第4話道中

 アルムの昔話に疑問がなくなったところで、本題であるこれからの方針の話になった。


「俺たちは今まで、他国へ亡命して人並みの暮らしをして行くことを目標にしていた」

「何よ、その言い方。それ以外に何かすることでもあるの?」

「桃虫か?」

「そう、桃虫だ。俺を含む四人の体に桃虫が宿ったまま、他国に行っても良いと思うか?」

「確かに不安です、本人としては……でも桃虫は力にもなるし、他に道はないのでは?」


 まだ悩んでいるのか、アルムの口が重たく開く。フレア兵と直接話した唯一の人間であるだけに、憶測や希望を語るのは重大な意味を持っている。ためらわれて当然だ。

 しばしの沈黙の後、促したのはクウナだった。


「もったいつけてないで言ってくれよ。まだ想像の段階なんだろ?」

「そうだよな。本当にフレア王国が桃虫を脅威だと判断していた場合、俺たちはどこに行っても追いかけられて捕まるだろう。俺がフレアの人間なら、どこに隠しているかわからないんだから全員殺そう、と決める」

「え? ……何それ」

「身体検査してもわからない凶器だぞ? しかも、戦争で降した国の民だ。実際に桃虫が宿っていなくても、一人でも……いや、桃虫が実在した時点で危ないな」


 アルムの予測はやっと先の見えない暮らしから抜け出せると思っていた全員にとって衝撃だった。

 言葉をなくして震えたり拳を握る少年少女は、強大な力に押し潰されるしかない。今も昔も、これからも変わらないことだった。


「待ってください。それなら、それなら桃虫がいる私がフレアの捕虜になれば、見逃してもらえるかもしれません」

「リーファちゃん……」

「悪戯に拷問されて終わりだろう。結局殺される未来しか見えない。もちろん世界的に露見したら避難の的だろうが、こんなちっぽけな俺たちが殺されたことを、誰が暴いてくれる?」


 ましてや、逃げて誰かが助けてくれる訳がない……そう結んだアルムの言葉は、皆で囲んだ輪の中に深く重たく沈んでいった。

 彼らは誰も助けてくれない現実を、嫌というほど思い知らされているのだ。


「はー、わかったよリーダー。あちらさんが既にそれだけの情報を持っているなら、確かに反論はできない。でもそれで終わりじゃないだろ? リーダー的には何も考えなしってのは許されないぜ?」

「はは、わかってるさ。俺は首都の神殿に行けば何かわかるんじゃないかと思う」

「何かわかるって何よ?」

「そうだな……桃虫を追い出すか殺す方法、とかがわかれば最高なんだが」

「そうよね、良かった。なんかアルムが桃虫を生かしたいような気がしてたけど、気のせいよね」


 プリエネが重い空気を吹き飛ばすようにアルムの肩を叩いた。

 曖昧に頷くアルムは、体内の桃虫の恐怖を感じ取っていた。一度は追い出すと口にしたものの、到底できそうにないと思っていた。

 神殿に行くことが決まっても、アルムの表情は薄皮一枚の笑みだった。


「あの、もし桃虫について何もわからなかったら……私はどうなってしまうんですか?」

「マオちゃん……」


 黙って怯えていた少女は、不安に耐えられないのか目尻にうっすら涙を滲ませている。

 静まり返る部屋が、何よりその問いかけに答えていた。誰にもわからないのだ。


「そうなったら、俺が桃虫を引き受けてフレアに捕まるよ。信じてもらえるかはともかく、時間は稼げる」

「は? 何だよそれ、桃虫を引き受ける?」

「ああ、言ってなかったか。この前食糧を奪って来た時、敵の一人が急にトゲを使えなくなっただろ? あれ、俺の体に桃虫が移ったせいなんだ」

「初めて聞いたわよ、そんなこと」

「アルム、どうしてそんなに大切なこと言わなかったの?」


 全員の責めるような視線に晒され、困ったアルムは両手を挙げた。


「悪かった。降参」

「本当に悪いと思っているのか? みんなアルムのこと、心配して言っているのに!」

「……うん、悪いと思ってるよ」


 彼は嘘を吐いていない。ただ、彼らが桃虫を危険で排除するべきだと考えていることが、理解できなかった。そして体の中の桃虫に同情していた。


「みんな、気持ちはわかるがアルムを責めても仕方ない。熱くなって悪かったよ……こいつはいつもこんなんだ、ってこと忘れてた」

「そうですよね。危なくなったら、桃虫はアルムさんが引き受けてくれるんですよね。ありがとうございます」

(桃虫は怪我を治してくれて、俺たちに力をくれた……なのに、どうしてみんなは桃虫を嫌がるんだろうか……俺と一緒、なのに)


 仲間に囲まれて笑顔でいるはずのアルムは、どうしようもない孤独に苛まれていた。

 いざという時のために、桃虫の実験をしながら首都の神殿を目指すことになったアルムたちは、国の外ではなく内側へと移動した。

 道中、暗い話題は避けるように一人一人が明るく振る舞っていた。

 しかしそこに不安や無力が見え隠れしていることは、皆肌で感じとっていた。そのもやもやした感情が、桃虫への嫌悪を知らず知らず強めてもいた。


「案外順調に進んでいるな」

「クウナか。そうだな、他の徒党チームもやたらに争いたい訳じゃないんだろう」


 アルムが桃虫の力で出せる“枝”は、トゲのように殺傷能力を持たない代わりに、重く大きな物を持つことができた。

 その力で、崩れた瓦礫を積み直して建物を宿代わりに仕立てている最中だった。アルム以外は複数人で協力して作業している。


「桃虫の移動のこと……どうして言わなかった?」

「そんなことが訊きたいのか? 忘れてただけさ」

「そうか、なら……良いんだが。もっと詳しく話してくれよ」

「詳しくと言ってもな……感覚的なものなんだ。戦っていたら、桃虫が痛そうな気がして」


 瓦礫が左に崩れ落ちた。クウナは小さな欠片を端に寄せながら、続きを促して相づちを打った。


「ああ、痛そうな気がして?」

「こっちに来い、って強く思った。それで移って来たから、桃虫は気持ちに反応するんだとわかった」

「……お前はさ、桃虫には共感できるんだな」

「その言い方、皮肉か嫌味か?」

「拗ねてるんだよ」


 アルムの手から伸びる枝が引っ込んだ。ちょうど瓦礫をどかし終わったからだが、不機嫌そうな表情を見ればクウナが笑った。


「気持ち悪いな。それより、前にプリエネと結婚しても子供を作らないとか言ってたよな?」

「雑な話の変え方だな。言ったけど、それが?」

「考え直したらどうだ? あの時は賛成したけど……これくらいで殺されて、歯牙にもかからない存在なんだからさ」


 これくらい、と言って枝を生やしてみせる。


「全然これくらいじゃねぇよ、それは。でも……確かにな。言いたいことはわかるよ」

「お前の隠したい事情も理解してるけど、プリエネはその方が幸せだろう」

「ただなぁ、フレアが桃虫を追うというなら、更に追われることないだろ」

「フレアだって、お前程度を追う余裕はないだろ」


 やられた、とばかりに大きな声でクウナが笑い飛ばす。その声を聞いて、立ち聞きしていたプリエネは冷静になった。


(アルムは私の知らないクウナの秘密を知っているの……?)

「プリエネ、どうしたの?」

「あ、何でもない。そろそろご飯作ろうか?」

「うん」


 夕方の食事を交代でとっていると、見張りが緊急自体を知らせる合図を高らかに鳴らした。

 いつ襲撃があってもおかしくないと覚悟していたアルムたちは、食事をその場に置いて駆け出した。


「クウナ、状況は?」

「敵は四人、男三の女一。今は二人組みで動いている」

「四人ならなんとかなるよね?」

「待て! 奴ら、どうも桃虫を持っているらしい」

「なんだって! 確認したのは何人だ?」

「二人。だが、下手したら全員……」

「笑えない状況だな。みんな、作戦の三で対応だ。頼んだぞ」

「応!」


 敵が二手に分かれているのでアルムたちも二手に分かれた。こういう時、いつもアルムとクウナがまとめ役だ。

 仕方ないと理解しながらも、アルムの下につくダズは劣等感を抱いていた。


「ダズ、ユゥイとシーネがやられないように注意していてくれ」

「ああ、アルム」

「シーネちゃん、敵にも桃虫を使う奴がいるから、迂闊に近寄っちゃだめだよ。アルムが盾役で、ダズは反撃役。私たちは隙を作るのと突く役……でも、一番は怪我しないことだからね?」

「は、はい。わかりました!」


 ユゥイは戦闘に不慣れな少女に再度指南をしていた。クウナ組でもプリエネが新人の三人、マオ、リーファ、ヒミカに声をかける。


「動けないのが一番まずいから、何があっても足は動かす!」

「どこから来るかわからないから、警戒を怠るなよ」

「はい!」


 先に動き出したのは、敵の徒党チームだった。

 クウナが角を曲がったところで、喉元目掛けてトゲが襲来した。


「うぁっち……危なっ」

「クウナ!」「下がれ!」


 そう言われて下がるプリエネではない。一歩前に踏み込むと眼前の男の顔面へと蹴りを繰り出す。


「ハァッ!!」

「ぐはぁっ!」

「何この女!」


 鼻血を噴き出した男の背後に構えていた女が、プリエネにトゲを伸ばす。体を翻してトゲをかわすと、女は更に驚いて距離を取る。


「ナナ、一旦退こう。こいつら虫を知っている」

「誰が逃がすか!」


 クウナが腕を真っ直ぐ突き出すと、それに合わせて男は手を開いた。トゲはクウナの拳に……刺さらない。


「なっ!」

「馬鹿かよ、お前」


 桃虫を持っている相手は、トゲに頼った戦い方をするだろう。そう語ったアルムの予測は見事に嵌まっていた。


「な、なんで近づいて来られるのよ! このっ」

「悪いわね。私、馬鹿じゃないから」


 その頃、アルムも敵と交戦中であった。二人の男はトゲを扱い慣れているらしく、手以外の場所からもトゲを出し、それも深い傷を狙わないで牽制に使うといった工夫がされていた。


「は、は……アルム」

「わかってる」


 このままでは近づけないまま、なぶられて終わりだろう。敵のトゲの操作は体術の弱点を補っているので、肉体的に勝っているはずのダズも手が出せないでいた。


「あんたら、トゲ相手が慣れてるな。なのに使って来ない」

「つまり、あの激痛のことも知ってんだな」


 糸のように目が細い男が、凶悪な角度で唇を歪めた。それを見て息を飲んだのは、後ろの少女たちだ。アルムはユゥイに逃げるよう身振りで指示した。


「室内じゃあ俺たちの方に利があるのに、な……」


 アルムがダズに目配せして、何かを指示する。間髪入れず、角刈りの男がダズの胸へと肘を打つ。


「ふっ、あ!」

「ダズ!」

「今だ!」


 敵のトゲが肘からではなく、膝から飛び出して足を切り裂いた。しかし、同時にダズも敵の服をトゲで縫い止めていた。


「おおおっ、らぁ!」

「っく、だああ!」


 糸目は動けないダズの背中に狙いを絞ったようで、アルムは邪魔されることなく角刈りの顎を揺らすことができた。……はずだった。


「ダメだぜ、服じゃなくて体に突き刺すくらいじゃないと」


 角刈りの男はダズの手を跳ね上げて服を犠牲にし、アルムの攻撃を微妙に逸らした。もちろん無傷ではないが、立っていられるほどに過ぎない。


「悪い、ダズ。平気か?」

「平気、だ……」


 背中への一撃はダズの体に深い衝撃を与えたらしく、立つのが精一杯であった。ユゥイ、シーネは既に逃げており、万が一この場に居ても足手まといであったことは想像に難くない。


「来ないのか? なら、こっちから行くぜ!」

「ヒュ、ほっと」

「身のこなしが軽いな、お前」

「アルム、俺を置いて逃げろ」

「まさか」


 現状では実質二対一。通路で向かい合っているから攻撃が読めているのであって、これ以上は向こうも付き合ってくれないだろう。

 無理やり二人でアルムの壁を突破してダズを潰してしまえば、勝利は揺るがないものになるからだ。


(とは言ったものの……どうするか)

「アルム、俺にやらせてくれ」

「どうするんだ?」

「桃虫を使う」


 とっさに止めておけ、と口走りそうになったアルムだが、結局頷くしかできなかった。勝ち筋が見えないのだから、無茶をしてでも状況をひっくり返さないといけない。


「サポートに入るが、なんなら一緒に殴って良い」

「まさか」


 足下の覚束ないダズがアルムの背中から出て来たことで、糸目と角刈りは構え直した。

 ここで油断してくれる相手なら楽だったが、少人数で攻めて来るだけのことはある。


「来いよ」

「は!!!」

「くっ痛……っ」


 ダズは二人組みが使っていた、トゲで弱点を補う体術を応用していた。見ていただけで真似されると思っていなかった糸目の男は、頬にできた傷を手の甲で拭った。


「カグ、長引かせろ」

「ああ」


 単純で目的の明確な指示に、ダズは血路を開く気持ちで二人の男に向かって飛び込んでいった。

 相手が消耗戦を狙うなら、ダズとアルムは短期決戦しなければならない。


「ちっ、小僧、ちらちら動きやがって……!」


 ダズの重い拳とアルムの死角からの攻撃の組み合わせは、熟成された息の合い方で敵を翻弄した。

 それはつまり、敵がトゲの使用を控えたということだ。アルムは二人組みが桃虫についてよく知っていたことと合わせて、激痛の訪れを察知したのだろうと予想した。


「ダズ、待て……トゲを使うな。そろそろヤバい!」

「へっ、使わないんなら、こっちが使えば良い……!」


 出し惜しみしただけあり、角刈りはダズの目に正確な照準でトゲを伸ばした。格闘で体力を削り、トドメは致命傷。敵ながら、内心ダズは感心した。


「はあ!! ぐっ……うぅ、食らえ!」

「ダズ!」


 力の入らない膝から、完全に力を抜けばトゲの切っ先がダズの目蓋に一本の線を引いた。

 そこから腰に飛びつき、角刈りの腹部へトゲを突き刺した。


「うああああッ!!」

「ぎぃいいいいッ!!」


 二つの獣のような叫び声は、角刈りとダズのもの。それらは桃虫の無言の叫びとも混じって、アルムの胸中を占領した。

 身の内を抉るような痛みは想像しただけでも芯が震える。糸目がそんなアルムを見逃すはずなかった。


「おらぁッ!」

(桃虫、来い)


 腕をトゲで貫かれたアルムは、目を閉じて痛みに集中した。どんどん痛みは鮮明になり、やがて自分だけでなく糸目の桃虫にまで繋がった。


「無抵抗かよ!」

(おいで、桃虫。こっちだ!)


 瞬間、アルムの体に以前よりはっきり、そして大量の質感を持った何かが入り込んだ。熱く、特別で心地よい感覚は呼吸の間に失われ、アルムは成功を確信した。

 トゲで貫いたまま殴ろうとした糸目は、喪失感に唖然とする。


「な、何……?」

「どうして出ないのよ!! こんな時に!」

「何かわからんが助かった! 体術だけなら負けないぜ!」


 膝をついていたクウナは立ち上がると女の膝と腹部を狙って、連続で足技を使う。

 プリエネ、三人の少女もそれに続いた。


「あれ? 私のトゲも出ない」

「トゲとか今は良い! よそ見しない!」


 元々トゲを持たないクウナとプリエネが主な戦闘員だったおかげで、対等な条件になれば遅れは取らない。

 相手はトゲを失った動揺があり、プリエネには勢いがついていた。


「せいっ!!」

「ぐぶふっ……」


 男が気絶したのを見て、女は青ざめて完全に戦意を消失させた。両手を挙げて首を横に振る少女の降参で、息も絶え絶えながらクウナ組は勝利をおさめた。

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