第25話 誓いと凶器(4)
「――もう完成したのか?」
男の家に並べられていた、あの穏やかに眠っているような死体の数々を思い浮かべながら、僕は男の言葉に少なからず驚きを隠せずにいた。
なんたって放っておけば醜く朽ちていくしかない人間の屍を、あんなにも綺麗に保存しているのだ。
パトロンがつくほどの――男曰く芸術品であるところの死体は、そんなにも早く完成するものなのだろうか。
「ま、完成っつってもまだ仕上げが残ってるんだけどな」
まるで僕の心の声が聞こえていたかのような男の後付けに、やっぱりと納得する。
「ですよね」
「あ? なんか文句でもあんのかコラ」
独り言ともとれるほどの僕の呟きに、しかし男は電話越しで何を察したのか途端に機嫌を悪くする。
そのセリフ回し、一体どこぞのチンピラだよ。
「ないないない。文句なんて、まったくもってございません」
「――チッ」
ここで口答えをしたら、また面倒くさい応酬が待っている――。そう思い、せっかく丁寧に否定の言葉を述べたにもかかわらず、男からの返答は舌打ち一つのみ。
確かに先程までのようにベラベラとハイテンションで喋り倒されては辟易してしまうが、こうも落差があるのも、なんというか扱いにくい。
というかこいつ、情緒不安定すぎるだろ。
しかも舌打ち以降、電話口からは一切物音が聞こえてこない――聞こえてはこないが、最近のスマホには感情を伝える機能でもあるのかと疑いたくなるほど、電話越しに不機嫌なオーラがにじみ出ている。
「…………」
「…………」
沈黙。ひたすらに沈黙。
途端に、夜道を歩く僕の足音が嫌に大きく耳に響き出す。
なんだかひどく居心地が悪い気分だ。電話での沈黙ほど落ち着かないものはないと、僕は今この瞬間に初めて気づいた。
そしてなおも続く、沈黙。
「…………」
「…………」
「……あー、切っていい?」
そしてついに痺れを切らした僕の苦し紛れの提案は、しかし――。
「おい坊主、誰が切っていいって言った」
対話における沈黙を破るという僕の偉大なる勇気とともに、男によって見事に粉砕された。
いや別に、実際のところそんな大げさな話ではないのだけれど。
それにしても、ずっと黙っていたくせにえらくハッキリと喋るなあ、おい!
「言ってないデス。というか坊主って何、僕のことか?」
「あん? 呼びかけなんだから、電話相手のお前しかいないだろうが。ふざけてんのか?」
なんで確認程度の質問でこんなにもキレられなければならないのだろう。
まったく。世の中理不尽なことばかりだ――なんて。
「いやいや、一旦落ち着けよ、な? 坊主は僕。僕は坊主。これでオッケー?」
「ブッ殺す」
場を収めようとして、さらに怒りを買ってしまったようだ。コミュニケーションとはなんとも難しい。
……故意? なんのことだか僕にはさっぱりだ。
「お前の名前知らねえんだから、仕方ないだろ。まあ知らなくたっていいけど」
「気が合うね。僕もまったく同じことを思っていたよ」
うぜえ、とこれまたバッサリと切り捨てられた。
断捨離のプロもビックリな容赦のなさである。
「んなこたあどうだっていいんだよ。それより俺のゲイジュツの話だ。最高傑作、見にくるだろ?」
「……まるで僕が見に行くことは当たり前みたいな言い方だな」
「だってそうだろ。死体探しをしてたってことは、死体に興味があるんだろ? その後だって、俺んちにのこのこ付いてきたわけだし」
いや、それはお前が来ないと殺すとか物騒なことを抜かしたからだろ。
喉元まで出かかった文句をぐっと堪える。
この男にいちいち突っかかっていたらキリがない。
と、いうことで。
「別に僕は、綺麗に展示された死体にはそこまで興味はないんだけど――」
面倒事との接触をできる限り避けるべく、丁重にお断りをしようとするも――。
「却下」
「はあ?」
まったく聞く耳を持たない男に思わず声を上げる。
だめだ、ついつい苛立ちが表に出てしまう。
「生意気な口を利くんじゃねえよ。俺は無料で見せてやるって言ってるんだぜ? むしろ感謝しろ。拝み倒せ。そしてすべからくひれ伏せろ」
「それこそ却下」
「はー! 可愛くねえなあ、おい! じゃあそもそもお前、なんだって死体探しなんざしてたんだ?」
「……別に」
脳内殺人のためだとか正直に言ったら、散々馬鹿にされそうだ。
実際に自分で手を下して死体を収集する男からしたら、所詮僕のやっていることはオママゴトにしか見えないだろう。
そして僕は、その妄想ですら父を殺すことが、できない。
「秘密主義かあ? つれねえなあ。俺に気に入られるなんてそうそうないんだから、素直に喜べよ青二才」
「あー、はい」
とりあえず男の機嫌を損ねないよう、当たり障りのない返答をする。
坊主の次は青二才ときたか。……これ、どんどん呼び名に人権が無くなっていくとか、そういうシステムじゃないよな?
そして薄々感づいてはいたが、この男に気に入られるとは……まったくもって嬉しくない。
「それより、お前のパトロンとやらがどれ程いるかは知らないけれど、みんなやっぱり死体に興味があって見に来るのか?」
「死体っていうか、やっぱり俺の芸術に惚れこんじまったヤツが多いぜ」
ふふんと鼻高々に威張っている男の様子がありありと脳裏に浮かぶ。
新しい話題の選択は間違っていなかったようだ。割と機嫌が良くなったようで、なんというか単純である。
「あとは他にも、俺自身に惚れこんじまったヤツとか」
「――――」
疑惑の声を上げそうになるのを瞬時に抑える。再び男の機嫌を損ねるのは面倒くさいことこの上ない。
しかし確かに芸術家に心酔するファンはいつの世もいるだろうが、その対象がこの男とは相当の変わり者と見受けられる。
そして男はそのパトロンについて、詳細を語りだした。
「そいつ、どうも壊れた人間が好きらしくて」
「……ん?」
「自分自身が壊すのも、壊れていくのを見るのも好きではあるらしいんだけど」
「……何を?」
「人間を」
「人間」
「……ま、そいつも大概ブッ壊れてると思うけどな」
「だろうね」
そもそも男のパトロンになる時点で、どこか人間として欠落しているヤツしかいないのだろうけれど。
しばし訪れる沈黙。
その無音の空間を破ったのは、やはりというか、僕だった。
「……お前、自分のこと、壊れてるって思っているのか?」
一瞬迷って口にした問いかけ。なぜだろう。口の中が異様に渇く。
そもそもどうして僕はこんな疑問を投げかけたのか。
そんな自問に答えを導く暇も与えず、男の声はするりと僕の脳を侵略した。
「そりゃそうだろ。第一、これで普通って言い張るヤツの方が相当ブッ壊れてる」
あっけらかんとしたその返答に、僕は一体何を感じたのか。
分からない。分からないけれど。
男の答えに、僕は何かを期待していたのだろうか。
何を、期待していたのだろうか。
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