第7話 動き出した陰謀 後編

 ミッシェルは差し出したおやつに初めて興味を示し、ようやく俺に協力的になった。さっきまで俺に向けられていた殺意のようなものが消えたのだ。

 目の前の男が自分を救出しに来たと言う事が分かったらしい。引っかかれる心配がなくなって俺はジリジリと更にミッシェルに近付いていく。


「猫は動けないんだから、貴方から近付いて優しく捕まえるのよ!」


「わ、分かってますって~」


 自分がやろうとしている事を先に指摘されるって言うのは気分のいいものではない。この所長の言葉は俺の心を激しくかき乱していた。

 けれどここで切れたら元も子もない。今から救出しようとしている猫は繊細な生き物なのだ。少しの感情の機微で反応が変わってしまいかねない。

 平常心、平常心。俺は精一杯ミッシェルを刺激させないように改めて優しく手を伸ばした。この手に捕まればおやつが食べられると、そう言う甘い罠もちらつかせながら。


「おいで、怖くないから、もうちょっとだから」


 結局ミッシェルは動けなくなったその場からは一歩も動かなかった。それで俺はぎりぎりまで近付いて、何とか彼を捕まえ捕獲する事に無事成功した。

 この時、この猫が小さな猫で本当に良かったと思う。大きな、両手で抱えないといけないような猫だったら今回のようにうまく捕まえられたかどうか……。


「よし!いい子いい子」


 俺はフェンスに足を絡ませて上手くバランスを取りながらこの困った猫をしっかりと抱き上げた。もうこんな危険な事をしちゃダメだぞ。

 ……なんて、こいつに言っても言葉は通じないか。で、ミッションが無事成功した事で俺は油断してしまっていたんだ。

 突然吹いてきた季節外れの強風に俺はいとも簡単にバランスを崩してしまった。


「って、うわぁぁぁ~」


 俺はミッシェルを抱き抱えたまま、そのままフェンスから振り落とされてしまった。あっけなく落ちる猫とおっさん。何て情けないんだ。

 この時、ミッシェル救出をずっと見守っていた飼い主姉妹2人が奇声をあげる。彼女達を怖がらせたくはなかったんだけど、これはもう仕方ないね。


「キャー!」


 時間にしてほんの一瞬の空中浮遊を味わった後、俺は無様に地上に激突した。安心してください!ミッシェルは無事ですよ!

 しっかり腕でガードしたので、スーツの耐ショック機能と相まって、俺の腕の中の小さな猫はかすり傷ひとつ受けてはいなかった。

 そんな俺の姿を所長は眉ひとつ動かさず当然のような顔で見つめている。フェンスから落ちるって言うアクシデントがあったと言うのに、何ひとつ慌てた素振りも見せずに。そして普通に落ちた俺の前まで歩み寄って顔を覗き込みながら彼女は言った。


「うん、大丈夫よね」


「ええ、まぁ大丈夫ですけど……。ちょっとくらい心配してくださいよ」


「その心配はないわね。だって私のスーツは完璧だし!」


「トホホ……」


 分かってはいたけど、突然のアクシデントに全く心配されないって言うのは精神的に来るものがある。うん、所長はこんなキャラだって飲み込まないとやっていけないな。

 さて、いつまでも寝転がってる訳にも行かない、起き上がらないと。


 そんな訳でノーダメージでフィニッシュした俺はそのまま何事もなかったかのようにすっくと立ち上がり、抱きかかえていた猫を優しく心配をしている飼い主に手渡した。勿論笑顔と優しい声も忘れずに。


「はい、ミッシェルちゃんは大丈夫だよ。今度から目を離さないようにね」


 あんな高い所から落ちて傷ひとつない俺を姉妹はびっくりした顔で見ていた。

 けれど大事な愛猫が無事手元に戻って来た事で、俺の事なんて一瞬で忘れて喜びの笑顔を爆発させる。うんうん、やっぱり子供は笑顔でなくっちゃね。


「ヒーローのおじちゃん、有難う!」


「あ、うん」


 おじちゃん……まぁ、子供から見たら俺はおじちゃんなんだろうけど……直接言われると流石にダメージが半端ないね。飲み込まなきゃ!現実をっ!彼女達に悪意は全く、1ミリもないのだから!

 それから有難うって言われるのはやっぱり何か照れくさい。感謝慣れしていない事もあっていつの間にか俺は顔が赤くなっていた。

 横で見ていた所長がそんな俺を見てニヤニヤと笑っている。俺は彼女に見せてはいけない瞬間を見せた気がしていた。


「照れちゃって、かーわい」


「お、大人をからかわないでください」


 自分よりかなり年の離れた年下の少女にからかわれると言うのは、実はそんなに悪いものじゃない。

 けれどそんな状況に慣れてしまうのは何か大事なものをなくしそうで、複雑な気持ちにもなっていた。


「ふむふむ、奴は恐ろしい程の防御力を秘めている……と」


 そんな俺の活躍を遠くから観察しているひとつの影があった。周りから怪しまれないように目立たない格好で街の景観に自然に溶け込んだ彼は、双眼鏡を片手に昔ながらのアナログな方法で俺を調べている。

 きっとずっと昔からその方法で仕事をしているのだろう。手持ちの道具はみんな使い古されていてかなり年季が入っていた。


「だが、事攻撃に関しては丸腰も同然。脅威には成り得ないな」


 観察者の分析は正確で正しかった。流石長年その仕事で飯を食っているだけはある。ただひとつ訂正をするならば、その観察は現時点での結果だと言う事。これから先、俺がこのまま成長しないとでも?

 でも調査される側からすれば、そんな風に油断してくれる方が有り難い。早く調査結果をまとめて報告してくれるといいんだけど。


 で、俺はと言えばそんな調査をされているとはつゆ知らず、猫救出のこの仕事の後もいつものように依頼された仕事を淡々とこなしていた。

 かなり名前は売れて来ている実感はあるものの、今のところ本当のヒーローらしい仕事はまだ回ってくる気配すらないのだった。

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