むものだし。
何の競技をやるにしても、全校なんだよね。
徒競走は、全六組。一年生から六年生まで、それぞれの学年で一組ずつ。
ダンスも、全校ダンスが一種目だけ。大流行中のアニメのエンディング曲に合わせて、体操という名のダンスをする。なぜか教職員も一緒に。去年までは、子どものダンスは子どもだけだったらしいのに。は、恥ずかしい……。
「なんで踊ることになったんですかぁ……?」
やたらキレキレのダンスを披露するマツモト先生に愚痴ってみた。マツモト先生は、謎の答えを返してくれた。
「妖怪のせいじゃなかですか?」
「はぁ?」
「子どもたちに訊いてみたらよかですよ」
あたし、そのアニメ、全然知らなかった。というか、高校に上がったくらいから、アニメなんて観なくなってた。子どもたちの下敷きや筆箱に、同じ猫のキャラがついてるなー、って思ってたんだけど、それがその大流行中のアニメのマスコットキャラらしくて。
「えーっ、タカハシ先生、知らんと!?」
子どもたちにとって、あたしの無知は、全力で大ショックだったらしい。その猫ちゃんを知らないなんて人生ソンしてる! くらいの勢いで、あれこれ語られた。おかげで、一応、ひととおりの知識は身に付いた。
「今の子たちが好きなモノって、複雑だなぁ……」
あたしはゲームを知らない。っていうのは、たぶん、感覚が古いよね。子どもたちの感覚についていかなきゃいけないのに。スマホの無料ゲームでも始めてみようかな。でも、時間ないしなぁ……。
日焼けした肌がヒリヒリする。子どもたちと一緒のペースでダンスやったせいで、筋肉痛。こういう日々が、九月末の運動会本番まで続くわけか。
と。目の前を、手の平がひらひらした。
「タカハシ先生? 起きとります?」
……やばっ、寝てた! 職員室で、テストの丸付けの赤ペンを持って、目を開けたままで寝てた。
「お、起きましたっ!」
我ながら正直な……。
マツモト先生が、呆れた顔で、あたしを見下ろしている。
「もう教頭先生も帰ったばってん、タカハシ先生はまだ残るとですか?」
「え……って、じ、時間っ!」
「商店、閉まりましたよ」
「ですよねー……」
「うち、来ます?」
すーっごい自然に言ってくれますね、あなたは。彼女を家に誘ってるのでしょーか? それとも、あれですか? ごはんがなくてかわいそーなおっちょこちょいを救ってやろうってだけですか?
そんなこと言われて、あたしがドキドキしてるの知ってます? 知らないでしょーね、おそらく。
「……お邪魔します」
「そぃなら、丸付け、うちでやればよか」
仕事の持ち帰りはアウト、とか世間では言ってるけどさ。持って帰らなかったら、学校に泊まり込みだよ? 外食できてコンビニもある都会の学校だったら、まだいいけど。こんな離島の場合、持って帰るしかないの。
「マツモト先生、あのぉ……」
「はい?」
「指導案、チェックしてもらえませんか?」
マツモト先生が「えっ」と小さく声をあげた。あたし、変なこと言った? 首をかしげたら、マツモト先生はそっぽを向いた。
「すなおに頼ってくるって、珍しかですね」
そうだっけ? だって、家にお邪魔するとき、いつもいろいろ教えてもらうじゃん。
マツモト先生は、自分の荷物をまとめて、あたしの荷物までひょいと持ち上げた。両手、ふさがってる。荷物を持ってもらえるのは助かる。
でもさぁ……「えいっ」とかって手をつなぎに行く隙が、全然ない。若さゆえの悪ノリって感じで、やってみようかと思うときもあるんだけど。
進展するはずないよねぇ、この関係……胸のドキドキがむなしい……。
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