第3話ハルキエとフレア
「俺が動けない間にそんなことがあったのか……」
「そうよ。これで食糧問題は解決!」
嬉しそうなプリエネの様子も無理はない。彼らは敵を襲った一番の目的を達成できたのだから。
「じゃあ新しく増えた女の子たちは、敵の徒党だったんだ」
「うん、でも女の子たちから希望したんだって」
「他にもトゲと桃虫の因果関係とか実験とか、色々やってみた」
「ああ、それがよくわからないんだけど、桃虫ってなんだ?」
至極最もなダズの言葉に、アルムが説明を始める。というか、アルム意外に上手く説明できる者がいない。
「俺なりに仮説を立ててみたんだが、桃虫は寄生している人間の精神に反応する存在だと思っている」
「今のところ実験した結果や戦闘での反応には、矛盾したところがない仮説だ」
「精神に反応する“存在”って曖昧過ぎやしないか?」
生きているのか実体があるのかについても実験であれこれと調べたのだが、わかったのはわからないことだけだった。
仕方なくアルムがそのまま伝えると、ダズは引きつった笑みを浮かべた。なんと言っていいのかわからないのだろう。
「それでだな、その精神に反応する桃虫が、ダズの中にも居るんだ」
「え?」
「桃虫がダズの中にも居るらしい……んだ」
言い直してみても大して変わらないのだが、同情したプリエネはそっと水を差し出した。飲んで落ち着け、というのだろう。
「なんでそんなことがわかる?」
「ダズには見えない位置なんだが、肩と肩甲骨の間くらいに桃虫が見えているんだ」
クウナがそう告げると、ダズは血相を変えて両手で肩と肩甲骨の間辺りをまさぐる。ダズの手にはただの皮膚の感触しかない。
「なんだ、膨らんでないし、ぷにぷにもしてないぞ」
「平面だからね……」
安堵したダズの一言を無慈悲に切り捨てたのは、ユゥイだった。
「状態に差があるみたいなんだ。それどころか桃虫は成長するらしい」
「成長だって?」
ますます青くなっていくダズの顔色。不憫なことに、ダズはアルムほど無神経でも図太くもないようだ。
「プリエネが居るんで見せられないが、最初は蝿くらいだった大きさが今ではこのくらいになってる」
このくらい、とアルムは左手の親指と人差し指をくっつけた輪っかでダズを覗き込んだ。
「本当にその桃虫って危険はないのか?」
「そう、そこなんだが、桃虫のトゲを利用していた男がいきなり苦しみ出した現象、さっきの話で覚えているか?」
「ああ……女の子を止めようとして苦しみ出したんだっけ?」
「それが桃虫が精神依存だと判断した一番の理由だ。味方を攻撃したから激痛になったのではないか、と話し合って結論が出た」
「対峙したアルムの感覚だよりで不安なんだがな……人を傷つけると、どうも桃虫には痛みになるんじゃないかと」
「……じゃあ、そんなに威力があるのに人には使えないのか?」
「威力というよりリーチがあるのが厄介なのよね」
実際にトゲを使われたプリエネは苦虫を噛み潰したような表情で呟く。アルムは集中しているのか半分目を伏せて答えた。
「ああ、クウナと話して、安全のために人に使って良いのは三回までにしようと決めた」
「それも、致命傷を与える使い方は危険が大きい。足止めや身を守るために使うのがせいぜいだろう」
「俺にも、その、トゲは出せるのか?」
「どうかな、一カ所に集中してトゲよ出ろ、みたいに念じてみてくれ」
桃虫が居ても必ず出せるとは限らない。アルムは何度実験しても、枝としか呼べない葉っぱつきの枝がにょきっと生えるだけだった。
アルムに言われた通り、ダズは手のひらに意識を集中して念じた。
(トゲよ出ろ!)
「おっ」
「成功した! やるじゃない、ダズ」
「やってみるもんだな……」
「出した本人が驚いてるのか」
確かめるように引っ込めては伸ばして、頷いたところで感覚を掴んだようだ。
「これでトゲが使えるのは三人か」
「三人? 今、アルムは使えないって言ったよね?」
「ああ、四人の女の子の内マオとリーファに桃虫が宿っていたんだ」
「またダズとクウナで体術を教えてあげてね」
アルムの徒党チームで女も戦闘を行えるのは、クウナとダズの貢献があってこそだ。クウナは護身術の基礎を、ダズは体術の型を皆に教えてきたから、少人数でも他の徒党チームに負けずに生き残ってこられた。
「もちろん」
「まあその前に、ちゃんと体力を戻してくれよな」
「そうだな、せっかく食べ物も手に入ったし……ダズの調子が戻ったら、亡命の計画を実行に移そう」
「賛成! ここからが大切なんだから、ダズには元気になってもらわなきゃ。慎重になってなり過ぎってことはないわよね」
明るい話題ばかりが飛び交って、ひとしきり話合ったところで、ダズの体のためにそれぞれ部屋に戻ることになった。
「じゃあお休み、ダズ。ゆっくり休んでね」
「あ、ユゥイ」
「何?」
振り向いたユゥイは続くダズの言葉をよく聞くために、少しだけ開けた扉を閉めた。
「ずっと看病してくれてたみたいで、ありがとう」
「うん、私だけじゃないけどね」
「そうだけど……今度は俺がユゥイを守るから」
爆発の怪我で気を失っていた時、付きっきりでダズを見守っていたのはユゥイだ。
彼女に守られっぱなしでは恥ずかしいと、ダズはユゥイを呼び止めたのだ。
「頼りにしてる」
「ああ……!」
憩いの時間を過ごした明け方、彼らの縄張りに入り込んだ者がいた。容姿や服装からして他国の……厳密に言うなら、この国ハルキエに勝った国フレアの人間であることは明白であった。
ちょうど早朝の見張りをしていたプリエネは、まずリーダーの指示をあおぐためにアルムの部屋に急行した。
「起きて、アルム! フレアの人間がすぐ近くに来てる!」
「ん、マジか……ちょっと待て。プリエネ、か?」
「あれ? ……アルムって朝弱かったっけ?」
「いや、見張りの順番がずれたから……」
いつまでも眠そうにまばたきしたり目をこするアルムの姿に、プリエネは呆れる。
「しゃんとしてよね、私たちの危機なんだから。何か指示はある?」
「……相手の情報は?」
「そうだった。人数は二人、男女のフレア人で武装してた。着ている物からすると、階級は上の方だと思う……気配がほとんどわからなかったし。今は赤地点から緑地点に向かって進んでるわ」
「わかった、まずクウナを起こして合流、見つからないように新参の四人の面倒をみてくれ。俺はユゥイ、ダズと行動する」
「わかった!」
戦勝国のフレア民がやがてハルキエに移り住むのは自然なことだったが、働き始めたアルムの頭脳にいくつかの疑問が浮かぶ。
(残党処理にしては人数が少ない。と言って、偵察にしては階級が高め……? 難しいだろうが、少しでも情報が欲しいな)
「ダズ、ユゥイ、他のメンバーは隠れている。俺たちは尾行しつつ情報を集めるぞ。見つかった場合、相手が何かする前に動くなよ。人買いとは違うからな」
「うん、わかった」
「何しに来たんだ? ここは首都でもないのに」
「それもわかったら良いんだが」
プリエネからの情報で、幸いにしてアルムはフレア兵に気づかれる前にフレア兵を視認した。
男は黒の短髪で、目つきや身のこなしから人を殺すのに躊躇いのない人間だと判断した。
女は髪を結い上げているのか、額からわずかに金色の髪が覗いている。柔らかな表情の中の鋭い瞳の光が、諜報や交渉に長けた人間であると知らせていた。
(プリエネの言う通りだな……装備もガチガチ、経験も肉体もまるで敵う気がしない)
下がって警戒しているダズとユゥイに足音を殺して近づく。
「運良く見つけられた。繰り返しになるが、俺たちがフレア兵を出し抜けるとは思わないでくれ。見つかった相手が殺意を持っていたら、とにかく命乞いしてくれ」
「わ、わかった……」
「そんなに強そうなの? やり過ごした方が良いんじゃ……」
ユゥイの最もな意見に、アルムは危険と成果を秤にかけた。
(奴隷商よりは危険がない。速攻で殺される危険は三割くらいか……捕まる可能性……あるな。ただ国を出る前にフレア兵から情報がもらえたら、物凄く助かる。助かるというか喉から手が出るほど欲しい情報を持っているだろう。しかし……情報をくれる訳がない)
あれこれと考えた結果、危険の価値はあるが仲間を巻き込む必要はないというのが妥当だ。
「ちょっと俺が話しかけてくるから、危なくなったら逃げろよ」
「おい、成功するのか?」
「危な過ぎるよ」
小声でアルムを諌める二人だが、いつもの飄々とした笑顔で背中を向けて歩いて行ってしまった。
「ちょっと!」
「待てユゥイ、迂闊に行くと足手まといになる」
「だけどっ」
ついて行こうとしたユゥイの手を引いて止めるダズ。ユゥイも熱くなったのは一瞬で、落ち込むように息を吐き出した。
「落ち着いたか?」
「……うん。ねえダズ、本当にアルムが危なくなったら、助けに行くよね?」
「行けたら、な」
それ以上強く言い募れないユゥイは、気持ちを抑えるように胸元で拳を握りしめた。思いがけずユゥイの激しい一面を見たダズは、少々ばつが悪そうにアルムの様子が見られる位置に移ることを提案した。
「こんにちは」
「あ、人発見! こんにちは~」
女がひらひら手を振ったので、アルムも愛想笑いを浮かべて手を振った。首筋に冷たい汗が伝った。
「フレアの軍人様ですか?」
「ご明察! も~全然人に会わなくてさ、良かったよ。訊きたいことがあるんだけど、良い?」
「はい、お答えできることであれば」
アルムには――ハルキエの民には、否と答える権利などない。表面はにこやかな女だって、アルムが一言逆らうような口を聞けば、刃物で引き裂かれてしまうだろう。
「神殿を知らないか?」
「神殿ですか? この街にはありませんね、もっと大きなところでないと」
アルムの記憶の中では神殿があるのは首都と神話に出てくる三つの街だ。いずれも離れた場所にある。
屋根の上からアルムたちを発見することができたダズとユゥイは、異様な緊張感に息を潜めた。
「そっか~じゃあ、桃饅にそっくりな虫とか知らない?」
「は?」
何故フレアの軍人が桃虫のことを訊ねるのか……アルムの思考は真っ白になり、自然と首を傾げていた。あまりの間抜け面に、女が吹き出す。
「ぷ、あははっ。そうだよね、わかんないよね。桃饅が動くとかきしょいしありえない!」
「はあ……それはよくわかりませんけど、もし見つけたらどうすれば?」
「何もしなくて良いよ。ただ捕まえて調べたいの、色々と“訊きたい”こともあるしね」
二人は桃虫が人に寄生することも知っている……アルムは唾を飲み込んで、何も知らない少年を装って質問する。
「他には……?」
「怯えているのか?」
男が威圧感溢れる声で問いかける。それだけでアルムの足は地面に張りついたように動けなくなった。
「は、はい。俺にはお二人とも恐ろしいです……」
「何か知っているな?」
(何かってなんだろう)
誤魔化しではなく鈍い反応をするアルムに、男が腰の刀に手をかけた。
「止めて」
「こいつは何か知っている」
「そんなことないよ~、こんな怯える青少年を殺したらつまらないでしょ」
「殺しっ!? あ、や、止め……」
男が放つ殺意は鮮やかで、演技をするまでもなく体が震える。アルムは自棄になったように口を動かし始めた。
「止めてください! 俺たち、もうこの国を捨てるんです! 死にたくない……見逃してください!」
「哀れだねぇ……戦争に負けるって、そういうことだもんね」
「小僧……何か桃饅の形に心当たりはないか?」
「桃饅の、形……形? あ、俺の故郷に壁画があります。なんか神様がくれたみたいなお伽話と一緒に……」
「本当に心当たりあるんだ? それ、どこの街?」
「ヨニツキ……フレア王国に帰る道中にありますよ」
「地図を知っているのか?」
にわかに男の殺気が強くなる。アルムの年齢で地図を知っているとなると、教育を受けていた上流の人間になるからだ。
「偶々です! 俺は……ヨニツキの神殿の、司祭の息子で……本とか、読めたんです」
「へえ……都合が良いね?」
「嘘は吐いていないようだがな」
フレア兵が捕まえるつもりならば仕方ない、アルムは諦めて膝をつき、両手を挙げて無抵抗を主張した。
後方のダズとユゥイは、アルムが降参したのを見てお互いに頷き、走り出した。
「見逃してあげても良いよ、青年」
「何をすれば良いんですか?」
「話が早いねぇ、最近この辺りで急に強くなった徒党ってないかな? 人数が多いところでも良いや」
「それなら……明日、俺たちが襲おうとしてる奴らが居ます。人数が多くて……けど、食べ物を持っているんです」
「そいつらの居場所を教えろ」
アルムは土の地面に小石でこの辺りの地図を書く。小さな路地までは書かなかったが、完成にはそれなりの時間がかかった。
「できました。今居るところが、ここで……奴らの拠点がここ、です」
「良い精度の地図だ。俺たちが持っている物とほとんど一致している」
「じゃ、見逃してあげる。後ろの二人を止めておいで。今にも飛びかかって来そうだから」
「は、あいつら。はい! ありがとうございます!」
お辞儀をして、横の路地に入る。後ろに走っては武器が飛んで来た時に対処できない。
そして二人が待機していそうな場所に向かって、建物を挟みながら全力で進んで行った。
「アルム!!」
「無事だったかっ?」
「ああ! この通りだ!」
合流した三人はとにかくお互いの無事を祝った。
「良かった~、途中で降参するからもうダメかと思って……」
「お前たちこそ無事で良かった。あの軍人には居る場所がバレバレだったみたいだぞ」
「マジか、一応気配は消すようにしてたんだけど……」
「あっちはその道の達人だからな。それじゃクウナ組とも合流しよう。色々わかったことがあるから、全員で話し合いたい」
「危険をおかした価値はあったの?」
「そういうことだ」
クウナたちは拠点からなるべく離れた、白地点の建物内に居た。全員が無事なことを喜び、拠点に戻る道すがらフレア兵から手に入れた情報について、アルムが己の仮説と共に語った。
「どうもフレアの民がハルキエに移住して来ないのは、桃虫を警戒しているかららしい」
「桃虫についてそんだけ調べているなら納得だな」
「戦争に勝った国が警戒するなんて……やっぱりヤバそう」
そして追い詰められたことで思い出した、桃虫の描かれた壁画についても話した。
「もしかして……女神が授けた恵みの果実のことか?」
「クウナさん、わかるんですか?」
「いや……みんなも聞いたことくらいあるだろ。この国ができた時、女神が人々のために恵みをもたらした、ってお伽話」
「あー! そういうことね。あの桃虫の気持ち悪さから想像できなかったけど、言われてみれば桃とハルキエって関わりが深いね」
「なあアルム、そんな凄そうな壁画をどうして見たことがあったんだ?」
ダズの疑問に、全員がアルムに注目した。あまり自分のことを話さないアルムなので、気になるのだ。
頭をかいて悩む仕草をしたアルムは、諦めたようにため息を吐いた。
「俺の出身はヨニツキの街なんだ。しかも神殿の司祭の三男」
「へー!」
「アルムが司祭の息子……」
「ねぇ、よく知らないけどヨニツキの街ってかなり遠くない? 徒歩でここまで来たの?」
「もう良いだろ! 俺のことよりこれからどうするか、だ」
アルムは話題を変えようとしたが虚しく、皆がアルムの提案を却下して話をするように迫った。味方がいない。
「観念しろよ。俺だって出身までは知らなかったし、人死にが出ない範囲で話してくれよ」
「……わかったよ。最初は俺、司祭の息子だからってまとめ役を任されたんだけど……まるでみんなの気持ちがわからなくて、とんちんかんな対応ばっかりしてたら追い出されたんだ。殺されるほどでなくて助かったが、クウナと出会った徒党≪チーム≫でも浮いてたし、そもそも俺はリーダーに向かない男なんだよ」
「では何故この徒党≪チーム≫はアルムさんがリーダーなんですか?」
質問するマオに、アルムはクウナを親指で示した。
「クウナにリーダーやってくれって頼んだら断られたから。助けるから絶対に俺がやれって……その後は仲間が増えても反対されなかったから」
「俺はこの中なら、やっぱりアルムがまとめ役だと思ってるぞ?」
初めて事情を聞いた仲間たちは、終始頷いていた。アルムがまとめ役に向かないだの、クウナが押しつけただのに突っ込んで訊く人は誰もいなかった。
自分が追い出された話を恥じているアルムは、耳を赤く染めてしばらくいじけていた。
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