第7話繭
話し合っている最中にどこかに行ってしまったアルムを探しに行く仲間はいなかった。
それだけ夢中になっていたのだが、アルムを助ける話をしてアルムを見失っていた……酷い皮肉である。
「じゃあまずは首都を徹底的に洗おう。万が一だめでも、他の神殿に行けば居るはずだ」
「その必要はないよ」
「誰だっ!!」
「はじめまして、僕は一応君たちの味方だよ」
地下に下りて来たのは男とも女ともつかない、黒い髪の青年であった。年は彼らとそう変わらないだろうか。
「……それ以上近づくなよ。必要はない、ってどういう意味だ?」
「ふふ、そのままの意味さ。元凶の女の居場所はこのニィハリの宮殿なんだからね。無駄足は少ない方が良いだろ?」
「その情報……本当なの?」
「嘘でも良いけど、僕はあの女が死んでくれたら助かるからね」
恐らく途中から話を聞いていたのだろう、事情をわかっている風な青年に、強く出られる者は居ない。
「そう難しく考えないで、君たちはまだ桃虫花とうちゅうかを持っているんだろ? それであの女の企みを挫いて、平和に暮らす……それじゃいけないかい?」
「待て……まだ桃虫花を持っている、ってどういう意味だ?」
「僕もかつては桃虫花を宿していたけど、あの女に奪われたんだ。きっと自分が英雄として羽化するつもりなんだろう」
「それって……アルムが狙われる可能性もあるってこと?」
ユゥイの視線がアルムを求めてさまよった。しかし、アルムは居ない。ユゥイは血相を変えて青年の横を通り過ぎた。
「まさか、一人しか桃虫花を宿していないの?」
「そうだと言ったら?」
「いや、うん……僕は構わないよ。ただ、その人の心が持つのかと心配になって」
「……アルムは果実を出せるから平気だ、とか言ってたよな?」
青年は動揺したように息を吸った。険しい表情になり、クウナたちを見渡す。
「続きはアルムさんを探してからにしよう」
危機にあるかもしれない青年を探して、ユゥイは走っていた。その張り裂けそうな胸には、自覚したばかりの思いが咲いていた。
「アルム、良かった……」
祭壇の前で足を組んで座るアルムの周りには、たくさんの桃の果実が転がっていた。ユゥイが近づく間にも、新たな桃が増えている。
「ユゥイ、桃虫は怖がっているんだ。自分は存在しない方が良いのか、わからなくて」
「私と同じだね」
「きっとみんな怖がってる」
ごろり、とアルムの手から熟した桃が転がり落ちる。ユゥイは足元の実を一つ、手に取った。
「さっきは投げちゃって、ごめんね」
「ああ……良いよ、気にしない」
「ありがとう」
震える声にも、アルムは俯いたままで果実を量産していく。本当は伝えたい思いがあるのに、ユゥイと向き合うこともない。
それはただの臆病かもしれないのに、不思議とユゥイにはアルムなりの誠意なのだと感じた。静かで、大切なものを川に流したかのような、微妙な空気をアルムが切り替える。
「この果実……気持ち悪くて食べられないか?」
「ううん、……そんなことない。そんなこと、ない」
柔らかい皮を歯で剥がすと、瑞々しい果肉にかぶりつく。果実を生むアルムと、黙々とそれを食べるユゥイ。辺りには甘い匂いが立ち込めていた。
「美味しいか?」
「……甘いよ」
そんな二人を遠巻きに見ていたクウナたちは、隣の部屋に場所を変えた。
桃が転がる中、少し離れた位置に二人は座っていたが、その距離がアルムとユゥイの出した答えなのだと理解したからだ。
何も言えなくなってしまった面々だったが、突然クウナが大きく手を叩いた。
「あーあ、アルムは覚悟を決めちまったみたいだな……しょうがない!」
ついで、プリエネも諦めてため息を吐いた。
「アルムは始めっから理解不能だった訳だしね……」
「とにかく、やれることをやろう」
一番強くアルムを思っているユゥイの寄り添う姿に、それぞれが気持ちを固められたようだ。
「なんだかついて行けないけど……応援してるから」
「作戦というほどのものはないが、まずは宮殿に偵察に行くぞ」
クウナは果実を生み出すアルムを放置して、さながらリーダーのように指示を出す。
ほんのわずかな時間を共に過ごしただけの仲間だったが、それでも支え合ってきた仲間だ。
「僕が伝えたかったあの果実の話ですが……僕たちの中に出せた人は居ませんでしたよ。研究資料を見たならわかると思いますが、果実が出せることを一つの目標にしていたほど大きな力らしいです」
「詳しいね」
「僕たちが桃虫花に寄生させられたのは二カ月も前だからね。研究施設を見つけたのも早かったし、当然でしょう」
「なるほどね……あんた、名前は?」
「エウリ」
エウリはひとまず仲間として受け入れられた。平和に暮らしたいという願いには嘘がないだろう、と判断された。万が一裏切るようなことがあっても、殺すか捕らえるくらいしか方法がないのもある。
その桃虫花に詳しいエウリの助けもあり、翌日には宮殿に行く準備が整った。
「……アルム」
未だ桃を生み出し続けるアルムに、クウナは背後から呼びかける。
「どうした?」
「この実はどうしてこんなに増やしているんだ? 理由があるのか?」
「ああ、お前たちが食べるのに困らないようにと思って」
アルムは立ち上がってクウナに桃を渡した。大ぶりで熟した実を受け取り、クウナはどこかよそよそしい表情に罪悪感を覚えた。そんな表情をさせたのは自分たちだ。
「ごめんな、受け入れられなくて……でも、今から宮殿に行って大元を倒してくるからさ! 危ないからお前は待ってろよ」
「嬉しいけど……もう限界みたいだ。悪いな」
クウナがその真意を訊こうとした時、アルムの体内から白い糸が伸びてきた。
「なんだこの糸!? くそ、取れない……っ」
「女の桃虫が繭を作り始めたんだ。このままじゃ、桃虫は無理やり兵器として利用されるだけだ……」
「それは、お前がこうなって、しかも人間じゃなくなるほど大切な理由なのか!?」
アルムの体に一本一本巻きついて行く、触≪さわ≫れない糸を掴もうとするクウナ。
アルムの心には澄み切った願いだけが在り、悲しみも喜びも波立つことはなかった。
「クウナ。聞いてくれ。俺は人じゃなくても、お前の友達だから。死ぬ訳じゃないし……」
いつからか泣いているクウナの頬を、親指で拭ったアルムは、壁画の神のように微笑を讃えた。
「そんな、笑うなよ……嫌だって泣いてくれよ……そうしたら、止めろって言えるんだよ。言わせてくれよ……」
「何とでも言えよ。どうせ聞かないから。今の内に俺も言っておくか……やっぱり次のまとめ役もクウナはやらない方が良いと思う」
「……ああ」
「それと、プリエネと仲良くな」
「言われなくても」
「最後に……ありがとう。友達と呼んでくれて、仲間になってくれて……嬉しかった」
「さ、っ!」
「最後って何よ! 聞いてればあんた、勝手過ぎるのよ!」
入り口で会話を聞いていたらしいプリエネが憤慨しながらアルムの前に立った。真っ直ぐに怒る彼女の姿は美しい。
「プリエネか、呼びに行く手間が省けたな」
「はあ? 私、怒ってるんだけど。そもそもその糸はなんのお遊びよ?」
「俺のために怒ってくれてると思ったら、傲慢かな? ありがとう」
「……話が噛み合ってないんだけど。まあ、いつものことっちゃいつもだけどさ」
プリエネもしゅるしゅるとアルムを覆う糸が気になるのか、服の裾を引っ張るように糸を掴もうとして、指が空をさまよう。
「いつもみたく、みんなを笑わせてやって欲しい。それから、クウナなんだが……こいつ、実は王族の直系の血が入ってるから」
「はあっ!? 嘘でしょ、クウナ!」
「いや……それが、本当で……」
急に話の矛先を向けられたクウナは焦ってプリエネの肩を上から押さえた。止められていなければ拳か手刀くらいかましていたかもしれない。
「こんな頼りない男だからさ、プリエネに支えてやって欲しいんだ」
「あ~っもう! 言われたことが凄過ぎて、何言いたかったのかわかんなくなった!」
頭を抱えるプリエネは、クウナに背中を撫でられて、自分が泣いていることに気づいたようだった。
「悪いけど、二人とも……ダズを呼んで来てくれないか?」
「わかった」
「わからない! わからないわよ、自分で呼びに行きなさいよ。最後とか言わないでよ……」
「悪かった。最後じゃなくて、一区切りってだけだ」
「プリエネ」
「言ったわね? もし最後だったら英雄どころか、人格が疑われるくらいの話を吹聴して残してやるから!」
「ははは! そうだな、それがプリエネらしい」
朗らかに笑うアルムに、プリエネは勢いを削がれて面白くなさそうに背中を向けた。
「ふん、ダズを呼んでくれば良いんでしょ」
「口が悪くて悪いな、ホント」
アルムは首を横に振った。何を否定したのかはわからないが、とにかく笑っていたのでクウナは安心した。
二人に呼ばれたダズがやって来ると、緊張した面持ちで糸のことを訊ねた。
「大丈夫なのか? これ」
「大丈夫だ。ダズ、訊きたいことがあるんだけど……良いかな?」
「ああ」
「桃虫は俺が引き受けるから、ユゥイと逃げろって言ったのは……どうしてだ?」
それはダズにとって意外な質問だったのか、答えに詰まり額の汗を拭うような仕草をした。
「ユゥイが……泣くと思ったからだ」
「そのために、自分は生け贄になっても構わないのか?」
「いや……でも、できると思ったんだ」
犠牲になれると思った。そう告げるダズは並々ならぬ覚悟を放っていた。
「うん、やっぱり次のリーダーはお前だ。やってくれるか?」
「は、リーダー? 俺の器じゃないよ、なんか影も薄いし頭も良くないし……」
「けど、誰よりもみんなのことを考えてる。きっとダズなら、みんなが笑顔で暮らせるように頑張ってくれると思うんだ」
「お前……本当にアルムかよ?」
「そうだ、アルムであり、桃虫でもある」
「やっぱり理解できないな、俺には……」
吹っ切れたように笑って手を挙げたダズの目尻には、雫が光っていた。
「みんなを頼んだぞ!」
「ああ、ユゥイを呼んで来る!」
アルムの気持ちを汲んだのか、そんなことを言って扉を出る。当のアルムは、茫然と立ち尽くして自分の体を見下ろしていた。
「アルム……?」
少しだけ開いた扉の隙間から、ユゥイが顔を出した。アルムは手招きをして俯きがちな彼女を目の前に立たせた。
「来てくれてありがとう」
「言わないで」
主語がないユゥイの言葉は、アルムの口を閉じさせることに成功した。
そして考えた末に、ユゥイが言わせたくなかったのは、別れの言葉だと解釈した。
「ごめんな、そんなつもりで言った訳じゃなかったんだ」
「じゃあ、どんなつもりで言ったの?」
「本当にありがとうって、ただ伝えたかっただけだ」
「そっか……変なこと言っちゃって、ごめんね」
「良いんだ。それで……ユゥイには幸せになって欲しい。いや、もちろんユゥイだけじゃないんだが……前を向いて、笑顔で生きて欲しい」
「大丈夫。言われなくても、そうするつもりだから。私、実はめそめそしてるのって嫌いなの」
今もまだ潤んだ瞳を見れば、それが強がりだとわかってしまうのだけれど。アルムは何も言わないで頷いた。
「それなら良いんだ。もう、準備ができるみたいだし……」
アルムを包む白い糸はどんどんと重なり、やがて手足も動かないほどになってしまった。
「帰って来てね」
「ああ」
涙も晴れるような笑顔で、ユゥイは部屋を出て行った。一人残されたアルムは、思うようにならない足を曲げて、床に腰を下ろした。
深く息を吐けば、桃虫から発せられる温もりが伝わる。
「これじゃかっこ悪い芋虫だな」
こうしてアルムが繭になっていく間にも、遠くで女が大願を叶えようと変貌していっている。そうでなければ、本当にただのかっこ悪い芋虫である。
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