あおのおり

ぽぽん

はじまり

「天国行きのバス、発車いたします。」

ぷしゅー、と私の目の前でバスの扉が閉まって、バスはみるみる内に真っ青なもやの中へと姿を消した。

「最悪だ」

最悪だ、乗れなかった。この死の街から脱出する、唯一の手段であったあのバスに。置いていかれてしまった。私、一人だけが。

私の住む青空町は、緑の綺麗な田舎町だ。田舎と言っても、見渡す限りが田んぼだとかそういうことはなくて、スーパーとか、レンタルビデオショップとか、本屋とか、チェーン店のそこそこ安いラーメン屋とかがあって、交通の便もいい。いい感じの田舎だ。

私が生きてきた17年間、特に大きな事件もなく、ゆったりと時間のながれるとても素敵な街、だった。一月前、青いもやが街を包み込むまでは。

どこからともなく、真っ青な靄が漂い始めたのが一ヶ月前、そこから靄が街を占拠するまでに半日もかからなかった。街が晴れた日の夏の青空みたいに真っ青なもやもやでいっぱいになって、私達はたいそう驚いた。このもやもやはなんなんだろう、と私達が疑問に思う前に、すぐにテレビ局や新聞社がたくさん取材にきて、あっという間に私達の街は有名になった。有名なタレントがたくさんきて、毎日"青空の街"としてテレビに取り上げられて、私達はすっかり浮き足立ってしまった。


その靄が有害だと、偉い人が神妙な面持ちで話すのがテレビで放映されたのが、一週間前だ。

「長い時間靄に当てられると、指の先から徐々に肉体が鮮やかな青に浸食されていくことが分かりました。まだ詳しいことは分かりませんが、最悪の場合死に至るとも考えられています。感染の恐れもありますので、青空町へ通じる全ての道はただちに封鎖いたします。絶対に、近づかないでください。」

ニュースキャスターが「とても危険ですので、絶対に近づかないでください」と念を推すのを見て、街の人達は呆然とした。意味がわからない、とガタガタ震える指先に目を落とすと、綺麗な青に変色していた。いつからだろうか、先も見えない靄の中で暮らしていたから、全然気が付かなかった。こうして、私達はやっとこの靄の異常さに気が付いたのだった。

政府の対応は迅速だった。テレビを見た街の人達が慌てて車に乗り込んで逃げようとしたときには、既に街は完全に封鎖されてしまっていた。連日、テレビは”死の街”の話題でもちきりだった。

青の浸食のスピードは人によってまちまちだった。早い人は、あっと言う間に髪の毛の先まで真っ青になった。どうしよう、どうしようと泣いているうちに、その人は死んでしまった。恐ろしいことに、死体すら残らないのだ。すぅっと青くなって、どろどろ溶けてしまうのだ。一週間のうちに、街の半分以上の人は溶けて無くなってしまった。私の母もその一人だ。不思議なことに、あまりにもみんな幸せそうに溶けていくので、悲しいという感情を抱き損ねてしまった。このまま、きっとみんな溶けてしまうんだと残った住民が沈み込んでいたところに、政府からとびきりのニュースが届いた。

『貴方達を救う為に、3台のバスを用意しました。"天国"行きのバスになります。明日の午後1時に到着、15分後に出発です。乗り遅れた方は、残念ですが救う事はできません。こちらも、15分が限界だと判断しました』

ここから出られるのだと喜んだのもつかの間、今度は天国ってなんだろうと私達は考えた。

「実験施設とかじゃねえかなぁ。だって、これ感染するんだろう。もう普通には暮らせないよなぁ」

肩まで青くなったお兄さんがそう嘆いて、その隣にいた足まで青いお姉さんが笑った。

「それでもここよりずっとマシよ。どこを見ても真っ青で、頭がおかしくなりそうだもの。ここ以外なら、どこだって天国に感じるよ」

それもそうかなぁ、なんて周りの人達も半ば諦めたように頷いている。滅茶苦茶な話だったけれど、そのバスは私達の希望だった。


「それなのに、天国にさえ行けなかった。最悪、最悪だよ。ほんと、もう」

私はその、唯一ここから連れ出してくれるバスに乗り遅れた。乗り場に行く途中で、お母さんの写真を持って行こうと思いついたのが運の尽きだった。どうしたものかなぁ、と写真の中でにっこりと笑う母とにらめっこする。お母さん、マリはどうしたらよいでしょうか。母は微笑むだけで何も答えてくれなかった。当たり前だ。

どうすればいいのかと道をうろうろしていると、「よう」と唐突に後ろから声をかけられて、心臓が飛び出そうなほど驚いた。

私以外にも人がいたのか、という安堵感と、こんな所に残ってるなんてきっとまともじゃないんだという不安感でドキドキとする胸をぎゅっと抑えて恐る恐る振り返った。そこには、よれた茶色いスーツをだらしなく着た30すぎくらいの男の人がいた。売れないホストみたいな格好だな、と思って、一歩後ずさる。

「そんなにびくびくしないでくれよ。取って食いやしないって。」

まるで私の心の中を読んだみたいなことを言って、目の前の男は苦笑する。ここで逃げたら負けな気がして、私はこの人に立ち向かうことを決めた。

「おじさんは、何をしているんですか。」

「おじさんって、俺まだそんな年じゃないつもりなんだけどなぁ。何をしてるかって、それは君にも言えることだ。何してるんだい、お孃さんは」

「私は……バスに乗り遅れました。行く当てもなくて、途方にくれているところです。」

「ふぅん、そうか。実は俺もなんだ。お孃さんもここから出る方法を探している?」

「ええ、まあ。出れるものなら」

「なら、俺と一緒に出口を探そうか」

にっこりと笑って手を差し伸べるおじさんをまじまじと見つめる。はたして、どこまで信用していいものだろうか。普段なら、迷わず警察に駆け込むところだけれど、今はあまりに状況が違う。胡散臭い人だけれど、なんとなく悪い人では無い気がした。こういうことに関しての私の感は良く当たる。それになにより、一人は心細い。そろそろとおじさんと握手して、すぐに手を離す。警戒心は忘れていない。

「よろしく、お願いします。」

「ああ、よろしくな。大丈夫、取って食いやしないよ」

おじさんは私を安心させるように、最初と同じことを言って笑った。

「それで、どこに行くんですか」

そう聞くと隣のおじさんは顎に手を当てウーンと唸る。やけに自信ありげに出口を探そうなんていうから、何か当てがあるのかと思ったけれど違ったらしい。彼はこれ以上考えても無駄だと悟ったのか、ポケットから1枚のコインを取り出して空中に放り投げる。それでどうやって決めるんだろうといぶかしんでいると、ふいに遠くのほうから風にのって、微かに音楽が聞こえてきた。

どうやらおじさんにも聞こえていたようで、私たちは顔を見合わせた。

「聞こえましたね」

「サックスの音だな。ありゃ、誰かが吹いてるぞ。音楽が途切れると場所が分かりにくくなるから早く行こう。走るけど、大丈夫か?」

「あんまり、運動は得意じゃないんですけど、がんばります。」

「上等だ」

言うが早いが、おじさんは私の手を取って駆け出した。私が本来出せないようなスピードで、誰もいない大通りを駆ける、駆ける、駆ける。すごく速い。滅茶苦茶速い。人に引っ張られるとこんなにスピードが出るものなんだ。耳に入るのは風と綺麗な音色だけ。音が段々近づくにつれ、私の息はあがって、鼓動が速くなる。

私たちが音の主のところにたどり着くのと、演奏が終わるのがぴったり同じだった。

「間に合った!」

ハアハアと息を荒くしながらおじさんが汗を拭う。まだまだ余裕そうで羨ましい。一方の私は運動不足の身体を無理に動かしたせいで全身が悲鳴を上げている。今にも死にそうなくらいゼエゼエと息を切らしている私の目の前には、マウスピースにあてた口をぽかんと半開きにしている女の子がいた。

「だ、大丈夫、ですか」

恐る恐る、といった様子で女の子が声をかけてくれる。大丈夫、と返したかったけれどそんな余裕もなく、手をあげて『大丈夫』というポーズをとる。隣のおじさんにぽんぽんと背中を叩かれた。

「突然ごめんな。素敵な演奏だったからつい、急いできちゃったよ。ほらこんな状況だろ?こんなところで演奏するなんて随分度胸がある。」

ファンになったよ、と一言付け加えて、おじさんはさっきと同じような笑顔で女の子に手を差し出した。女の子は自分の手とおじさんの手を見比べて、それからおじさんと握手をした。少しの間考えてから、まだ息の上がっている私にも差し出してくれた、その白くてすべすべな手を握り返して、大きく息を吸った。大分落ち着いてきた。

「ごめんなさい、ありがとう。ええっと、私の名前はマリ。あなたは?」

「えっと、そ、ソラ。ソラ、です」

視線を泳がせながら少しどもって女の子——ソラはそう言うと首からつるした金ぴかをたいそう大切そうにぎゅっと握った。私と同じくらいの年だろう。私よりは少し背が低くて、真っ白な肌に、腰までつきそうなくらいの長い髪をしている。私はふと気が付いて隣の男に視線をやった。

「そういえば、おじさんの名前、聞いてなかった」

「そうだな。ううむ、いいよ、俺はおじさんで。名無しのおじさんだ」

名前は言いたくないらしい。やっぱり胡散臭いおじさんだ。それでもここまで引っ張って来てくれたおじさんに、私は妙に信頼感を抱いてしまっていて、それ以上を追求するのはやめた。

「ソラ、ちゃん。ソラって呼んでもいい?私のことも、マリでいいから」

俯き気味な顔を覗き込むと、こくこくとソラが小さく頷く。

「じゃあソラ。ソラは、どうしたの?やっぱり、バスに乗り遅れた?」

私たちはバスに乗り遅れたんだ、と説明を交えると、ソラは首を横に振った。

「違うの。パパを……父を探しているんです」

「お父さん?」

こくり、とソラが頷く。

「はぐれたの?もしかしたら、もうバスに乗って脱出しているかも」

「ううん、それはないの」

それまで小さな声と動きだったソラが、はっきりと否定する。

「どうして?」

話すべきかどうか、少し迷ってからソラは口を開いた。

「パパは、このもやもやを発生させた張本人なんです。逃げようと思えば、こんなことになる前にいつでも逃げれたはずだし、今日もバスには乗ってなかった。確認、しにいったんです。」

私もおじさんもぽかんと目の前の少女を見つめる。ソラは悲しそうに頭を振ると、また話し始めた。

「どうして、パパがこんなことをしたのか知りたい。そして、一緒に街を出るの。パパは、ちゃんとしたところで、罪を償わなければいけないと思うから」

そう言うソラの目には、確かな覚悟の光が灯っていた。不安そうにサックスを握って俯いていた少女とは別人のように、強く、美しく見えた。

「手伝うよ」

気が付けば、私はそんなことを口走っていた。ソラも、おじさんも目を見開く。おじさんが何か言いたそうに口をぱくつかせていたけれど、私の意志は変わらない。

「だってどうせ脱出経路を探すために歩き回らなきゃいけないし、それに、」

「それに?」

ソラが首をかしげる。それに、私はソラの強い覚悟に、しっかりとしたサックスの音色に、どうしようもなく惹かれたのだ。今までに感じたこともないような高揚感。この綺麗な女の子と、一緒に行動をしてみたい。ありのままに言うのは気恥ずかしくて、なんでもないのとごまかした。

「おじさんは、どうする?」

すっかり私の勢いに振り落とされて、ぼけぇと突っ立っているおじさんに声をかけると、おじさんはぽりぽりと頭をかいて苦笑した。

「着いていくさ。女の子を二人、こんなところで放ってはおけないし、ここまでお孃さんを連れてきたのは俺だからな」

やっぱり、悪い人じゃない。出会ってからほとんどずっとにこにこしているこの男の人の笑顔は、なんとなく人を安心させるような力がある。人の警戒心を、ゆっくりゆっくり溶かすような笑顔。

「本当に、いいんですか。私の我が侭に、付き合ってもらって」

不安そうにソラが私たちを見る。瞳からはさっきの強い意志を持った光はなりを潜めていたけれど、一番最初のおどおどとした少女でもなかった。覚悟を声に出したことで、何か踏ん切りがついたのかもしれない。

「勿論。困ったときはお互い様だよ」

「男に二言はないさ」

私たちは顔を見合わせて笑った。青い靄に支配された孤独な街で、私達は出会った。共通点といえば身体のどこかしらが真っ青に浸食されていることくらいだ。お互いが何者かもよく分からないし、出会ってまだ一時間もたっていないのに、私達の間にはおかしな団結感が芽生え始めていた。

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あおのおり ぽぽん @ponitan55

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