第6話神の果実

 首都の真っ赤な大門をくぐったのは、アルム、クウナ、ダズ、キーバ。女性陣はプリエネ、ユゥイ、マオ、ナナであった。

 カグト、ジョアン、リーファ、シーネ、ヒミカの五人はアルムたちが逃げる予定だった国へと旅立った。今頃は国境を越えているかもしれない。


「首都はあんまり荒れてないのね」

「まだまだ人が住んでるんだろ」

「の、割には気配らしい気配がないな」

「夜行性なんじゃないか?」


 楽しく話しながら歩いているだけだが、方向が読めない視線にじっとり観察され、居心地が悪そうな八人。


「じゃあ夜は気をつけないといけないね」

「そうだな!」


 かつて最も栄えた街、ニィハリ。どの場所からも巨大な宮殿が見える、升目の形に整備された道路が特徴的で、目的地の神殿にも迷わずにたどり着けた。


「誰も居ないなんて、おかしいな」

「どうしてだ?」

「あれだけ人が居るなら、神を寄りどころにする奴も居るだろうし、神殿は文句なく安心感がある建物だろ」


 薄暗い石造りの神殿へ足を進めると、内部も頑丈で劣化が遅いことがわかる。崩れにくいというだけでも、神殿を拠点にする価値はある。


「じゃあどっかから出て来るのかも。気をつけよ」

「油断大敵、だな」


 神殿の中は単純な構造らしく、大きな祭壇が据え付けられている広間の周りに、司祭が住んだり神官が仕事をする部屋がいくつも並んでいた。


「手分けして桃虫に関する情報を見つけようぜ。四人一組が妥当か?」

「グーパーだな」

「せーのっ!」


 都合の良いことに一度で半分に分かれることができた。アルム、クウナ、ナナ、キーバは執務室らしい書類と本だらけの部屋を捜索して行く。


「なあ、俺は文字が読めないんだが」

「ああ、構わないよ。桃に関係してる絵や図がある奴を見せてくれたら、絶対に見逃さないから」


 キーバは納得して本を次々に捲っては戻していく。なかなか几帳面な性格らしい。


「ちょっと、これなんて書いてあるの?」

「見せてくれ」


 クウナはナナの持つ書類を横から受け取り、隅々まで読み込む。アルムはアルムで、別の本を詳しく読んでいる。

 プリエネ、ダズ、ユゥイ、マオたちは何やら儀式でも行うような、ちょっとした倉庫を漁っていた。


「この部屋、どう見ても物置よね?」

「でも、かけてある絵には桃虫が描いてあります」

「うん、もしかしたら、役に立つ道具とかあるかもね」

「ガラクタにしか思えないんだけど」


 三人の少女が口を動かす中、ダズは男一人で肩身の狭い思いをしながら、積んである木箱の蓋を開けていく。

 また一つ木箱を床に下ろした拍子に、不安定な箱でもあったのか奥の道具が派手な音を立てて崩れた。


「きゃっ」

「うわー、ごめん。今片づける」


 崩れた道具に巻き込まれたのか、壁から落ちた絵の下辺りに、開けてくださいとでも言うような扉があった。


「それ、扉だよね?」

「開けてみるわよ?」

「そんないきなり?」

「みんなを呼んだ方が良いんじゃない? っと、落ちる」


 呆気にとられていたダズが腕の中の道具を掴み直したところで、廊下から走る足音が聞こえ来た。

 重なるように、自由過ぎるプリエネは重い石の扉をずらして開放していた。


「おいみんな、どうやらここには隠された研究施設があ……」


 あった。クウナの開いた口が塞がらないでいると、後ろからナナが顔を出した。


「なるほど、神事に使われる宝具の保管室なら機密は保たれやすいと」

「何はともあれ、入ってみよう。クウナ、いつまで驚いてるんだ?」


 正気に返ったクウナは、不用心に扉を開けたプリエネに説教しだした。罠であったり、毒などの仕掛けがあったらどうするのか、とは当たり前に注意すべきことだ。


「わかったか? 今後、こんな危ないことはするなよ?」

「わかったってば。ね、後で聞くからさ……」


 ひとまず説教中にお互いの知った情報を交換して、とっちらかった道具を端に寄せる。

 例の書類には、神殿の内部の研究施設の予算について記されていたらしい。


「わかってないだろ……プリエネ、今回の行動はお前自身だけじゃなく、みんなも危険にさらしたのと同じだからな?」

「あ……うん、そ、そうだよね。ごめんなさい」

「クウナ、続きは後にしてもらえるか? 最初に俺が入るから、みんなは残ってくれ」


 アルムの言葉にクウナはプリエネの頬を摘まんだ。目つきと合わせて、まだ話は終わっていないのだろう。


「了解、アルム」

「アルムだけで入るの?」

「異常がなければすぐに呼ぶさ」


 薄暗い扉の中は下っていく階段が緩やかに曲がっていた。カツカツと進む度にアルムの背は暗がりに紛れていった。

「アルム!」


 ユゥイが名前を呼ぶ。アルムは振り向いて手を挙げ、そのまま奥に消えて行った。


「大丈夫かな……誰か居たり」

「それはないな。居るなら扉は開けておくだろ」

「そっか……」


 しきりに心配するユゥイの胸に、アルムがどこか遠くへ行ってしまう根拠のない恐怖が湧き上がる。ダズはそんな不安を察して、ユゥイの背中を叩いた。


「少し座って休もう。な?」


 階段を下りた先にはもう一枚の木の扉があった。これも特別鍵などはなく、すんなりと開く。


「近く開けたことがあるみたいだな」


 室内も神殿の他の部屋と抜きん出て変わったこともない。安全面も確認できたので、アルムは「平気だ」と上に向かって声を張り上げた。


「行って良いみたいだ」

「そうか、字が読めない俺はここで待ってる。見張りが必要だろ?」

「キーバが残るなら私も」


 閉じ込められるといったありがちな展開を防ぐために、見張りを二人に任せて一行はついに桃虫の確信に迫るのであった。


「う、わ……アルムが言っていた壁画?」

「にしか見えないな」


 どうもこの施設は元から壁画があった場所に研究機材を持ち込んだ経緯があるようだ。一つ部屋を抜けると、突き当たりの広間は一階から明かりを取っていて、壁際だけがはっきりと見える。


「手分けして片っ端から桃虫の情報を集めよう。特に知りたいのは、追い出す方法だ」

「いきなり仕切り出すなよ、クウナ」

「良いじゃないか。ほら、壁際に寄ればなんとか文字も読めるだろう」

「さっさと終わらせたいわ」

「頑張ろう、プリエネ」


 書類をまとめていた部屋は、壁画の広間の隣にあった。アルムたちは何枚かの書類を持つと、壁画の前と埃っぽい部屋を幽鬼のように行ったり来たりするのだった。

 難しい専門用語が多いため、なかなか欲しい情報は集まらなかった。

 日が傾くと文字も読みづらくなり、その日は神殿の中で寝泊まりすることになる。


「食べながらで良いから情報を共有しよう。俺が見つけたのは実験の経過を記したものだった。桃虫はどうやら、戦争に使えないかと研究されていたらしい」

「軍事利用か……まあわかるが」


 見張りだったキーバが相づちを打つ。ずっと書類や本とにらめっこをしていたせいか、口数が少なく湿った空気が漂っていた。


「私が見つけたのは、関係者のリストね。老若男女を問わず桃虫を寄生させていたみたい」

「私、研究者の日記を見つけて……桃虫が宿った人たちって、みんな死んでいるみたいなの……」

「死んでいる?」


 ダズがアルムを見た。今、桃虫を宿している唯一の人間に。


「なるほど、それでこの神殿には誰も住みたがらないのかもな」

「どういうこと?」

「最初は住んでみても、研究のことを知ったら怖くなるだろう。寄生されたら死ぬんだぞ?」

「あんたね、それを自分で言っちゃう? 怖くないの?」

「怖い訳がないだろ。桃虫はクウナやプリエネと同じ、俺を助けてくれる仲間なんだ」


 重たい沈黙。死ぬという事実を聞いても平然としているアルムに、なんと言えば良いのかわからない。


「でも待てよ、俺は桃虫が簡単に死んだり移動してしまって、維持が難しいって書類を読んだ。アルムは死ぬ必要はない」

「なら、具体的な方法を試してみれば……」


 乾いた木の器が、石の床を打った。クウナが目にしたのは、まぶたを閉じるアルムとその手の中にある、桃の果実だけであった。


「何、それ……?」

「どっから出したんだよ?」

「答えたら、食べてくれるか?」


 訊ねたナナは顔を引きつらせたまま、首を横に振る。それが何なのか、本当は理解しているのだ。


「私が食べてみる」

「止めてよユゥイ! そんな物食べるなんて!」

「二人とも、静かに。アルム……桃虫を表面に出してみてくれ。今すぐ」

「できない」

「できない? アルムのも動かない奴だったの?」


 アルムの桃虫の状態を知らないナナがのん気を装って訊いてみる。しかし、アルムはまた否定の意味で首を振る。


「私に遠慮しなくて良いから。アルム、どうしてできないなんて言うの?」

「それは……」

(物理的な肉体を持たないから同化してわからないだけで、俺の体の半分くらいは桃虫になっている……なんて、言っても良いのだろうか)


 どんなにアルムが周りと共感できなくても、桃虫が危険視されており、自分が心配されていることはわかる。


「言わなくて良い、ならアルムは何の情報を手に入れた?」

「俺が読んだのは古い神話だった。昔ハルキエができた時、貧しさのあまり自分たちの神に助けを願った。現れた女神は神の使いを人に与えた。神の使いは人の心が豊かであれば、惜しみなく協力してくれて、民は飢えも外敵も怖れることはなくなり、国は栄えた。けれど……」


 やがて人は神の使いが存在するのは当たり前だと思うようになる。他者を害し、己の利益を貪るように変わっていくと……その者は枯れて死んでしまった。

 だんだんと死ぬ者が増えると、神の使いは拒絶されるようになる。元は人に望まれた存在であったから、拒絶されては生きていけなかった。

 そして、神の恩恵を忘れた人は神の使いを御神木に封印することにした。その木はどんなに大地が乾いても枯れることなく、花を咲かせるという。


「じゃあ、桃虫は神の使いなの?」

「そうだと思う。でもさ、心を食べるのなら俺は死なないよ。こうして果実まで出せるんだし」

「ちょっと待って、思い出して来たんだけど……私が聞いたお伽話だと、侵略者が現れた時、神の使いは英雄に宿って敵を打ち砕くって……」

「そうなの? アルム」


 唇まで青ざめたユゥイが問う。アルムは果実を床に置くと、目を閉じた。


「そうらしいな。桃虫は英雄を作って、英雄は国を守り続ける」

「お前はこんな滅んだ国のために英雄になる気か!? この国を守り続けて、俺たちを見捨てるのか!?」

「……クウナ、ごめん、俺」

「謝るな!」


 襟を掴んで詰問するクウナは、先の読める物語に憤慨していた。

 これではアルムが人形のように感じて。英雄が何に変わるのか、わからないことが恐ろしくて。


「桃虫を殺そう」


 冷たい声が響いた。普段は穏やかなユゥイとはとても思えない瞳で果実を見ていた。桃の果実がすべての元凶であるかのように。


「だめだ」

「だめじゃない! アルム、わかってるの? 死んじゃうんだよ。死ななければ英雄になって離れ離れ? そんなの嫌っ、絶対に嫌!」


 思わぬ激しさで立ち上がったユゥイに、プリエネが宥めるように腕を掴んだ。

 少女は隣の友人を意に介さず、アルムの目の前の果実に爪を立てる。瑞々しく甘い果汁が滴り落ちて指を汚した。


「ユゥイ、落ち着いて。座って」

「こんなもの!! アルム、ハルキエを捨てるんだよね? ハルキエを、桃虫を捨てるって言ってよ! お願い……!」

「ユゥイは桃虫を嫌ってなかったと思ったんだが……どうしてそんな悲しいことを言うんだ?」


 ユゥイの見開かれた瞳から涙がこぼれ落ちる。悔しさを滲ませて、唇を噛む。


「私たちを助けてくれたから受け入れてただけ……今はアルムを殺す敵だよっ」

「ありがとう、ユゥイ。怒ってくれて……嬉しいよ」

「おい、落ち着けよ。どうしてアルムが桃虫と一体になるんだ? 俺たちは何も戦ってないだろ?」

「キーバ、お前たちの前にも一度は桃虫を寄生させた連中が現れているよな?」

「ああ、確かに」

「そいつらの目的はなんだと思う? 桃虫を育てて、最終的には何をしたかった?」


 桃虫はこれまで軍事利用のために研究されてきた。戦争をしていたからだ。そして、お伽話の中では桃虫が侵略国から助けてくれた。


「桃虫を育てる奴らは、戦争に負けたのに英雄を作ろうとした。フレアに復讐するのか、国王を殺すつもりか……そんなところだろう」

「勝手にそんなことされたら、私たちハルキエの民はどこでどうやって生きたら良いの?」


 国の中の人が外に流出しただけで、小さな国とはいえ捕虜や奴隷はたくさん生きている。

 万が一ハルキエが無謀な戦いでフレアに喧嘩を売れば……ただでさえ立場が悪いハルキエ民は瞬く間に殺されていくだろう。


「俺たちの敵は、桃虫を復活させた奴らだ。そいつらの敵は、フレア王国」

「嘘でしょ……馬鹿げてる」


 まったく馬鹿げた話だ。ハルキエはそもそも、軍事力で敵わないことが明白なフレアに宣戦布告した。今となっては理由はわからないが、もしかしたら桃虫が居れば最後は勝てると思い込んだのかもしれない。


「フレアの民がハルキエに移住して来ないはずだな。そんな危ない計画があったんなら納得だ」

「アルム、俺に桃虫を移してくれ。国を愛する気持ちがあれば良いんだろ? だったら俺が犠牲になるから、お前はユゥイと逃げろ」

(違う、違うんだ……)

「犠牲とかじゃない。俺はただ、この国が好きなんだ。お前たちに幸せに暮らして欲しいだけで、桃虫はいつもそれだけを願ってる」

「……桃虫にとって、お前はハルキエの民じゃないのか?」

「わかってもらえないなら仕方ない。桃虫は俺と同じで、俺は犠牲になんかならない」

「酷いよ……桃虫がアルムを変えちゃったんだ。前までのアルムならこんな時、敵を倒そうって言ったはずなのに」

「そうよ、英雄になる前に敵を倒せば良いんじゃない? この首都かどこかに、英雄を作ろうとした馬鹿が居るはず!」


 プリエネの提案は叫びにも似ていた。アルム以外の全員が、次々に賛同して盛り上がる。まだ機会はあると信じて。

 異様な興奮の中、一人口を噤んだアルムは脈動する桃虫に、残された時間は少ないことを感じていた。

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