第24話 誓いと凶器(3)

 そして、その時は唐突に訪れた。


――ブーッ、ブーッ、ブーッ


 突如、鳴り響いた電子音に、思わず肩が跳ねる。


 なんだってこんなに予想外なことばかりが起きるんだ。

 自分の妄想に心の中で悪態をつきながらも、僕は驚きで一瞬詰まった呼吸を再開させ、周囲を見渡した。


 この場においては異質とも言える音。

 しかし一定のリズムを刻んで空間を震わすそれは、出所が分からないどころか一向に鳴りやむ気配もない。


 そして、そんな現状の理解に苦しむ僕とは対照的に。


「――ああ」


 父は、あたかも何か心得たかのようにねっとりと数回首肯し、相も変わらず愉快そうに、こちらからすれば至極不愉快な形に唇を歪ませ、こう宣言した。


「時間だ」

「なっ……」


 その刹那。


 こちらが何か言う隙もなく、目の前に立つ父の姿が、アパートの一室の景色が、ザラザラと砂の城が崩れるように歪み、溶け出した。

 悪あがきのように前に突き出した左腕は、ホログラムのごとく父の身体を通り抜ける。


 歪曲する世界の中、最後に見た父の勝ち誇ったような顔がひどく憎たらしくて、ナイフを握る右手が無意識のうちに震えていた。






 目を開くと辺りには、舗装された地面と、頼りなく闇を照らす街灯、そして何の変哲もない家々の立ち並ぶ景色が、当然のように広がっていた。


 いや、目を開くというのは語弊があるだろう。


 なんせ僕は今まで別に眠っていたということはなく、ただ単にバイトからの帰路において妄想を繰り広げていただけなのだから。

 しかし感覚的にはこれほどしっくりと来る言葉はないわけで――と考えていた、丁度そのとき。


――ブーッ、ブーッ、ブーッ、ブーッ、……


 先程、父と対面した場において聞こえていたあの電子音が、現実でも鳴り響いていることに僕は気づいた。

 そしてその音と振動が、僕のズボンのポケットから伝わってきているということにも。


「……電話か」


 ポケットからスマホを取り出して画面を確認した僕は、音の正体が着信を知らせるバイブレーションであったことを理解する。


――それと同時に。


「げ」


 電話の相手が「あいつ」だということも。


 ほとんど反射的に顔が歪む。

 右手にスマホを握ったまましばし逡巡するが、着信が途切れる様子はない。


 これだけ鳴らしても相手が出なかったら普通諦めるだろ。内心でそう悪態をつく。


 しかしあの男のことだ。これ以上無視を続けては、どんな手に出てくるか分かったもんじゃない。

 なんたってあいつは、人殺しを愛し、そして死体を愛する、どうしようもないイカれ野郎なのだから。


 つくづく面倒なやつに出会ってしまったもんだとため息をこぼし、仕方なく電話に出る。


「はい、もしも――」

「遅い!」


 開口一番の大音量に、思わずスマホを耳から遠ざける。

 眉間にしわを寄せつつも、ついでに舌打ちしそうになるのをなんとか堪える。


「……うるさい。もうちょっと静かに喋れないのか?」

「あーあーあー、なに? お前そんなこと言っちゃうの? 自分がなかなか電話に出なかったくせに? 謝罪の一言もなく? 第一声が俺への文句? ハッ! なってねえなあ、おい!?」


 大音量はそのままにペラペラと話し出す男。胸の前でスマホを持っていても十分声が聞こえてくるほどだ。

 もしこいつのせいで僕の鼓膜が破れたら、慰謝料払ってくれるんだろうな。


「……分かったから、もうちょっと静かに喋れって」

「おいおいおい、マナーのマの字もないんじゃねえの? まったく、親の顔を見てみたいよなあ――って、わりいわりい! お前の父親殺したの、俺だったわ!」

「…………」

「いやー、俺としたことが! なんたる偶然! 奇跡体験! まさかの展開に今ならバク宙できそうだぜ!」

「……勝手にやっとけ。そして失敗して頭から落ちて死ね」

「エッ、なになに怒ってんのか? ん? まあそうカッカするなって! ほらこれ、水でも飲んで落ち着けよ――って、電話越しじゃ渡せねえか!

 やべえやべえ、今日の俺ほんと絶好調!」


 いや、人間として最悪だろ。


「特に用がないなら切る」

「いやいや待てよ!? あんだけ電話を鳴らしておいて、何も用がないわけないだろ!」


 お前なら十分ありうるよ。


 何度目か分からないため息をつきながら、仕方なく男に先を促す。


「じゃあ、とっとと話せ」

「なんだよ、つれないなあ。ただのアイスブレイクだろうが」


 僕の反応に不満たらたらな男だったが、「しょうがねえなあ」とようやく間を置く。

 というか、アイスブレイクどころか場を崩壊させる気しかないだろ、こいつ。


 そして、ようやく。

 男はおそらく電話の向こう側で嫌らしい笑みを浮かべながら、こう囁いた。


「昨日の死体、見に来いよ。最高傑作の完成だ」

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