8時限目

「んで、内倉のザックにこの妙ちくりんが入ってたのね?」

「そうなの。他には教科書もノートもなくて……」

 タン――タン――


 階段を上がるにつれて、くぐもった声が次第に晴れていく。汗がにじんで手すりがやけに持ちづらい。


「ハハ、ちょーウケるんですケドwww」

「八つ当たりもほどほどにね。そろそろ死にそうよ、コイツ」

「いいじゃない、おもちゃは遊ぶためにあるんだから。それで壊れたら本望でしょ」

 タン――タン――バンッ!

「「?」」


 いつもなら施錠されているはずの扉がすんなりと開く。僕は群青にたたずむ影法師を見据えて、濡れた掌を固く握りしめた。


「好き放題してくれたね、君たち」

「げっ! どうしてここが?」

「さぁね、僕にもわからない。怒り任せに歩いていたら、この屋上にたどり着いた」

「戯言抜かしてんじゃないわよ。でもその動揺からして、これはあなたにとって余程大切なものらしいわね」


 不吉な笑みを浮かべて、彼女は兎もどきにおもむろに凸ピンを食らわせた。


 ビシィ!

「ぶっ」


 額の鈍い衝撃から、僕はようやく自身に仕組まれたカラクリを理解する。一抹の恐怖とともに、唇から垂れた血を拭う。


「あなたって意外と感受性豊かなのね。つーかキモいわ」

「いちいち教えてくれなくてもいいよ。痛いくらい知ってるからさ」


 よろめきつつも互いの距離をじりじりと縮める。現在において、ダメージソースの回収は最も優先すべき事項だ。しかし彼女たちが僕の指示に素直に従うとは思えない。


「僕に学力で勝てないからって、こんな横暴な手を使わなくてもいいじゃないか」

「ふーん、随分と生意気な口を叩くじゃない。まだ立場がわかっていないのかしら」

「く……」


 打開策として投じた挑発だったけど、どうやら裏目に出てしまったらしい。首根っこをつかまれているせいか、呼吸がうまく行えない。毛むくじゃらを空に掲げて、彼女は悦に浸ったような表情を浮かべている。


「コイツを返してほしければ、おとなしくアタシたちの言う通りにしなさい」

「僕に……どうしろと……」

「決まってるでしょ。この学校にもう来ないでちょうだい。どう、約束してくれる?」


 要するに退学しろってことか。うん、悪い取引じゃない。元からこの場所には嫌気が刺していた。強烈な立ちくらみに、僕は堪らず膝をつく。


「わかった……だから……離して……」

「フフフ。滑稽ね、高飛車なあなたが土下座しているなんて。いいわ、離してあげる。ほぅらっ」

「なっ!?」


 息苦しさが解消された途端、僕は宙に舞う光暈めがけて走り始めた。小さな躯は設置されている柵を飛び越えて、なす術もなく落ちていく。それが何を意味しているのか、考えるまでもない。


 カシャン!


 放心している二人を置き去りに、ありったけの力を足に込めて、弾けた。アスファルトにぶつかる様を眺めているくらいなら、逝く間際まで抵抗しているほうがよっぽどマシだ。だからといって、これという方法もないんだけど。


 肌が張り裂けそうなほどの風圧を浴びながら、目の前の走馬燈に腕を伸ばす。


「死にたくない! 死なせたくない! 僕も君も、生きるんだ!!」

(――契約ガ完了シマシタ――)


 シャララララン♪ ポワーッ!


 これが僕の、僕らの、初めての魔法だった。

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