9時限目

 僕が落ちたのは固いアスファルトではなく、柔らかい絨毯の上だった。


「ここは、僕の部屋?」


 見慣れた天井をぼんやりと仰ぎながら、ついさっきの不可解な現象について思いを巡らせる。おぼつかない頭が導き出した答えは、甚だ現実離れしたものだった。


「テレポート……いや、まさかね。そういえばあの子は」


 むくりと起き上がってみたけど、どこにもそれらしき気配はない。別々の場所に飛ばされてしまったのだろうか。


(――空間転移ノ成功ヲ確認、現在ノ位置情報ヘあっぷでいとシマス――)

「ッ! この声」


 その無機質なノイズは、紛れもなくあの小動物のものだった。まるで自分の中から聞こえてくるかのような、幻聴に似た感覚。


 淡い好奇心に駆られて照明の電源を入れると、備え付けのドレッサーに季節外れな衣装が映った。もちろんそれは僕の姿のはずだけど、学校指定の制服とはまた異なる。


「いつの間にこんな格好に? はぁ、道理で暑いわけだよ」


 羽織っている檸檬色の外套をはためかせて、首筋ににじむ汗を拭う。けれど分厚い上着とは相反して、まとっている白妙は布地が薄く、動き回ったせいか胸元がはだけていた。


「何だろう、この痣」


 慌てて襟を直していると、悲しいくらいぺったんこな谷間に、奇妙な紋様が刻まれているのに勘付いた。そして僕はそのマークになぜか心当たりがあった。


(――えねるぎいノ消耗ガ激シイ為、変身ヲ解除シマス――)


 警告の直後、僕は眩い泡沫に包まれて、瞬きする間もなく元通りの身なりへと戻っていた。くすぐったいつむじをさすろうとすると、静電気に近い痛みが指先を伝った。


「いつっ。これも君の仕業なのかい?」

(――でいたガ破損シテイル為、オ答エ出来マセン――)

「またそれか。どうやら君のボキャブラリーはSiriよりも貧相らしいね」


 僕の台詞は行方をくらまして、代わりに冷ややかな沈黙が訪れる。なのにどうして、こんなに気持ちが安らぐんだろう。


「もしかしなくても君は生き物じゃないよね。君の体はとてもひんやりして、まるで氷みたいだ。ところで君の名前を教えてくれないかな。いつまでも『君』じゃ他人行儀っていうかさ」

(――でいたガ破損シテイル為、オ答エ出来マセン――)

「つまりわからないんだね。なら僕がつけてあげるよ。君は『アイス』、僕の怒りを力に変える冷却材」

(――了解シマシタ、当機の呼称を「アイス」デ設定シマス――)


 僕は誰かを救える、守れる強さが欲しかった。もしアイスが僕の願いの具現だとしたら、僕のするべきことはとうの昔に決まっている。


「弱きを助け、悪をくじく。僕らは今日からさ」

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