桃虫花

結衣崎 早月

第1話芽生え

 小柄な青年の左手の中央に、細い植物の枝が突き刺さった。


「うああああっっっ!!!」

「ふふ……。せいぜい大きくしてね」

「な、に、言って……」


 フードを被った女は乱戦の中を器用に逃げ回り、人知れずどこかへ消えていった。

 あまりの痛みに意識が薄くなる。青年は自分の手を貫く枝を抜くために、無事な右手を伸ばした。

 ――その瞬間、枝が爆発する。ギリギリ意識を保っていた青年は今度こそ意識を失った。


「アルム!!」

(ダメだ、ここで俺が気を失ったら……この戦闘、負ける……みんなが、酷い目に……)


 奇跡を願うように、痛みと熱しか感じない手を知覚できる範囲で緩く握った。

 泥臭い乱戦で不意に起きた爆発は、全員の思考を一時的に空白にした。


(……? なんか、居る。俺の中に……温かいものが)


 アルムは急激に意識を取り戻したように目を見開いた。

 その目に映ったのは、微かに光る咲き乱れる桃の花。しかしよく見ると、それはアルム自身の両手だった。


(なんだこれ? ていうか、痛くない……治ってる?)


 ぼうっとしてしまったのは一瞬で、すぐにここは戦場だと気を引き締める。

 周囲を見渡せば、爆発にやられたのか敵も味方も破片による裂傷を負っていた。


「アルム! お前平気なのか?」

「平気じゃない! 下がるぞ!」

「は、おま……それ、なんだ?」


 アルムの左手辺りを指さして目をみはるクウナに、アルムは取り合わない。


「ど、う、ま! 青地点!」


 味方がアルムの号令で一斉に退避へと動きを切り替えた。固まっていたクウナも、飛び出してきた男の肩関節を外して身動きをとれなくする。


「ちっ、逃がすな! こっちのが有利だ!」


 敵もただ退かせてくれるはずはなく、指示を出す青年は服がぼろぼろでうずくまる格好の獲物に勢い良く殴りかかる。


(おかしな気配がする)


 拳を受け止めて逸らすつもりでいたアルムは、猫が走るように腕を前に伸ばして転がり、男の攻撃をかわした。


「な!!」

「なんだ、これ……」


 男の拳からは鋭く真っ直ぐ、さながら刺突剣のような円錐形の何かが伸びていた。

 もしアルムが拳を受け止めていたら、無事な右手にもぽっかり穴が空いていただろう。


(とにかく体勢を立て直そう。青地点まで下がって……)


 呆然と立ち尽くす男を置いて、アルムは路地や建物に紛れながら敵を巻く。

 相手にも妙な現象が起きている以上、深追いをしてくる可能性は低かった。


(あの武器……拳から出て、相手にも想定外の物。考えられるのは、直前の爆発と俺の中に居る“何か”くらいか)


 物は試し、とアルムは己の中の何かに語りかけた。


(さっきのと同じ奴……出ろ!)


 想像では左手の真ん中からトゲが出るはずだったが、うんともすんとも言わない。そこはかとない執着心を押し込め、青地点へと急いだ。


「アルム! やっと来た」

「プリエネ……無事だったか。全員居るな。怪我人は?」


 崩れ方や逃走経路を把握している長屋の中に、アルムをリーダーとする徒党≪チーム≫の全員が集まっていた。

 プリエネと呼ばれた少女は褪せた金髪を一つに纏めており、大きな目が意思の強さを物語っていた。


「ダズが爆発のかなり近くに居て……酷い怪我なの。血が流れてる」


 答えたのは黒髪を切りそろえた少女のユゥイだ。倒れているダズに寄り添って看病をしており、思いやりに溢れる穏やかな性格が見てとれた。

 あらかじめこの青地点の建物には、水と保存食、最低限の手当ての準備をしてある。

 止血をされたダズは荒く息をして気絶していた。アルムの次に服が破けているのだから、爆心地に近かったのが窺える。


「不運だったな」

「不運じゃない! なんでダズが大怪我で、お前が平然と立ってるんだ? 助かるけど、責めてる訳じゃなくて……!」

「落ち着けよ、クウナ。さっきの赤い服の男が出した、トゲみたいな奴は見たか?」

「見たが……それが何か……」


 自分の怪我を治したのは、自分の中に現れた存在だと確信しているアルムは、どう説明したものかと俯いてから両手を広げてまじまじと見詰めた。


「ちょっとアルム、あんたの怪我……治ってるの? 何よその、桃の花の絵……? 入れ墨なんてしてなかったわよね?」

「え? 本当だ……」


 そこにあるはずの傷跡は存在しない。アルムは腫れ物に触るように、枝が突き刺さっていた左の手のひらにそっと触れる。

 ――すると、二枚の緑の葉を持つ、小さな桃饅が現れた。

 桃饅はてんとう虫のように中指を駆け上がり、同時に少女の叫び声が響き渡った。


「……イヤアアアア!! 何それ何それ、キモイ、ダメ、無理、う動くなぁ!」


 桃饅は緑の部分をもごもご変形させて、アムルの手の甲に向かって動いた。ちょうどアルムの手の甲が見やすい位置に居たプリエネの肌が一瞬で鳥肌に覆われる。

 立体感があるのに、肌との境目がわからない。癒着してしまっているようにも見えた。


「何だそれは? 皮膚にへばりついて見えるが、這う感触は?」

「ぼんやり動いてるのがわかる。なんと言えばいいか、傷を治してくれたのは、この虫だと思うんだ」

は虫なのか?」


 クウナが人差し指を突き付けた先で、芋虫のように動き続ける“小さな桃饅”。緑の葉の部分が蠢く絵のシュールさも相まって、見る者の恐怖を掻き立てる。

 叫んだプリエネはしゃがんで目と耳を塞ぎ、現実逃避するようにぶつぶつと呟いていた。


「なんか動きが虫っぽくないか? それに、花には虫が付くだろ?」


 そう言われて見れば、プリエネの異常な拒絶反応は生理的に受け付けない虫を見た時と同じだった。

 しかし、それを虫と呼ぶには形が強烈過ぎた。第一、目や口はどこだ? 何故皮膚を盛り上げて動く?


「アルム、何か原因に心当たりは? もし危険な物だったら……」

「原因か……。さっき俺の手に枝をぶっ刺した女が、『大きくして』みたいなことを言ってた。多分こいつのことだったんだろう」

「てことは、その女が意図的にその桃饅をアルムに寄生させた、と……」

「寄生? よくわからないが、こいつは生きてないんじゃないか? 少なくとも常識的な体ではないだろ」


 肌との境が見えないのに、へばりつくように動く。確かにこれで桃饅姿の虫が生きていて知性があったなら、アルムは寄生され乗っ取られてしまいそうだ。

 既におとぎ話のような現象を目の当たりにしているので、幻影だと言われたら全員が納得してしまいそうな程に、桃色の虫は不可思議で気色悪い存在だった。


「そ、そんな冷静に判断してんじゃないわよ! なんでも良いから、早くそいつをあんたの体から追い出して!」


 未だにしゃがんだままのプリエネは、半狂乱になって再び叫んだ。立ち上がることは愚か、目を開こうともしない。重症だ。


「……できるかな」


 一応プリエネの主張を受け入れ、蠅くらいのサイズの桃饅に触ろうとするアルム。


「待て! なんの警戒もなく触るな!」

「あ、ぷにぷに? してる。やっぱ芋虫みたいだ。こいつは桃虫≪ももむし≫と呼ぼう」

「なあアルム、気持ち悪くないか? ていうか怖いだろ? 突如自分の肌に、こんなんが浮き出てみろ? 流石に虫に耐性ある俺でもきついぞ?」

「んー、せっかく見た目は桃饅なのに、動き方で損をしてるよな」


 平然としている青年に、皆、絶句した。もう何から突っ込めばいいのか、アルムという人間からして、理解不能に陥っていた。


「ねえ、まだ変な虫見える?」

「悪い、苦手なら隠しとくな」


 左手をマントの下に引っ込めて隠したが、プリエネは振り向かない。


「……平気?」


 確かめないことにはアルムの方を向けないのだろう。疑うプリエネに、ユゥイが答える。


「もう平気、見えなくなったから」

「あんた、前から妙にズレた子だったけど、流石にそれはないわ! 私がアルムだったら今頃皮膚を切り裂いてその虫を追い出そうと発狂してる!」

「そんなことしたら死ぬぞ?」

「そんな虫が体の中に居るぐらいなら死んでやる!!」


 悍ましいものを見る目で睨まれ、その真剣な眼差しから本気度を量ったアルムは、やっとまずいという意識を持った。

 このままだと、メンバーが二人も抜けてしまいかねない。


「待て待て落ち着け。俺は単に、混乱し過ぎて、しかも混乱するお前らを見てたら、逆に冷静になっちゃったんだよ。あるだろ? そういうの」

「そういうこともあるかもしれないが……質問しても良いか?」

「どうぞ」

「その虫が傷を治したとする根拠は? そう思った理由だ」

「爆発の直後、ここで倒れる訳にはいかないと思った。そしたら傷、と体の中が温かくなったんだ」

「アルムが思ったことに反応して、そのキモイのが出現して、治してくれたっての?」


 一応恩虫だと思っている虫をさんざんに言われて、図太いアルムも少し傷ついたのか、悲しい顔をする。


「あのさ、わからないことだらけだし、気持ち悪いのもわかるけど……もう少し言い方を変えてくれないか?」

「な、ん……そうね。ちょっと興奮して敵認定してた。ごめん。頑張ってソレ……桃虫? は中立だと思うことにする」


 別にプリエネは悪くない。この状況で冷静というより当たり前に桃虫を受け入れているアルムが異常なのだ。

 先ほどから静かなユゥイはマントの中の左手を見詰めて、アルムの身を案じた。


「頼んだ」

「よし、よくないが一旦、一旦桃虫のことは脇に置いておこう。変な女がお前に枝を刺した件くだりを詳しく」

「飛び道具の奴を先に倒そうと思って俺、ダズ、ユゥイの三人で敵を追っていったんだよ」


 恐慌状態を脱したプリエネは深呼吸をすると、胸の真ん中に手を当てた。どうやら、落ち着こうとしているらしい。

 しかしそんな努力をあざ笑うように、突如アルムの頬に桃虫が這い出て来た。擬音に直すなら、“もこっ”だろうか。


「ぎいゃ~~~~っっっ!!!」

「馬鹿、でかい声出し過ぎ!」

「いや、無理言ってやるなよ。お前の顔に桃虫付いてんぞ」

「そうなのか? わからなかった」


 手で隠すために頬を覆ったが、それは無意味な行動だった。

 クウナの見ている前で、桃虫は右手の甲に“もこっ”と移動したのだから。


「あー無理! 鳥肌立った。頼むから、そいつ完全に引っ込められないか? 見てるだけで何かが削られてく。何かを試されてる気になる」

「そんなにか。待てよ……」

(桃虫、体の中……内臓らへんに居てくれないか?)


 皮膚に潜り込むように、桃虫は姿を消した。


(あ、なんか腹の辺りに居る気がする。しばらくそこに居て)

「成功か?」

「うん、お願いしたら移動した。意思疎通できるのはラッキーだな」

「ラ、ラッキーだなじゃないわよ~! むしろ怖いんだけど。ホント、なんでそんなに平然としてられるの?」

「俺からしたら、そんなに怯える二人の方がよくわからん。ユゥイはどうだ?」

「私? 私は……桃虫さんのことはともかく、その力でダズが治らないかなって思う」

「ユゥイまで……なんなのあんたら。宇宙人なの?」

「そうか、俺が治ったんならダズだって治せるかもしれない」


 ユゥイが俯いた先、ダズをアルムも見やる。

 桃虫が治せるのであれば一番良いが、それは超常の力を借りなければダズを治療することはできない、という事実をも示していた。

 正直にアルムたちの置かれている状況を記すなら、それは先が無いという結論になる。

 今いる建物のように、町中から人が消え、壁は独りでに崩れ、誰も頼れないが生き残る知恵を持つ青年たちだけが、からっぽの国で生活していた。


「もし治せなかったら、ダズは……」


 その先を告げなくとも、全員が理解していた。最悪の場合死ぬだろうし、助かっても影響は確実に体に残る。戦いは愚か、日常生活に支障をきたしても不思議はない。

 ダズを診断することもできないのに、大丈夫だとは思えなかった。きっと大丈夫、と信じて裏切られてきた彼らには気休めにもならない。


「まさか、そんな何が起こるかわからない危ない治療を試してみようって言うの?」

「待てプリエネ、他に何か治る見込みがあるのか? どんなに桃虫が不気味だからって……そうだ」


 クウナは先ほどついたこの傷で試してみれば良い、と自身の右袖を捲った。そこには地面か壁でこすった浅い傷があった。


「クウナはこう言ってるが、プリエネ?」

「……わかったわよ。クウナがそこまで言うなら、試しなさいよっ」


 我が儘な子供みたいに宥められ説得されて、プリエネは釈然としないのか眉をひそめて唇を尖らせた。


「恋人が拗ねてるぞ、なんとかしてくれ」

「傷が治ったら撫でてやるから」


 からかい調子で笑う二人に悔しくても反論はしない。言えば言う程、プリエネが子供だと強調されるのを、本人もわかっていたからだ。


「うッ、ハァ……」

「アルム、ダズのためにも早く!」

「ああ」


 急かされたのにゆっくり歩いてクウナの正面に向き合った。右肘を引っ張って怪我を観察する。怯えたのかクウナが腕を引いた。


「おい、なんかするなら言ってくれよ。流石に怖い」

「はは、怖くないって」


 アルムは左手をすり傷の上にかざして念じた。


(治れ……治してやってくれ……)

「お前右利きじゃなかった?」

「そうだけど? 左手の方が効きそうだろ」


 アルムの感覚では熱は動いているのだが、何も起きない。皆に失望の色が見え始める。


「まだか?」

「痛いと思うけど、触って良いか?」

「何でも試せよ」


 まだ固まりきっていない傷口に、アルムの手のひらが重なった。もう一度、さらに強くアルムはまぶたを閉じて祈った。


(お願いだ桃虫。クウナの傷を治してやってくれ……!)

「あ?」


 一心不乱に祈っていたアルムは、桃虫が動いたのを感じた。心地よい熱が指先まで伝わったところで、手を離した。


「……塞がったな」


 クウナの肘には傷など初めからなかったかのように滑らかな皮膚が。――代わりに、桃の花が三つ咲いていた。

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