第28話 誓いと凶器(7)

 生唾を嚥下する。

 叔父の両の目に視線を絡み取られたまま、目を横へ逸らすことはもとより、後ろを向くことなど到底できそうもない。

 無防備に背中を向けることなど、到底。


 僕はよく見知った顔と対峙しながら、身体の向きはそのままに背後にあるはずの冷蔵庫の方へと手を伸ばす。

 冷気を垂れ流しにするその扉をいい加減閉めようとするのだが、おかしいくらいに手が空を切って上手くいかない。

 空回りする思考、身体。

 幾度目かの挑戦でやっと目的の扉に手が触れ、そのままそれを押すことに成功した安堵も束の間――。


「そうそう、妹さんのことなんですけどね」


 笑顔の叔父が、表情そのままの明るい声音で口火を切る。


「今日半日一緒におりましたが、特に問題はなさそうでしたよ」


 視線はそのままに、一歩、叔父がこちらへ足を踏み出す。

 僕はその場から動くことができない。


「そ、うですか。ありがとうございます」

「いえいえ、お礼を言われるようなことはしていませんよ」


 ほほ笑みを絶やさず、また一歩、こちらの方へ。


「普段通りなら、明日もお兄さんは同じ時間にアルバイトですよね? 私、お兄さんをお見送りしてから家へ帰ろうと思うのですが、よろしいですか?」


 それはひどくゆっくりと。


「え……っと、叔父さんが、よければ」


 ゆっくりと。


「ありがとうございます」


 近づいてきて――。


 刹那。


 ブーッ、ブーッ、ブーッ、ブーッ、


 空気が、変質した。


 静まり返った空間に突如出現した、音。

 それは、聞き覚えのある――帰宅途中にも耳にしたばかりのバイブ音。

 無機質なはずのそれが、まるで意思を持っているかのように高く鳴り響く。


 そして、その音に気をとられたのは僕だけではなかったようで。

 ほほ笑みを浮かべながらこちらへと向かっていた叔父の足が、ぴたりと止まった。


 お互いに視線は交わったまま――。


 ふっ、と。

 叔父が笑った。


 そう、笑ったのだ。


 つい先程までもほほ笑みを絶やさずにいたはずの叔父に対して、――まるで先程までの笑みが作り物であったかのような――笑顔とは全く性質を異とするものであったかのような――そんな錯覚に陥ってしまう。


 それが一体、何を意味するというのか?

 その違和感の正体を理解する前に、叔父の声が思考を遮る。


「失礼しました」


 それから申し訳なさそうに眉根を寄せて、だけれども人当たりの良さそうな微笑はそのままに。


「電話のようです」


 そう言って、叔父はダイニングテーブルの方を指差す。

 その通り、卓上ではスマホが着信を示すライトをチカチカと点滅させている。

 僕は叔父の言外に含まれた意を察し、一つ首肯すると居間の出入り口へと向かって歩き出した。


 必要以上にお互いのプライバシーに踏み込まない。

 それは僕らと叔父との間にある、暗黙の了解ともいえる決まりだ。


 叔父は僕らに気を遣ってそうするのだろうし、僕らだって、何のメリットもないはずの孤児の保護者という役を買って出てくれた叔父に対して、さすがに恩知らずなことはできない。


 そう、こんな僕だって叔父には恩を感じているのだ。


 そしてそんな人のプライバシーに土足で入り込むような真似も、ましてや盗み見るような真似もしたくはない。

 だからこそ叔父との関係には一定の距離感があり、お互いにその本質を――本性を知らないともいえるわけだけれど。


「お兄さん」


 叔父の電話が切れないうちにと廊下へつながるドアに急ぎ手をかけたところで、後ろから声をかけられる。

 反射的に振り向いた先にあったのは、その声音に負けず劣らず穏やかな表情を浮かべる叔父の姿で。


「おやすみなさい」


 柔らかに紡がれる夜の挨拶に一種の気恥ずかしさを覚えながら、僕も同じように繰り返す。


「おやすみなさい」


 それに満足げに頷く叔父を尻目に、僕は今度こそ廊下へと出ていった。

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