第2話トゲ

「凄い! 本当に治るなんて!」


 興奮したプリエネはクウナの肘を奪って桃の花を指で撫でた。


「プリエネの機嫌も直ったみたいだな」

「ちょっと!」

「ほら、怒るなって」


 眉を立てて怒るプリエネの頭に左手を乗せてポンポンすると、恐ろしい表情はみるみる甘えたものに変わった。


「いちゃつく二人は置いておいて。ダズを治してやらないと」

「包帯を外した方が良いのかな?」

「上からやって、だめだったら外そう」


 ダズの怪我は頬、肩から背中にかけてが一番酷いようだ。包帯も替えが少ないので、なるべく無駄にしたくない。

 アルムは息を吐いて目をつぶり、血が滲む肩に手をかけた。


(頼む、桃虫……ダズを助けてやってくれ。この怪我を治してくれ!)

「う、わ……」


 今度も指先まで温もりが伝わるのを待って、手を離した。


「なんだ?」

「え、なんか一瞬桃色に光ったから……」


 思わず声が出ていたのだろう。そうか、と返事だけしてダズの包帯を外していく。治っているなら不要になるし、治っていないなら今度は直接やる必要がある。


「どうだ?」

「うん、ちゃんと治ってる! なんなんだろうね、この桃の花……きれいだけど」

「だけど?」

「不気味っちゃ不気味だよね。何が色を付けてるのか、とか成分は何かとか考えると」

「そうか。ユゥイは案外現実的な考え方をするんだな」

「ほら、やっぱり不気味で気持ち悪いのよ。こんな謎だらけの、生き物かさえわかんない蠢く奴をよく受け入れられるわね?」


 プリエネが横から口を挟む。ユゥイも傷を確かめる手を止めて顔を上げた。


「うーん。助けてくれるなら受け入れられるけど、もし危害を加えられるってなったらプリエネのこと言えなくなるよ、私」

「どおよ?」

「どおよ? と言われてもな……人それぞれだろ。俺だって崇めてる訳じゃない」

「……ま、良いわ。それよりこの後どうする? 撤収か続行か」

「続行するしか選択肢ないだろ。食糧は良いとこ四日くらいしか持たない。ここで引き下がったって、結局は飢え死に覚悟で空腹を抱えて戦うんだぞ?」


「……そういうことだ。続行は絶対。それより、ダズをどうするかが問題だな。置いて行くのは危ないし、連れて帰るのも一人では無理……」


 ダズはアルムとクウナよりも体が大きい。意識があるなら肩を貸せば済む話でも、気絶していたら男二人で支えないととても運べない。


「誰か一人が見張りで残って、他の奴らで食糧を奪って来る?」

「……しかないか」

「じゃあ、私が残るね。一番弱いし、物音には敏感だよ」

「俺はクウナが良いと思うんだが。ある程度戦えないと困るだろう」


 口々に意見を言い合うが、最終的にはやはりユゥイが最適だと決まった。決め手はクウナの、食糧の優先度が一番高いという言葉だった。


「ユゥイ、危なくなったら逃げるのよ? ダズも私たちも、ユゥイが無事なことを願ってるんだから」

「うん、ありがとうプリエネ。わかってるから」


 誰もあえて口にしないが、怪我を負って足手まといのダズと今働けるユゥイのどちらかを選ぶならば、ユゥイを生かしてダズを切る。プリエネはそれを遠回しに確認したのだ。

 この建物には少量の物資を持ち込んでいるから、どうせ一人は残っている必要があるのだ。ダズが倒れる前は、プリエネが見張っていた。

 非情と言うなかれ。友が目の前で奴隷商に引きずられて行こうとも、息を殺して見送るしかできなかった、彼らの精いっぱいである。


「早く行こう。もしかしたら敵がこっちの拠点を探してるかもしれない」

「だな。ユゥイ、もしダズが目を覚ましたら引き留めろ。こいつ、絶対俺たちの方に来ようとするから」

「うん、ダズのことは任せて。脱出の方法もわかってる。心配しないで」

「ああ、信頼してる」


 頷いて扉を閉めるアルムを見送って、ユゥイは神経を尖らせた。敵より先に敵を見つける。彼女の役目は、お留守番などではないのだ。


「で、さ……敵の拠点がわかってても食糧の場所まではわからないし、何か作戦あるの?」

「こういう人数に差がある時は、各個撃破と相場が決まってる」

「つまり、囮か罠だな。俺としては嫌だけど、仕方ない」


 クウナの視線を受けてプリエネは納得したように頷いた。罠は持って来ていないとなれば、彼女を囮にするしかない。


「頑張って猫かぶるから、二人ともよろしく。上手くいくんなら囮でも何でもやってやるわ」

「そういうところは本当に助かる」

「それ褒めてる?」

「褒めてる褒めてる」


 いつもながらプリエネをからかうアルムにクウナが毒を差す。


「ずいぶん仲が良いな、この状況で」

「ふざけて悪かった」

「ごめん、クウナ……」


 嫉妬半分説教半分のクウナに大人しく謝る二人。そろそろおしゃべりをしている場合ではなくなる。敵の拠点が近い。


「……居る。お誂え向きに一人。なんで一人?」


 三人は大きなお屋敷の生け垣に身を潜めて様子を窺う。

 アルムたちも敵も、成人したかどうかの戦闘経験が乏しい者ばかりなので、気配を消すのも見張りも本気のごっこ遊び止まりだ。


「普通は二人だよな。気づかれても速やかに行動するべきか?」

「夜を待つ余裕は無いだろ」


 悪戯に時間をかければ相手も精神的に余裕が出てくる。人数が多いのだから尚更だ。

 まだ襲撃の混乱が残っているとすれば、今がチャンスである。


「私、あっちでガサゴソして来る。首に抱きついて視界を奪うから、後は二人でぼっこぼこにして」

「任せろ」

「頼もしいな」


 苦笑いするアルムに、クウナはプリエネから目を逸らさずに話しかける。


「良い女だろ?」

「俺はごめんだ」


 見張りとプリエネをよく観察できるように、体の角度を調整する。丁度、プリエネが植物を探すように腰をかがめた。

 粗末な服が引っ張られ、スラリと伸びた足の線が浮き彫りになる。まるでお尻を振るように動くと、音と気配で見張りはあっという間に食いついた。


「見事な一本釣り」

「クウナ、ぼっこぼこと言っても、喋れる範囲だぞ。切れるなよ?」

「平気だろ、多分」


 二人が何を話しているか知らないプリエネは、さっさと引っかかれと悪態を吐きながらヒョロヒョロの野菜を抜いて懐に収めていた。


「おいお前、何をしてる!」

「きゃっ!」


 わざとらしく土で足を滑らせ、焦った顔で背後を見上げるプリエネ。演技派だ。


「お前、さっきの奴らの仲間か。おっと!」


 逃げようとした少女を、簡単に捕らえる男。蹴られないようにか、プリエネの足の上に座り込んだ。


「嫌っ、放せっ、放して!」

「一人か? お仲間は?」

「うっ……せめて食べ物を取って来よう、と思ったのが間違いだったわ。見つからないと思ったのに」

「本当に一人かぁ? なら良い、同じ女ばかりで飽きてるとこなんだよ」

「な、何する気!?」

「わかるだろ? こんな世の中じゃ、娯楽は限られるし」


 ぐぐぐ、と顔を近づける男に、プリエネは頭を抱えるように腕を回した。自分から胸に押し当てるような格好だ。


「ね……相手したら、見逃してくれる?」

「ふは、良いぞ。但し……っガア!?」


 男は白眼をむいて気絶した。後頭部に石をぶつけられての脳震とうだ。アルムの言葉など忘れて、半ば殺すつもりがあったとしか思えない。

 男に蹴りを入れて手についた泥や草を払ったのは、冷ややかな空気をまとったクウナだった。


「見逃すつもりなんかねぇ癖に」

「良いから、こいつの服を剥いで縛るぞ」


 庶民的な服の布地は糸自体も太く、織りも雑な物が多い。つまり、頑張れば力で引き裂くことができる。

 しかし服一枚でもなかなか調達できない状況では、もったいなくて破きたくない心理が働く。結果、良い時間稼ぎになるのだ。


「起こす?」

「一応訊いてみるか」


 アルムがそう言った直後、プリエネは男の股間にかかと落としを食らわせた。やはり進んで囮になったとはいえ、男の言動にはらわたが煮えくり返っていたようだ。


「うぎゃあッ!!」


 飛び起きた男に、同じ男として一瞬同情する二人。敵とか関係なく、自業自得でも不憫なものは不憫なのだ。


「ねえあんた、仲間の人数を教えなさい」

「誰が……っ」

「へえ、じゃあ種なしになりたいの。その方が私は楽しいけどね」


 にやあっとことさら大きく口角を上げて笑う。男から見たプリエネは、悪魔のような表情だった。


「ひぃイ!!」


 それでも黙ろうとしたのだが、所詮は軍でもなければ志もない連中。実際にプリエネが足を動かして脅せば、本気でやりかねない女だと恐れてあっさり口を割った。


「男が六、女が五人。今見張りが一人だったのは……腰を振るため、ねぇ。人数に胡座をかいているとしか思えないわ」

「そうなんだろ、実際。あの爆発であっち側には大した怪我人は居なかったんだし、退いたと思ったんだ」

「残念ながら、退くほどの余裕もないんだよな」

「つまり、こいつらは沢山食糧をがめてるってことだから、こっちとしては良いこと尽くめよね?」


 この人数で拠点を持ち、どこにも略奪を仕掛けずに生きられる自信は、食糧と水があるからに決まっている。


「その通りだ。ただ、食糧を寝床に集めているんだから交戦は必至だがな」

「無駄に他を探さなくて済んだ、と思おう」

「全員じゃないにしても裸ってことは、私は順番に男たちを折っていけば良いのね」

「折るって……」


 思わず男の本能が股間を庇った。プリエネはそれを見て、楽しそうに目を細める。


「安心してよ、仲間のは折ったりしないわよ。仲間のは、ね」

「プリエネだけは敵に回しちゃなんねぇな」

「そりゃあなあ、その時は俺も一緒に敵になると思え?」

「俺とお前の友情はそんなものだったのか! 薄情者めっ」


 アルムたちは拷問した男が嘘を吐いている可能性を考えて、ぐるりと屋敷の外側を一周した。


「とりあえず見張りは居ないね」

「背後の心配がないなら良い。突入したら三人で背中合わせになる。真っ先に敵の頭を狙う……で良いか?」

「簡潔な作戦だ」


 彼らの寝床というのは半地下を利用した安全地帯だった。窓がある部屋は二カ所から襲われる可能性があるので、引きこもる利点を選んだのだろう。

 しかし逃げ場が一カ所というのは数の利を殺しかねないので、今回はやや不利に働いた。

 石の通路は声が響くので身振りでタイミングを計り、アルムは勢い良く扉を開けた。鍵も突っ張り棒の類もなく、あっさり全開になり、三人は一瞬罠を疑った。


「うわあっ! 敵だ!」

「くそっ、誰だよもう襲って来ないとか」

「はあ! さ、女の子は下がってなさい!!」


 裸の男たちは大慌てで、隙をつけたと認識した途端にプリエネは執拗に股間を狙う戦法をとる。

 アルムは動きが良い男に目をつけて邪魔をしつつ、プリエネのサポートに入る。

 クウナはとにかく数を減らすために、プリエネの攻撃で動けなくなった男にトドメを差していた。


「落ち着け! 囲んで一人でも倒せば勝てる!」


 指示を出す男の言葉でいくらか冷静になったのか、四人の男は一番豪快に暴れているプリエネに狙いを絞った。

 もちろんプリエネが狙われやすいことはわかっていたクウナは、男に一方的に囲まれないように距離を詰めて戦った。

 クウナに殴りかかった男の腕はするりと捕らえられ、壁にぶつかる無様な結果に終わった。


「いやあね、いくら私が可愛いからって全裸の男が四人がかり? みっともない」

「くっ、そぉぉぉぉっっ!!」


 挑発された男の一人が顔を真っ赤にしてプリエネの胴体に拳を振るう。


「ヤバい、避けろ!」

「っと、いッつあ~……何よこれ……」


 ギリギリで直撃は免れたものの服は切り裂かれ、白い肌には一本の赤い筋が走っていた。傷を受けたプリエネの動きが鈍る。


「そうだ! そのトゲでやっちまえ!」

「ちょ、待っ……!」


 目の前の男のトゲはプリエネを貫こうと、繰り返し現れては消える。避けるのに必死で余裕がなくなったプリエネに、さらに追撃しようと横から別の男が手を出した。


「おら!」


 男の手はプリエネに届かない。しかしその指先からは、鋭く尖ったトゲが伸びていく。いやらしく唇が歪み、男は女を刺せる確信を持った。


「プリエネーーッ!!」

「いやァっ……え?」


 空気を裂く音が二人の間を遮った。全員が注視してみると男のトゲは折れ、プリエネの服には穴が空いていた。

 それは男のトゲがプリエネの服まで到達していた証であった。


「クウナ、まだだ!」

「ああ、わかってる」

「あ、ありがとうクウナ! たす、助かった……のよね」


 生きている心地がしないのか、プリエネは指先を手でこすって立ち上がった。声の震えは、まだ恐怖から立ち直れていないことを示している。


「ふぐぉっ、う!」


 放心している男にアルムが腹部へ拳を入れると、妙な感覚が男から伝わってきた。そちらに意識を向け続けるのは危険だが、その感覚はあえて言うならば痛みに近かった。


「一人やったくらいで、良い気になるな! まだ俺のトゲ、は!」

「ちっ、もう出ないっ」

「うわあぁ!」

「悪い!」


 プリエネをトゲから守るため突き飛ばした謝罪をして、アルムは状況を分析した。トゲのリーチがある分、素手の方が不利……クウナも次が使えないと言っている。


「へ、平気よ……ねえあんたたち、さっきから女の子たちは縮こまっているだけよね?」

「はっ、それがどうした!」

「……今だったら逃げられるわよ! 食糧を持って逃げて!」

「はあ?」


 男たちはプリエネが発した意味不明な言葉に首を傾げた。自分たちの仲間である女たちが何から逃げるのか、理解できなかったのだ。


「俺たちは女性には手を出さない! 今の内だ!」


 ついでアルムが叫ぶ。プリエネは何にも成果が出なくとも、言うだけはタダだと続けて説得する。


「私たちが勝てば、やりたい仕事をして良いのよ!」

「あ……あ……」

「何言ってやがんだ! ちょこまか逃げやがって……!」


 壁際の女たちの表情に迷いが表れていた。この三人の襲撃は先ほどまで、女たちにとっても脅威で恐ろしいものだった。

 だが今では、自由になれる機会をくれている救世主なのでは……そう錯覚する女が、一人でも居れば良かった。


「もう、もぅ……こんな生活やだあ!!」


 小柄な少女が袋を掴んで駆け出した。それをまずいと焦って追うリーダーらしき男。


「止めろ! 出すな!」

「恩知らずめっ、ぐあっ! うぐあ~~~ッッッ!!」


 トゲの男が逃げた女の足を狙ってトゲを出した刹那、男は床を転げ回り始めた。そこまで大きな隙を見逃すプリエネではない。


「てめえ、誰が恩を忘れたっていうんだよ!! 逃げるくらい嫌だったってことだろ!!」


 しなやかな足が苦しむ男に容赦なく襲いかかる。男の急変に戸惑った他の男たちは、女を止められず逃がしてしまった。


「このまま押し切れるな。不意打ちだけは食らうなよ!」

「お前が不意打ちされろ!!」


 アルムの脇腹を狙ってトゲを出したのは、先ほどクウナにトゲを折られた男だった。もちろん警戒を解いていなかったアルムは、待ち構えていたように腕を掴んだ。


「これでやられたら恥ずかしいにもほどがあるよな?」

「ちっ……出ろ!」


 トゲをかわすために観察していると、トゲは素早く引っ込んでから再び現れる。腕を叩き落として避けたアルムは、また痛みのような感覚を覚えた。


(目の前の男から痛み……痛み? さっき苦しんで転げ回った奴……トゲを出したクウナ……)

「一か八か!」


 アルムは敵の腕を掴むと、桃虫を強く意識した。敵の体内の桃虫は、やはりアルムに向かって痛みを訴える。


「これで終わりだ!」


 トゲをアルムが掴んでいる位置から放とうとした男は、目を閉じたアルムに異様な不気味さを感じた。それを押し込めて、トゲよ出ろ、と念じる。


「来い……桃虫」

(痛いんだろ? こっちに来れば良い。そんな使い方する奴から離れろ……)


 アルムが殴られそうなのを、間一髪でクウナが阻害した。今までアルムが戦いの最中に立ち尽くした前例はなく、かなり驚いている。


「どうした? 目を閉じるなっていつもうるさいお前が!」

「ああ……悪い」


 トゲを出すことでいっぱいいっぱいだった男は、何故トゲが出ないのか理解できず、慌てふためいた。


「なんで出ない! さっきまで出たのに、くそっ、これじゃ負ける!」

「桃虫はお前が嫌だってさ」

「はあ?」


 男からトゲが出ることはもうない。その事実がわかっていれば、遠慮なく間合いを詰めて爪を立てたり服を引っ張ったりできた。

 元からトゲがなければそこまで喧嘩は強くないのだろう。男はプリエネの足払いに転んで、今度こそ鳩尾への一撃で気絶した。

 強力な切り札だったトゲの使い手が二人ともやられてしまい、精神的にも呑まれてしまった敵の男たちは、最後まで女たちの支援を受けることなく全員が気絶するか拘束された。

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