第8話桃虫花

 アルムから糸が吐き出されなくなった頃、宮殿の兵士から情報を仕入れたキーバが慌てた様子で報告をする。あちらにも繭が現れた……と。

 そして、アルムの繭がどう見ても桃の果実であることと恐ろしく頑丈なことを確認して、もう一つの繭を壊す作戦を開始した。

 宮殿の兵士たちの中には女を崇拝する者もいたが、やむなく手伝っていた者もおり、忍び込むのに大いに助けられた。


「だめだ……アルムの繭と同じで、燃やそうとしても火がつかないし全く壊れる気配がない……」

「私たちにできることはないの?」

「たぶん……待つしかできないんだろうな」


 新たなリーダーであるダズがそう言えば、彼らは諦めて神殿に戻った。今も神殿で暮らしている彼らは、毎日繭を眺めながら、お腹が満たされる不思議な桃を食べて語った。


「きっとアルムは凄い英雄になる」

「得体の知れない女の好きにはさせない」


 前向きな言葉を選んで口にする彼らは、先行きのわからない不安に襲われていた。

 二つの繭が羽化した後、どうなってしまうのか……アルムの助けになることもできず、月は満ちていく。


「今日でふた月だね……アルムが繭になってから」


 頷いたクウナはユゥイと連れ立って、アルムが繭になった壁画の部屋へと進んでいた。

 話しながら歩いていた二人は、漂ってくる桃の香りにすぐには気づかなかった。何故なら、もうひと月以上もの間桃しか食べていなかったからだ。


「あ、繭が割れ、て……何あれ?」


 扉を開けて言葉をなくしたクウナの見た物は、作り物のような巨大な桃が頂点から真っ二つに割れたものだった。


「桃虫ってちょいちょいシリアスを台無しにしてくれるよな……」


 お前が言うな感溢れるふた月ぶりの、まるで変わらない声。

 ユゥイは矢も盾もたまらず駆け出した。


「アルム!」

「久しぶり、二人とも」

「はあ……なんか、ちっとも変わらないんだな、お前」

「そんなこともないんだが」


 とぼけて頭を掻くアルムは、自分の左の手のひらを見つめた。声を震わせたユゥイは、その手を自分の手で包んだ。


「何が見えるの?」

「ユゥイには? どう見える?」

「はぐらかさないでよ……」


 答えてくれない不安と、アルムの落ち着いた姿に対する安心とで、ユゥイは縋るように手に力を込めた。


「強く握り過ぎ。じゃ、行って来る」

「おい、どこに行くんだ?」

「もちろん、ハルキエの敵をやっつけに行くのさ」


 クウナたちには決して理解できない理屈で、繭は同時に羽化していた。時間があるとしてもわずかなのは、アルムにだけわかっていた。


「俺たちも行く」

「だめだ。この神殿に居てくれ。でないと思う存分暴れられないだろ?」

「アルム、私はここに居る。だから……帰って来てね?」


 握られているユゥイの手に、右手を重ねる。優しく手を解放させ、そっとユゥイの頭を撫でた。


「ああ、行って来る」

 きわめて緩慢な動きで歩いて建物の出口に立つアルム。その足や手を覆っているのは、ユゥイには見えなかった桃色に光る鱗粉であった。


「行こう、桃虫」


 膝を曲げて、軽く地面を蹴る動作をしただけで、アルムの体は宙に浮いた。

 神殿の中からアルムを見守る人間には、彼が唐突に浮いたようにしか見えない。

 しかし実際には、アルムの頭上には大きな蛾が美しく羽ばたいていた。

 収集家を魅了してしまうのも頷ける、繊細で神秘的な模様。胴体や頭を見れば確かに醜さやおぞましさを感じる人も居るのであろうが……見上げたアルムは、何よりも神々しさを感じていた。


「……やった、やったわ! これで私はこの国を導く英雄になるのよ!」


 迷いなく宮殿の上空にたどり着いた桃虫に連れられたアルムは、抜け殻になった繭を見つけた。そこで羽を広げる、毒々しい女も。


「お前は英雄にはなれないよ」

「誰? あなた」

「久しぶりです、と言ってもわからないかな?」


 左手を見せつけたアルムは女にとってどうでも良い存在であったらしく、反応を示したのはアルムと同化している桃虫花にであった。


「あ、あなた……! どうしてあなたがその虫を宿しているのよ!」

「お前に国を滅ぼされないため……かな」


 桃虫にもアルムにも、やがてハルキエは滅んで行く国だと理解できている。だからといって、桃虫花を無理やり成長させて力を得た女の手で、今すぐに滅ぶ必要はない。

 背中から蛾の羽を生やす女だけが、国を救えると勘違いしている。


「私は国を滅ぼしたりなんかしない! フレアを打ち倒し、英雄になるの。この国はもう一度復活する、桃虫花さえいれば!」

「説得は無理かな?」

「馬鹿なこと言わないで。私を説得しても、あなたの得にはならないわよ。ハルキエの民なら、あなたも桃虫花と共に私に協力なさい!」


 興奮した女の眼が、蝶やトンボに見られる複眼になってギョロつく。アルムは肉体はそのまま桃虫と同化したが、女は肉体的に桃虫花と一体化したのだ。


「協力はできない。それに、お前のやろうとしていることは絵空事だよ。一人や二人ぽっちで、国に勝てる訳がない」


 白い肌や手入れのされた長い髪から、女の育ちの良さが窺える。戦において数の利がどれだけ圧倒的かなど、わからないのだろう。

 例え軍隊を打ち破る力があったとしても、それが永遠でないことや死角が存在すること、搦め手で落とす方法も数多ある。

 そんな現実が見えない女は、激情してアルムに襲いかかった。


「黙れ! お前は協力しないなら邪魔者って訳。だったら手始めにあなたを葬ってあげるわ!」


 勢い良く懐に飛び込んだ女は、アルムの顔を拳で狙う。しかし速さしかない真っ直ぐな攻撃は、横に体をずらすだけでかわされてしまった。


「……なんて短絡的な思考だ。可哀相に」


 ため息を吐いて宙に浮かぶアルムを追いかけ、羽ばたいて空を飛ぶ女。

 浮かび上がった二人の姿は、神殿で待つクウナたちにも観察することができた。蛾と合体した異形の女に、全員が固唾を飲んで見守っている。


「可哀相ですって? 私はハルキエを思って、こうして英雄になったのよ。どうして可哀相なのよ!」


 アルムの……桃虫花の感覚に、女の中の桃虫花が激しく訴える。苦しい、痛い。

 飛びかかる女を脇にさばいて正面に相対したアルムは、苦しむ桃虫花に呼びかける。


「辛そうだ」

「どこが? ふふっ、何もいちいち殴らなくて良いわよね……さあ、桃虫花。力を寄越しなさい!」


 掲げるように伸ばした両手に、桃虫花の力が集まる。青い空の一部分が、女の動作に合わせて歪んだ。


「うわっ!」


 女は手から光を放ち、アルムの頭上……桃虫を狙った。すれすれで避けたものの、射程が長い攻撃はそれだけで有利だ。


「ふふふ……どうして攻撃して来ないの? そんなことで私を止められると思ってるの?」

「いやいや……傷つけるだけが戦闘じゃないんでね」


 再び力を集める女に、アルムは内心焦っていた。湯水のように力を使えば、桃虫花は益々苦しむ。しかし、あまりに近いと光弾を避けることができない。


「食らえっ!」


 必死な形相でアルムを排除しようと次々に力を使う女は、まるで幼子がだだをこねているかのようだ。

 冷静なふりをして襲い来る光を避けたが、避けたはずの光がアルムを追って、右肩に当たると破裂した。


「ああああッ!」

「クスクス、良い気味……ぐ、はッ! イタい……どうしてよ、どうして私に痛みが……!」


 アルムの怪我に桃虫の鱗粉が降り注ぐ。淡い光は女の攻撃とは正反対に、腕の裂傷を癒やして健康な状態に戻してしまった。


「はぁ……結局、こうなるのか」

「ち、近づくな! 私は神に選ばれた英雄なのよ。私は……ぐうっ!」


 力を吸い上げられ痛みを訴える桃虫花から、更に力を奪って光の弾に変える女。それは激痛をもたらすと知っていながら、決して止めようとはしない。


「止めろ! そのまま力を使えばどうなるかわからないぞ……」

「あなたに止められようが倒そうが、結局同じじゃない。これだけの力を満足に使うこともできないッ。神の使いの癖に役立たずめ!」


 この女は神殿にあった研究の考察を読んでいないのかもしれない。その中には“桃虫花は略奪、侵略のためには利用できない”として軍事利用の研究を止めた記述がある。

 もしかしたら、読んでいるのにこんな暴挙に出ているのかもしれないが、アルムには憐れみしか感じなかった。


「恩知らずなのはこの際目をつぶるから、とにかく攻撃を止めろ。力を使うな!」


 女を拘束するために背後を取ると、蛾の羽が邪魔で上手く首を掴むことができない。痛みを振り切るように、女は腕を振り回してアルムから離れようともがく。

 二種類の鱗粉が街に降り注がれる。誰にも見られない、二人にしか見えない光だ。


「退け、退きなさい……! ここまで来て、やっと羽化したのに……! 無駄だったなんて……っ認めない!」

「苦しいか? おいで、桃虫」


 怒りと同時にほとばしる光がアルムを包んだ。目を閉じたアルムは、暴れる女に怯まず腕を掴んで背中にひねり上げる。


(来い、桃虫……こっちに来い!)

「あ、いやあぁぁぁっ!! 行かないで、お願いよぉ。行くなぁ~~~!!」


 桃虫花の鱗粉はますます乱れ舞い、心の底からしがみつく女のせいでアルムに渡ることができないで居る。


「大丈夫、怖くない。お前だってハルキエの民だ」

「あ……」


 桃虫を移動させる時には常に桃虫だけに呼びかけていたアルムは、初めて女に向かって気持ちを投げかけた。

 たったそれだけのことで、毒気を抜かれたように女は抵抗を止めた。そうさせたのは、桃虫花かも知れない。


「解放するんだ。誰もお前から奪ったりしない……」

「私が育てたのよ。たくさんバラまいて、誰も殺したりなんかしてないわ……枯れて死んでしまった人は居たけど……どうして桃虫花は私を応援してくれないの! フレアに復讐させてくれたって良いでしょ!?」

「……復讐なんかさせたら、お前が死ぬだろ」


 女が反論を練ることに夢中になっている隙に、アルムはもう一度目を閉じた。おそらく最後の機会。


(桃虫花……俺の中で生きろ!)

「ひッ!!」


 びくりと震えた女の背中から、禍々しい羽が消失して行く。体の中から大きな物が抜け出て行く感触に女は抵抗できず、完全に移った瞬間に気を失ってしまった。


「ふぅ……なんとかなったな」


 敵を倒してはいないのだから無理はないが、気絶させるというのはなんとも地味な絵であった。

 クウナたちが蛾女の羽を消えたのを見て、宮殿へと走り出していた。それに気づいたアルムは、空中から手を振る。


「ふざけてんじゃないわよ!!」


 とプリエネが叫んだが、聞こえなかったことにしてアルムは女を抱えたまま宮殿の庭に降り立つ。


「ありがとう、桃虫。ずっと俺たちを助けてくれて……」


 静寂の中、声ではなく思いがアルムを震わせた。内側からさざめくように、温もりが囁いた。ありがとう、と……。

 やがてクウナたちが庭の真ん中に棒立ちしているアルムを見つけた。


「アルムー!」

「ユゥイ、クウナ……プリエネ、ダズ」

「良かった、何事もなかったみたいで……」


 全力で走ったのか、全員の息が荒い。アルムは自分の肩に持たせていた女をプリエネへと突き飛ばした。


「ちょっと! わざわざ投げて寄越さなくても……え?」


 気を失った女を受け止めたプリエネは、見たものが信じられず繰り返しまばたきした。


「アルム……その、足は?」


 クウナが指で示した先で、アルムの足は根を張り白っぽい樹木に変じつつあった。

 ユゥイがアルムの前に立ち、襟を掴んだ。今はまだ体温もあるし服にだって触れる。夢のように、地面についている足が幹になって行く。


「ふ、ふざけてないで……早く神殿に行こう? 桃虫が体から逃げて行く方法、見つけたんだから……アルム?」

「ごめん、みんな」

「謝ってんじゃないわよ……帰って来い、って言ったわよね!?」


 下半身はすっかり木になってしまった。もう、一歩も動けないことは誰にでもわかる。


「もうちょっと時間があるかと思ったけど……羽化した桃虫が二匹は流石に無茶だったらしい」


 苦笑しているアルムには笑いどころがあるようだが、クウナたちにはどこで笑えば良いのかわからなかった。

 責めても仕方ないことはわかる。何をしても戻らないこともわかる。けれど、何を言えば正しいのかはわからない。


「アルム、ハルキエを……残された俺たちを救ってくれてありがとう。本当に、感謝してる」


 初めに感謝を述べたのは、一歩引いた場所にいたダズだった。それに続いて、クウナが口走る。


「お前は変な奴だけど、でも会えて良かった! ……ありがとな」

「確かに最後じゃなかったけど……だからって、だからって……!」


 プリエネは本当はアルムに『酷過ぎる』と言いたかった。けれど、犠牲にはならないと悲しそうに笑った表情を思い出し、喉の奥に飲み込んだ。


「ひっく、う、そんな……っアルム、もう一緒には居られないの?」

「一緒には居られない。けどさ、ずっとみんなを見守っている。俺からは何もできないみたいだけど……幸せになって欲しい」


 樹木化がとうとう顔にまで進む。口が固まってしまったアルムは、目を細めて笑顔でみんなを見詰めた。


「俺がアルムの願いを支える。だからハルキエを……よろしくな」


 ダズが手を胸に当てて請け負うと、一本の樹木に一斉に花が咲いた。美しい、桃の花が……。


「アルム、アルムっ……」


 皆の涙が土に染み込むと、アルムの花が半分ほど枯れて葉が生い茂り、みるみるうちに丸い果実がいくつも熟した。

 ざわめく枝葉の音に顔を上げたユゥイの前に、一つの桃が落ちて来る。

 食糧が尽きても全員の命を繋いできた桃が。そうして、ユゥイはアルムは決して死んでは居ないのだ、と考えを新たにして果実を両手ですくい上げた。


  ―――――――


 遠く――長い時が通り過ぎた。ハルキエの土地には働き者のフレア民や故郷を追われた人々が移住して、新しい文化を築いていた。

 その中に紛れるように、元々のハルキエ民は息づいていたし、時に理不尽があったとしても、殺されてしまうようなことは稀だった。

 中でも特に栄えるニィハリの宮殿には、不可思議な桃の木が生えている。半分はいつも美しい花を咲かせ、もう半分は常に食べ頃の実が成っている。

 その傍らには、寄り添うように一人の女性が暮らしていた――。





〈おわり〉

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桃虫花 結衣崎 早月 @bbs

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