英雄になんかならない

夏目 織

第0話

 何日歩いたのだろうか。どれくらい歩いたのだろうか。ここはどこなのだろうか。自分は何をしているのだろうか。もうそんなことを考える余裕もなく、勇者は倒れこんだ。

 鈍い音を立てて岩の上に倒れた勇者は鎧を装備していないためか、紺色の布製の服は所々が裂け赤く染まった肌を見せている。

 勇者は倒れたまま目を閉じて荒い呼吸を繰り返した。この場所はかつて世界を救った者が最後に訪れた城の跡地。当然、そう簡単に人が通るはずもない。

 ーーもう、駄目なのだろうか。こんなところで終わりなのだろうか。勇者がこんなところで倒れていいのだろうか。

 ――否、よくない。勇者は固く目をつぶり、思い出す。自分は世界に選ばれし者だと言うことを。


「ーーそこにいるのは誰だ」


 すると突然、数人の足音と低い男性の声がした。


「ーー俺、は、」


 今度は固く拳を握って目を開ける。声を出そうにもなかなかでない。だが、勇者はそれでも口を開いた。ーー真っ赤な血によって、茶色の地面が赤く染まる。


「俺の、名前はっ……!!」


 ゆっくりと、力をこめて膝を地面につける。岩に寄りかかり、剣を鞘から抜き出す準備を始め、前方の人影へ目を向けた。


「オリヴィアの勇者、アーサー・オルブライト……!!」


 立ち上がると同時に、勇者は叫んだ。ーーそして、それを待っていたかのようにーー跡地そこは戦場へと化していく。


「俺が勇者になるんだ。お前は今ここで死ね!」


 まだぐらぐらと揺れる世界の中で、勇者は剣を構える。最初に襲ってきた青色の髪の男性へ、鋭い瞳を向けた。


「お前には消えてもらうよ」


 刹那、青髪の男性は風のごとく勇者アーサー向かって斬りかかる。アーサーは1、2歩下がり剣を振り目の前の剣の先に当てる。剣と剣が触れあう音が戦場に鳴り響いた。


「ーーなかなかやるな。だが、本番はここからだ」


 そう言って青髪の男がパチンと指をならすと同時に、後方に隠れていた残りの三人が顔を出した。女性が二人、男性が一人。三人とも鋭い目付きでアーサーを睨み付ける。


「……ごきげんよう勇者様」


 三人のうちの一人、旅をするのには似合わない宝石がほどこされたワンピースを身に纏った少女が口を開いた。ーー当然、勇者はこの少女のことを知るはずがない。


「勇者様。私と戦ってください」


 風に乗りワンピースと翡翠ひすい色の髪がふわりと揺れ、少女はゆっくりと勇者に近づいていく。

 

「やめろ、来るな。来るな」


 少女が一歩踏み出せば勇者は一歩下がる。ーーアーサーの脳裏に、数年前のとある出来事が甦ってきた。その記憶の中に、少女に良く似た人物の姿もある。

「嫌ですわ。ーーきっと、あの人もこんなことを思っていたはずなのに……貴方が……! 私の、大切な人を……!!」


 だんだんと、少女は歩く速度を速めてくる。ドンッ、という音がしたかと思えばーー勇者は、岩肌に背中をつけていた。首を振り辺りを確認するが左右は毒の沼地、もう彼に逃げ場はない。


「ーー」


 少女の手からほとばしる灼熱の大きな炎の玉は、勇者をめがけて飛んでくる。彼にもう逃げ場はない。しゃがもうにも足が地面にピタリとくっつき離れない。

 ギュッ、と勇者は固く目を瞑り歯を食い縛る。熱い炎が、だんだんと近づいてくる。顔面が、すでに焼かれたように熱い。


「ぐっはぁっ……!!!!」


 炎は既に、勇者の顔を覆っていた。熱い、熱い、けど勇者たるものここで挫けてはいけない。けど、けどーー。


「っ……!!!!」


 勇者は再び、倒れ混んだ。

 それと同時に顔を覆っていた炎はだんだんと消えていく。


「さようなら」


 小さな声で少女は呟いた。これが、勇者に聞こえているかは分からない。

 立ち止まる少女にロルフが声を掛けて、一行は跡地を後にした。



 ただ一人、倒れた勇者を残して。

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