第3話 夕闇異界奇譚

 夕日で蜜柑色に染まる校庭からは部活動を盛んに行う学生達の声が聞こえる。

 其れを窓からチラリと伺いながら鈴木は帰る準備をしていた。

 帰宅部の鈴木は普段、こんなに帰る時間が遅い訳では無い。

 今日帰る時間が遅れてしまったのは、担任の教師と面談が在ったからだ。

 鈴木は進路調査表を出していなかった為に、教師と面談していた。


「将来何になりたいかなんて聞かれても困るよ……まったく」


 鈴木はそう一人言を吐くが、其れで将来の夢が決まる訳ではない。

 何故将来の夢が決まらないのかは、鈴木自身にも分かっていた。

 迷っているのだ。祖母の後を継ぐか如何かを。

 鈴木の家は代々、此の町を管理する仕事をしている。しかし其の仕事も今と為っては、人々から理解されるのは難しい物だった。担任の教師はそういった事も分かった上で鈴木と面談していたのだが、まだ若い……学生の身分でしかない鈴木にとってはそんな気遣いは分からないし、何より大人の言う事が煩わしいと思う年頃でもあった。


「あんな『月刊ウー』を定期購読している秘学熱狂者の教師に僕の事を兎や角言われたくは無いよ……」


 校庭では野球部の部員達が球棒で硬球を叩く音が聞こえて来る。まだ甲子園の熱気から醒めていない所為か何時もより声が大きい。其れを聞きながら帰り仕度を済ませた鈴木は教室から出た。人の少なくなった校舎を出る。今日は気の合わない担任教師と面談が在った所為で、直ぐ家に帰りたいとは思わなかった。

 

 指定通学路から外れて商店街を歩く。不意に目に留まった狭い路地に足を向けると、見覚えの無い道に出た。夕闇に染まりつつ在る路地からは、不思議と人の気配は無い。通り一本向こう側は商店街で在る筈なのに、人の営みが感じられないのだ。雑踏の音がしない路地を鈴木は歩く。教師との面談で気の滅入っている所為で鈴木はそんな事を気にしてはいなかったのである。

 暫く歩いていると流石に様子がおかしい、其れは鈴木でも分かった。


「あれ……誰もいない……」


 もう大分歩いていた筈なのに、景色が先程と余り変わっていない事に違和感を覚えた鈴木。辺りを見回して見ると……余り変っていない処か全然景色は変わってはいなかった。唯一変っている処が在るとすれば、それは鈴木がこの通りに入って来た時の狭い路地が無くなっている事だけ。


「おかしいな……」


 首を傾げながら再び歩き出す鈴木。方向感覚には自信が在るのだろう。隣り合っている筈だった商店街に出ようとする為に、通路の角を左へ曲がると……夕日が目に入って来た。何時もより大きく感じられる夕日。其処へ向かって延びる様に真っ直ぐと敷かれた混凝土の道が、人工物で在る筈なのに人間社会から隔絶され、生命の営みが感じられ無い物として存在していた。


「こっちじゃなかったかな?」


 歩調が少しずつ早くなる。不安なのだ。何せさっきから誰とも会っていないのだから。

 夕飯や帰宅をする人が居る筈なのに……それが全くと言っていいほど人に会わない。

 完全為る無人の空間——。

 夕日に染められた無機質な住宅街が其処に在った。


「どこなんだろ……ここ……」


 早歩き——。

 小走り——。

 仕舞いには全速力で走っていた。

 しかし幾ら走っても景色は全く変っていない。

 一区画過ぎれば又同じ家並みの区画に出てしまう。何区画も走り抜けてみても……又同じ家並みの区画に戻って来ていた。


「何なんだよ……これ……」


 走った所為で乱れた呼吸、膝に手を着きながら息を整える。道路の端に目を向けて見ても蟻の一匹すら這ってはいなかった。生命の存在しない空間——鈴木は如実に此の場所が不気味に思えた。


 人の営みも——。

 雑草や虫の類も——。

 風ですらも——。

 在りはしないのだから——。


 鈴木は息を整えると顔を上げて前を向いた。すると夕日へと延びる道路に、ポツン……と小さな影が在るのが分かった。逆光の所為で良く見えないのだろう……。

 鈴木はその影に歩み寄った——しかし、其の途中で足は止まってしまう。

 逆光で見えなかった影の正体が歩く度にはっきりと浮かび上がって来たからだ。

 其れは——鬼だった。

 大きさは丁度、学校に通い始めた子供位で、腹が妊婦の様にポッコリと出ている。其の小さな体躯からは想像も出来無いほど手足は筋肉で覆われていた。耳まで裂けた口からは、鋭利な歯——血の様に赤い舌がだらんと垂れている。

 餓鬼だった——。


「キキキキキ」


 何処から出しているのか分からない程の高い声が周囲に響く。

 其れを見た瞬間——鈴木は脱兎の如く踵を返して逃げ出した。


「なに? 何なのあれ!」


 本能が生命の危機を伝えている。首筋がビリビリとして全身に悪寒が走る。

 後ろからはキキキ——と嘲笑うかの様に餓鬼が追い掛けて来る。疾い。

 少しでも速度を緩めれば追い付かれてしまうだろう。鈴木は全速力で無人の住宅街を駆け抜ける。

 しかし幾ら走ってみても、同じ景色は続くばかり。

 少しだけ速度が落ちてしまうが、不安に負けて首を横に向け、目の端で後ろを見ると——。

 餓鬼がその四肢を道路に着けて猛犬の様に追って来る。しかしそんな事よりも、もっと鈴木を驚かせた物が在った。

 夕日の当たらない路地や家々の影——漆黒の闇となっている其の場所からは、黒い紙に白い絵の具を垂らした様に点が無数に浮かび上がっている……其れは目だった。

 路地の影、家の中、集合住宅の階段の下、影の出来ている所に、無数の目が爛々と光り浮き出ていた。

 其れ等は全てが餓鬼達の物だった。

 

 鈴木は全身から血の気が引いて身体に上手く力が入らなくなってしまう。それでも自分自身を叱咤激励して何とか走った。しかし其れも長くは持たなかった。無理矢理身体に力を入れた所為で足が縺れて転んでしまう。鞄からは教科書や筆記用具が飛び出して辺りに散らばってしまう。鈴木を追い掛けて来た餓鬼は、此処が好機と云わんばかりに飛び掛ってきた。


「キキキイイイ!」


 鈴木を其の手に在る鋭利な爪で引き裂こうとした瞬間——其の餓鬼は突然動きを止めた。

 

「痛ぁ……」

 

 鈴木は餓鬼達の方を向く、鈴木の眼前にいた餓鬼は石像の様に動かなくなっていた。

 鈴木は気が付いた……自分の打ちまけた荷物の中には祖母から貰った御守が混じっていた。


「もしかして……これのおかげ?」


 鈴木は御守を握り締めると荷物を掻き集めて狭い路地に飛び込んだ。排気風導管の熱風が顔に掛かる。顔の汗を手で拭いながら路地を進むと——突然警笛が聞こえた。


「わっ!」


 鈴木の目の前を超越歌舞百十が通り過ぎた。夕刊を配っている新聞屋の後姿が黒煙を吹き上げる排気瓦斯の向こう側に見えた。


「あれ? 戻ってこれた……?」


 気が付けば商店街の通りに出ていた。雑踏が辺りに満ちている。直ぐ近くにある総菜屋からは、美味しそうな揚げ物の匂いが鈴木の鼻腔を擽った。

 後ろを振り向いてみると其処には路地が無かった。室外機と排気風導管が建物の隙間に詰め込まれる様に設置されていて、其の間からは雑草が茂っている。一匹の蝿が鈴木の眼前を通り過ぎ其の隙間に向かって飛んで行った。


「何だったんだろう……夢?」


 鈴木は自分が白昼夢を見ていたのだろうかと思ったが身体に違和感が奔り其処に手を遣ると……。

 制服の丁度脇腹の辺りがザックリと切り裂かれていた。白い制服の下から自分の肌が見えている。


「夢じゃ……なかった……」


 鈴木の全身がガタガタと、まだ残暑の厳しい季節で在る筈なのにまるで極寒の地に裸で立って寒さを堪える様に、両腕を抱え震えていた。


「家に帰ろう……」


 鈴木は商店街の雑踏の中に消えて行く。夢遊病患者の様にふらついた足取りで、何とか家まで辿り着いた。

 玄関の戸を開けると巫女服姿の女が立っていた。彼女は鈴木に仕える侍女の様な者だった。白磁の様な白い腕がするりと延びて来て、鈴木の鞄を持つ。


「鈴木さん、如何したんですか? 顔が真っ青ですよ。まるで幽霊でも見た様な風で」

「そう? 鬼を……見たんだ」

「鬼……小鬼ですか?」

「ああ……」

「私も其れなら見た事在りますよ」

「そういえば……そうだったね……」


 鈴木は未だ夢から醒め遣らぬ、と言った風体で家に上がると、居間から丁度祖母が出て来た。さっきの事が在った所為で鈴木は祖母の姿を見ると家業を継ぐ決心が付いた。


「おばあちゃん、僕……おばあちゃんの跡を継ぐよ」

「おぉ、そうかそうか、其れなら早速始めようかねぇ。恵那、この子の禊、手伝って御遣り」

「はい、御婆様」


 そうして祖母を置いて奥へと入っていく二人、まるで仲の良い夫婦の様に見えた。

 そんな二人の背中を見ていた祖母は足下に何かが落ちている事に気が付いた。其れは鈴木が持っていた御守だった。其れを拾い上げると祖母は誰に聞かせるでも無く斯う言った。


「此れは御利益無さそうだねえ、家も廃れる訳だ……」


・・・


「まさかあの不思議体験で家業を継ぐ決心が付くなんて夢にも思わなかったよ」


 鈴木はそう零してみるが其の顔は満更でもなかった。


「鈴木さん、千早、良く似合ってますよ」

「そう? ありがとう」


 鈴木は斯うして家業を継ぐ為に祖母から修練の手解きを受ける様に為った。


・・・


 鈴木が路地を出た少し後。


 無数の餓鬼達の前に一人の男が立っていた。男は人差し指を前に出すと其処に一匹の蝿が停まる。


「鈴木は無事抜け出せたのか?」

「太郎よ、心配せずともあの者は無事だ」


 太郎と呼ばれた其の男は蝿とそんな会話をしている。

 太郎の周りには無数の餓鬼達が、牙を鳴らして威嚇していた。

 太郎は声を上げる。


「俺は貴様等、異形を滅する存在!」

「来るぞ太郎! 我が名を呼び——纏え!」

「来い! 悪魔装甲ベルゼブブ!」

 

 太郎は指に止まった蝿を握り潰すと其処から黒い液体がドロドロと溢れ出て来る。

 其れを撒き散らすかの様に空中に円を描くと、其処から光りが奔り、太郎の身体に纏わり付いた。

 光りが収まると其処には漆黒の全身装甲甲冑を身に纏った太郎が立っていた。

 

 悪魔騎士——TARO——。


 餓鬼達は一斉に飛び掛る!


 今此処に! 悪魔騎士TAROと餓鬼二千匹の戦いの火蓋が切って落とされた!

 がんばれTARO! 負けるなTARO! 人の世の平和は君に掛かっているのだから!


 ※ ここでカメラがパンして夕焼けの空を映し、EDソングが流れます。



 終わり


 毒肝二兎 作


 普段書いてる作品 恥ずかしいから内緒♪

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