#3 Exile on Main St. PART.3

 男は苛立ちを感じながら、ハンドルを握っていた。

 型落ちの中古ハイブリッドカーに乗るその白人男性は、いかにも冴えない中年男性だった。安物のズボンに、上半身には同じく安物のワイシャツ、濃い緑のジャケットの下に見え隠れするネームプレートは、スーパーマーケットのチェーン店「フォールマート」の従業員用ネームプレートで、アンドリュー・ジャクソンと言う名前と家電製品コーナーのフロアマネージャーの肩書きが付いている。彼はアンディと渾名で呼ばれる、ごく普通の、どこにでもいる、失敗も成功もしていないくたびれた平凡な中年男のようだった。だが、彼は電気屋のしがない従業員の顔以外に、麻薬組織のリーダーという顔を持っているのだ。

 アンディの乗る車は、1番ストリートの渋滞にハマっていた。環状線の1番ストリートはどこからでも簡単に他のストリートへ移動する事ができたが、昼下がりの混雑時……それも運悪く交通事故による渋滞に巻き込まれたアンディは、メインストリートから出る事が出来なくなってしまっていた。

 気晴らしにつけたラジオも、現地民向けの帝国語トーク番組や現地音楽ばかりで、気が滅入ったアンディはさらに機嫌を悪くした。ただでさえ、昨日から凶報が続いているアンディにとって、溜まったストレスは爆発寸前になっていた。アンディにとってのストレス発散は誰かに危害を加えることだった。フロアマネージャーの立場を利用して、部下に対してきつく当たったり罵声を浴びせる事は日常茶飯事であり、それが故にアンディは職場で孤立していた。営業成績も悪く、素行も悪い彼を店がクビにしないのは奇跡とも悲劇とも言えたが、何にせよアンディにとっては都合のよい事だった。

 ふと、アンディは思い立って携帯電話を懐から取り出した。

 電話帳の中から、ケリーという名前を選択すると、電話をかけた。

 呼び出し音が続くが、一向に相手は出る気配がなく、アンディはコール音が何回か鳴った所で通話を止めて、忌々しげに携帯電話を助手席に放り投げた。

「あの野郎……出もしねぇ……」

 ぼそぼそと呟きながら、アンディは再びハンドルを握り、動きもしない車列をじっと眺め続ける。

 車のダッシュボートに入った、.38口径のチーフ・スペシャルリボルバーの事を思い出しながら、アンディはまさかの事態を想定した。

 


 だん、だん、と肉切り包丁が肉と骨とまな板を叩く音が部屋に鳴り響く。

 薄暗い照明に照らされたその部屋は、ある手の肉の解体工場となっていた。ゴム靴とゴム手袋、血糊のついたエプロンを手にしたオークたちが、食肉の加工をしているのだ。そんな家畜の解体部屋をぼんやりと眺めながら、ガスはテーブルの上で人間の足がばたんばたんとブツ切りにされていく光景を見て、ため息を吐いた。

 今解体されているのは、今日、ガスとヘックスが捕まえたばかりの人間――薬の売人であったケリー・ブラックその人だった。ルタノファミリーに引き渡してから、すぐに拷問された彼は僅かな情報と引き換えに命を助けるように懇願したが、ファミリーはそれを許さず、ケリーは生きたままバラバラにされた。

 人間だった肉の塊はバラバラにされ、この壁の何枚か向こうにある非人間種向けの違法レストランに卸される。未だに人間を食うのが好きな連中もいるのか、と考えるとガスはついぞっとしてしまった。

「おい、ガス」

 ぽん、とガスは後ろから肩を叩かれる。

 振り向くと、そこにはやや小柄なオークが立っていた。

「やあ、ライノ」

 ライノ、とはこのオークの名前だった。彼は、この違法なレストランの管理人であると同時に、ルタノファミリーの構成員だった。

「解体は順調に進んでるか?」

「ああ、まあね」

 ライノは生返事をする。

 率直な話、ガスにとってはこの場所は息も詰まるような場所であった。暴力と死に慣れているガスだったが、この場所はまさに悪趣味と言える場所であったし、報酬さえ受け取ればさっさと出て行きたかった。

「おい、ガス。今回の報酬だ」

 ぽん、とライノはガスの右手に札の入った紙袋を握らせる。ガスは受け取って、中を確認した。

「例のものは?」

「ああ、あるぞ、こいつだ」

 ライノは、もう1つ紙袋をガスへと渡した。

 中に入っているのは、携帯電話と財布と鍵だった。今ここで精肉されている売人が持ち歩いていた所持品で、中に入っていた小銭と札はすでにファミリーが没収しているが、それ以外はそのまま頂く事になった。

「じゃあな、ライノ。また何か手がかりを掴んだら連絡するよ」

 ガスは2つの紙袋を抱えると、踵を返して部屋のドアを開けて出て行く。

「おう。それから人間の死体、また作ったらウチにくれよ」

「考えとくよ」

 相変わらずの返事をしつつも、ガスは違法レストランを後にした。


 レストランの裏手の路地では、ヘックスが車を停めて待っていた。乗り込んだガスは、車体を揺らしながらシートベルトを付け、ドアを閉めた。

『……どうだった、収穫は?奴は何か吐いたかい?』

「……ああ、吐いたさ。名前、年齢、家族、通ってる大学名、学科、住所、昔飼ってたペットの名前まで、全部な」

 ガスは忌々しげに聞いた情報を吐き出す

「名前はケリー・ブラック。歳は22でミシガン州生まれ、オルデンヒル大学の経済学部の学生で、仲間と一緒に“6ヘヴンズガーデン”とか言うバンドのギターをやってる。それでいて、ブルーピースの売人の纏め役だそうだ。こいつの仲間はまだ他にもいるみたいだが、ライブハウスの銃撃戦で死んだ数を覗けばあと15人はいるって事ぐらいだ」

 ガスの言葉に、ヘックスは肩をすくめた。

『無駄足だったか』

「そうでもないさ。少なくとも連中は下請けで、上から送られてくるブツを捌いてた事は分かった。あいつは下請けグループのリーダーで、ヤクを卸してくるボスの奴と面識があったんだとさ」

 携帯電話と財布と鍵の入った紙袋を、隣に座るヘックスに渡した。

「これが残りの手がかりだ。ボスの名前は割れてる、後は本拠地を調べるぐらいだ」

『ボスの名前は?』

 ガスが、車のエンジンを回しながら答える。

「アンディ」



 渋滞を抜け出したアンディの乗った車は、オルデンヒルの郊外にある倉庫街を走っていた。

 州都の玄関口とも言うべきここは、周りを平原に囲まれたオルデンヒルに通じる唯一の物資集積所であり、また、首都からゲート―――アメリカ本土までを繋ぐ鉄道輸送路の終着点でもあった。ここから、物や人がオルデンヒルまで運ばれていくのだ。

 延々と続く、倉庫や管理棟と言った建物の列の中を走りながら、アンディはようやく目当ての倉庫へとたどり着いた。倉庫の隣の駐車スペースには、何台か車が停まっている。

 アンディも同じ倉庫の横へと駐車すると、倉庫正面の搬入用の出入り口ではなく、その横の普通の出入り口にたどり着くと、ポケットから鍵を取り出す。

 そうこうしている内に、出入り口の近くにある監視カメラが小さなモーター音と共にクイクイ動き、アンディにピントを合わせた。アンディが鍵を開けると、監視カメラを見たのか、柄の悪そうな若い男が現れた。

「ボス……無事でしたか?」

 開口一番、その台詞が出てきた事に、アンディは思わずぎょっとした。

「……何があった?」

 ドアを閉め、用心深く鍵を掛けながらアンディが男へ問う。男は明らかに恐怖で顔面を真っ青にしていた、ボスであるアンディが到着しても、その恐怖は一向に収まらない。

「け、ケリーの奴らがやられました」

「やられた?」

 アンディは繋がらなかった電話の事を思い出し、生唾を飲み込んだ。

「ケリーには武器も大量に渡してある。捌く場所は変えろと指定していたはずだろう、あそこはルタノファミリーのシマじゃなかったのか?」

「それがボス、どうにも妙なんです。ルタノ以外の連中も絡んでるようで……」

「どうした、はっきりと言え」

 アンディの苛立ちを隠さない物言いに、男は一瞬だけ物怖じするが、取り直して話を続けた。

「他のストリートに出ていた連中も、同じように他の組織の連中から攻撃されたんです。盗賊ギルドの連中に、ドワーフ共や、それから……」

「もういい」

 アンディは男を八つ当たり気味に睨み付けて黙らせた。

「……残ってる連中は?」

「はい、全員ここに集まってます」

 男は、そういうと倉庫の二階にある事務所へアンディを案内させた。


 小さな事務所の中に、部下の男たちが15人ほど入っていた。

 椅子に座って煙草を吸ったり、コーヒーを飲んでいたりと各々時間を潰しているように見えたが、全員がどこか緊迫感を持っている様子だった。

 事務所の中にアンディが入ってくると、全員が一斉にアンディを見た。

「お前ら、ここまで逃げ帰ってきたのか?」

 怒りのこもったアンディの声に、男達はたじろいだ。

「ボ、ボス……もうストリートに手配書が回っちまってるみたいで、もうヤクを捌くとかそういう話じゃないんスよ」

 男の1人が、勇気を振り絞って話すが、アンディはついに堪忍袋の緒が切れた。

「ふざけんじゃねぇぞテメェら!!」

 アンディは事務所の壁を勢いよく殴りつける。どんっ、と大きな音が鳴り響き、部下達の顔に恐怖の色が見え始める。

「たかだかストリート回ってジャンキーどもに薬を売るだけの簡単な仕事だろ?こんなガキでも出来る仕事もできねぇとは、お前らバカなのか!?あぁ!!」

 声を荒げるアンディに、誰も歯向かえず一斉に口を噤んだ。

「俺たちはテメェらに武器もやった、金も払った、なのに、何だ。怖くて尻尾巻いて帰って来たってのか」

「ボ、ボス、待ってくださ」

「うるせぇ黙れ!!」

 部屋全体をびりびり震わすかの勢いで、アンディの怒号が飛んだ。

「お前ら、明日までに兵隊全員かき集めろ。知り合い、後輩、ム所ん中で知り合った奴、何でもいい、戦力になって連れて来れる奴なら全員連れて来い。今週中に戦争やるぞ」

 男達が、その言葉を聴いて思わず息を呑んだ。

 歯向かえばどうなるか、それを既に知っている男達は、目の前の狂犬じみた男に従うしかなかった。

「分かったらさっさと行け、俺はヤクを見てくる」

 アンディの言葉を聞き、男たちが急いで部屋から出て行く。アンディはため息を吐きながら、ポケットの中に入ったリボルバーの感触を指先で確かめる。

 自分の作り上げた帝国の終わりを想像しながら、アンディは思うようにいかない現実を前に更に苛立ちを強めていった。


 倉庫の中には、何個かの運送用コンテナがあった。

 船や列車、トレーラーなどで運ばれるどこでも見かける長いそのコンテナの中は、ドラッグの製造工場になっている。アンディが用意した道具が揃えられたその中では、一日キロ単位でブルーピースを製造する事が出来た。だが、3つあるコンテナ型の製造施設は、たった1人しかブルーピースを調合できる人間がいないので1つしか稼動していない。

 アンディは南京錠で施錠したドアを鍵で開けると、コンテナの中に入った。

 薄暗い裸電球の下、小さな換気扇を付けたコンテナの中はまさに息苦しい状態だった。

 机の上には、この惑星に原生する植物――ブルーピースの原材料になるとして違法とされているもの――や、様々な薬品の入った瓶が並んでいる。一際異彩を放つのは、奥のテーブルに置かれた紋章だった。

 アンディ自身はその構造を理解していないが、それは地球にはない“魔術”を行使するための魔法陣だった。ブルーピースの巨大な効果を作り出すためには必要不可欠であり、これこそが、臭いや煙も出さず複雑な機材すら必要としない、密造に適した長所でもあった。

 だが、部屋の中で仕事をしているであろう調合師は、部屋の隅でうずくまるように眠りについていた。

 それは少女だった。まだ歳は中学生ほど、生白い肌と青みがかった髪色のショートヘアで、その顔は整っていて綺麗だったが、身体や顔には殴られた痣が見え、表情は苦悶と疲労の色を浮かべていた。身なりも酷く、ワンピースはところどころ血や薬品で汚れている。

 アンディは苛立ちを隠さずに、少女を軽く蹴った。

「ひっ」

 小さな悲鳴を上げて、短い眠りから目が覚めた少女は、目の前に現れた相手の顔を見て恐怖を浮かべた。

「お前何休んでんだよ」

「ごっ、ごめんなさっ」

 少女が返事をする前に、アンディは平手で少女の頬を思い切り叩いた。

 小柄な体躯が、力なくコンテナの壁に叩きつけられる。

「誰が休んでいいと言った!!さっさとやれこの愚図め!!」

 少女は、涙を目に滲ませながら急いで作業を開始した。

「今日のノルマは10キロだ!休んだから倍だ、1グラムも足りなかったらさらに倍にしてやるからな!覚悟しとけよ」

 アンディは少女を怒鳴りつけてから、コンテナを出るとまた鍵を掛けた。

 苛立ちを少女にぶつけたのか、多少気が晴れたアンディはコーヒーでも飲みにそのまま倉庫の事務所へと向かう。

 コンテナからは、少女の泣き声が微かに漏れ続けていた。



「盗賊ギルドから連絡があって、連中のボスの情報が割れたわ」

 トライデントの事務所に戻って早々、レインはガスとヘックスに吉報を持ってきた。

 いつものようにレインの座るデスクの前で、椅子に座って話を聞いているガスとヘックスは、腑に落ちないと言った表情だった。

「俺たちの情報は……?」

『あれだけ殺したのに?』

 今日のうちにライブハウスで売人どもを皆殺しにし、捕まえた奴を苦労してトランクに押し込み、市警察の目をかいくぐってルタノファミリーに引き渡すという仕事を終えた2人にとって、あまりにも寝耳に水となる情報に、2人は一瞬にしてため息と共に脱力した。

「ああぁぁぁ……無駄に殺しちまった」

『時間が勿体なかった』

 ふてくされるガスとヘックスだったが、レインは2人を何とか慰めようと「まあまあ」と宥めてから、話を続けた。

「少なくとも連中の組織の構成員を片付けただけでも良しとしなさい。ルタノの連中から報酬も出たでしょう?」

『そりゃそうですけど、2人で割るとあまりいい額にはなりません』

「俺ぁもう帰って酒飲んで寝たい」

 骨折り損の仕事をしたような気持ちが抜けない2人だったが、レインは話を続ける。

「まあ、携帯電話と鍵は大きな収穫よ。早ければ明日にでも、ルタノの連中が本拠地へ総攻撃をかけるわ」

『まさか、また私達の出番という流れなのでは?』

 ヘックスの言葉に、レインは頷いた。

「連中の援護よ、成功すれば、報酬上乗せ」

 またか、と思いつつも、欲に抗えないガスはそのまま頷いた。

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