第1話

 暫くして、勇者アーサーが目覚めたのは木製のベッドの上だった。ふかふかのシーツ、暖かい布団、食欲をそそるスープの匂い。窓から漏れる光ーーきっと、ここはどこかの民家なのだろう。

 ゆっくりと身を起こそうとしたが、体がズキズキと痛んだ。起きるのを諦めたアーサーは再びベッドに仰向けになり天井を眺める。


「あ、起きた?」


 ボーッと天井を眺めていたら何処からか声がした。声の主の方にゆっくりと首を傾ける。まだ視界はボヤけてピントは合わないが、どうやらお盆を持った女性のようだ。


「これ、飲めたら飲んでね」


 ベッドの上に置かれたお盆の上には先程の匂いと同じのスープが入っていた。湯気が立ち、暖かくて、空腹のアーサーにはたまらない。

 歯を食い縛り痛む身体を無理矢理起こす。まるで何日も眠っていたかのように、重い体だった。よく見れば、着ている服も違う。自分の服は窓辺に干してあった。丁寧に破れていたところは補正してある。


「……っ!!」


 木のスプーンでスープを口に運ぶーーが、やはり痛んだ。口も怪我をしていたのだろうか。


「大丈夫!? ええっと、それ、一応薬草入りなんだけど……飲める?」


 顔を歪めたアーサーに女性は眉を下げ困った表情で訪ねた。


「大、丈夫……ところで、君は……」

「そう? また痛くなったら言ってね。ーーあ、自己紹介を忘れてたね。私はエリー。16歳よ、よろしくね。貴方は?」

「俺は……アーサー。アーサー・オルブライト。オリヴィアの勇者。君と……同い年。よろしく」


 途切れ途切れに、何かを思い出そうとしながらアーサーは小さく口を開く。

 勇者と言う肩書き。名前。歳。故郷。何も、間違ってはいないはずだがーー何かが、喉に引っ掛かる。


「へぇ、勇者? 凄いね! ーーオリヴィアって、どこかの国?」

「ありがとう……うん、オリヴィアって言う国。俺が、住んでた広い国」


 口ではそう説明するものの、アーサーは信じられなかった。オリヴィアはこの世界の中で最も大きな大陸。以前、オリヴィアと反対の方向にある小さな村を訪れたこともあったが、そこの子供たちさえ知っている大陸だ。ーー例え、エリーが学校に行ってないとしても。オリヴィアに関する書物や物が家にあったり、話ぐらい聞いたりできるものではないのだろうか。


「広い国に住んでたんだね、なんだか羨ましいや」


 エリーはそう言うと再び台所の方へ行き、今度は紅茶を準備し始める。

 この話の間にすっかり冷めてしまったスープを少しずつ口に運びながらアーサーはふと思った。

 ーーここは、何処だろう。


「レモンティーよ。熱いから気を付けてね」


 コツン、と軽快な音を立てて置かれたお洒落なティーカップ。飲み干したスープが入っていた空の容器。着ている服。今いる所。ーーそして、目の前にいる少女。


「エリー」

「なぁに?」


 台所で洗い物をしながら答える彼女。彼女は本当にオリヴィアを知らないのだろうか。


「ここは、何処」


 途端、エリーはすぐに蛇口をひねる。濡れた手をタオルで拭いて、彼女はアーサーの方を向いた。


「ここは、フィルという村よ。とっても小さくて、村の周りは入り口以外石の壁で塞がれてるの。外は、危険だから」


 聞いたことのない村だった。

 ただ、城の跡地で倒れてここで目が覚めたから城の跡地からは近いのだろう。ーー果たして、城の跡地の近くに石の壁なんてあっただろうか。

 少し首を捻って、アーサーは窓を眺めてみる。確かに外は石の壁で塞がれていた。とても、大きな壁で。


「……」


 暫く、アーサーは無言で窓を見つめていた。先程のスープを口に含んでから、不思議と身体中の痛みが消え去ったのだ。


「……帰らなきゃ」


 ここに居てはいけない。帰らなければならない。何故かアーサーはそんな感じがして、ポツリと呟く。

 思い出せそうで思い出せないもの。それはそれは故郷へ帰れば思い出せると思ったからだ。名前、故郷、歳、肩書きーーそれ以外の何か。大切な何かが。


「でもアーサー。帰り道、分かるの?」


 いつの間にかベッド際の椅子に腰掛けていたエリーが言うことはもっともだった。聞いたことのない村から、どうやって帰ればいいのだろうか。


「知らない場所に来るのは慣れてるから。大丈夫だよ」


 口ではそう言うものの、内心少し不安があった。知らない場所、と言っても今までは行くまでに地図で確認したり、情報を集めたりしていたので完全に知らない場所に来るのは今回が初めてだったからだ。


「そっか。……でもせっかくだからもう少しこの村に居てくれないかな? 明後日に特別なイベントがあるの」


 エリーは、それだけ言うと空になったカップを持って立ち上がった。

 アーサーもそこまで急いでる訳ではないので「うん、良いよ」とだけ言うと裸足の足をベッドから降ろし、干してある自分の服に手をかけた。

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英雄になんかならない 夏目 織 @NatumeOri

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