第4話 織り上げた土産

「恐竜の骨の化石に似てるよね」



 隣に座る女性が、天井を指差して言った。


 この空港は、大きく湾曲したトラスの骨組みが剥き出しになっていて、その側面は全面が窓になっている。離発着するたくさんの飛行機。キビキビと作業する特殊車両。到着地の気温に合わせたのか、冬なのに半袖で馬鹿騒ぎしている男の子達。私以外の全てが動いている。


 冷たいソファに座ってじっとしていると、なぜか鳥肌が立ってきた。



 私は、父に会いに行く。



「DL航空から、出発便のご案内を申し上げます。DL航空グアム行き  11時10分発 472便は、ただいまから皆様を機内へとご案内……」



 手荷物サイズぎりぎりの大きさの小型スーツケースを杖にして立ち上がると、私は搭乗口の方へ向かった。



 父が出て行ったのは、1週間前。実家にも帰っていなかったし、友人の家にもいなかった。既に退職している人だから、父がいなかったところで、誰が困るわけでもない。毎日、私のケータイにメールだけは届くので、生存確認はできていた。



 そして、昨日の昼過ぎ。1枚の写真付きのメールが届いた。青い海がどこまでも広がっている風景だった。文面には、ホテルの名前だけが、ぽつんと記載されていた。



 原因は、母とのことだった。



 父には、居場所がなかった。持病が重く、ほぼ寝たきりの母は、なぜか強い権力を持っていたからだ。父は怯えていた。いつも火種はしょうもないことなのに、何度も離婚寸前までいった。でも、父が絶対に首を縦に振らないものだから、そうはならなかっただけのこと。



 一方で父は、郊外にマイホームを建ててしまったばかりに、毎日長い時間をかけて通勤し、家に帰れば家事をする毎日。夜中、ワイシャツにアイロンをかけている後ろ姿はどこか不気味で嫌だった。けれど、そうでもしないと、母に許してもらえないのだ。働いて、働いて。なんとか、自分の存在意義を見出さんとしているようだった。



 そんな父が、ついに出て行ってしまったのだ。



 私は、母に頼まれたので、迎えに行くことにした。私が行ったところで、連れ戻せるなんて、とても思えないけれど。だって、私も父の敵なのだから。


 しかし、私も母には逆らえないのだ。1泊分の荷物しか入っていないのに、小型スーツケースがとても重い。



 飛行機が離陸してしばらくすると、シートベルトサインが消えた。すぐに配られたキャンディを舐めながら、楕円形の窓の外を覗くと、美しい雲海が広がっていた。



 その時だった。



――ガタガタガタガタガタガタガタ……



 急に大きく機体が揺れたかと思うと、一気に無重力感が身体を襲った。幸い、シートベルトはしたままだ。必死になって肘掛けに掴まってみても、身体はシートから跳ね上がってしまい、全く固定できない。



――ドーーンッ!!  メリメリメリ……  プシューー



 機体のどこかが損傷したようだ。こんな音がするなんて、機内から空気が漏れているのではないだろうか。ああ、機内の灯りが消えた。飛行機が回転しながら急降下しているのが分かる。耳の奥も痛い。どうしたらいい。死ぬのか?  私は、ここで終わるのか?!



 ようやく、目の前に酸素マスクが降りてきた。それを引っ掴んで、慌てて口に押し当てたものの、私はすぐに意識を手放してしまった。



* * *



 目を開けると、白いご飯にごま塩をふったような柄の天井が見えた。いつの間にか、白いシンプルなワンピースを着せられている。ここはどこだろう。窓からは、木々が見えた。


 ベッドの横には、白い靴が置かれていた。遠慮なく履いてみると、私にぴったりだった。



「生きてる」



 私は、右手を握ったり広げたりしながら、その感覚を確かめていた。



「お目覚めですね。さぁ、こちらへ。早く作業を始めないと、会えなくなりますよ」



 ふと見ると、部屋の入り口に一匹の白猫がお行儀良く座っていた。もしかして、この猫がしゃべったのだろうか。



「ついてきてください」



 猫は、すっと身を翻して、廊下に足を向けた。私は、急いでその後を追った。


 連れてこられたのは、工場のような場所だった。パタンパタンという音がそこかしこから鳴り響いている。皆、機織り機の前に座って、一心不乱に布を織っているのだ。よく見ると、空港で会った女性の姿もあった。



「あなたは、ここ。あなたは、誰に会いに行くのですか?」



「父ですが……」



「それならば、こちらの糸などいかがでしょう? これとこれを合わせるとシックになって、男性向けに良いかもしれませんね。ほかの色も必要でしたら、あそこの棚から好きなものを選んで使ってください」



 白猫は、歌うような滑らかさで言い終えると、つんっと尻尾を立てて、私から離れようとした。



「あ、あの……」



 白猫は首だけ振り向いて、黄金色の瞳をギラリと光らせた。



「ここは、お土産を作る工場です。お父様に渡すお土産をがんばって作ってください」



「お土産なんて要らないわよ。だって、ただ連れ戻すだけなんだから」



「お土産は絶対に必要なのです。しっかりと心を込めて織り上げないと……」



 私は、唾を飲み込んだ。



「2度とお父様には会えないでしょう」



「え?! どういうこと?! 教えてよ!」



 今度はもう、白猫は振り返ってくれなかった。そのまま、しゃなりしゃなりと歩いて、工場を出て行ってしまった。


 私は、しばらく途方に暮れていたが、仕方なく与えられた織機の前に座った。



 まず、経(たて)糸をかける。私は、青系の柔らかな糸を選んだ。手織りなんて初めてなのに、なぜか知っている。身体が動く。



 次に、経糸の隙間をあける綜絖(そうこう)を操作しながら、杼(ひ)に巻きつけた緯(よこ)糸を何度も往復させて、少しずつ織り上げていく。地道で単調な作業。でも、間違えると、思った通りの柄が出ない上、生地がおかしなことになる。一定の緊張感を持ったまま、もくもくと身体を動かし続ける。



 次第に周りの音が全て遠ざかっていった。聞こえるのは、自分が奏でる機の音だけ。



「お父さん……」



 父は、どう見ても格好が悪い。着るのはいつも、いかにもバリューゾーン向けといった風の安価なポロシャツ。それも、洗濯のしすぎで、若干色褪せている。新しいのを買おうよと言っても、必ず喧嘩になる。要らないと言って、聞かないのだ。



 お小遣いも少ない。毎日のお昼ご飯と、散髪代、それとガソリン代を含めて月2万円。なのに、時折ものすごく甘いロールケーキを買って帰ってくる。スイーツは、甘ければ良いってものではないのに。



 私は、ずっと母の味方をしてきた。母は、持病に侵されて、身体の自由があまりきかない。私は、弱い人を大切にすることは、正義だと思い込んでいた。



 母が父と喧嘩していても、私は必ず母のために援護射撃を行ってきた。母からは、毎日父の悪いところばかりを止めどなく聞かされていたので、それは当たり前のことだった。父は、母と私に言われっぱなしだった。



 でも、それで良かったのだろうか。



――パタン、パタン……



 規則的な音に乗せて、私の思考も少しずつ奥へ奥へと進んでいく。


 父は、なぜ、ずっと我慢し続けたのだろう。あれだけのことを言われて、どうして平気でいられたのだろう。



――パタン、パタン……



 いや、平気なわけないじゃないか。大の大人なのだ。職場では、一応部下もいて、管理職も務めていたんだ。


 もちろん、娘をもつ父親でもある。大学も、奨学金を借りることなく、通わせてくれた。小さい頃は、よく旅行も連れていってくれた。



 そうだ。グアムにも行ったのだった。



 あの頃は、母の持病も今ほど重くなく、家族3人で波打ち際の水かけ遊びに興じた。ホテルのプライベートビーチはとても綺麗で、私はたくさん写真を撮ってもらった。



――パタン、パタン、パタン、パタン。



 私は、手を止めた。


 そうか。だから、父は……



「土産は仕上がったようですね」



 いつの間にか、白猫が私の隣に佇んでいた。



「いえ、まだです。この長さじゃ、マフラーにもならない、ただの布切れ……え?!」



 急に、辺りが白くなって、何も見えなくなった。必死に両手を動かしてもがいたが、指先は空を切るだけ。



「土産をしっかり握って、早く行きなさい」



 白猫の居場所を探して右往左往していると、強い目眩が起こった。



* * *



「大丈夫ですか?! あ! もしかして、事故があった飛行機の?!」



 まぶたを開けると、眩しすぎる太陽光が目に飛び込んできて、頭の奥がズキンと痛んだ。



「奇跡的に全員無事って、本当に良かったですよね! あ、すみません。そろそろ集合時間だ。もう行かなくちゃ」



 そう言うと、赤いアロハシャツがよく似合う若い男性は、私の元から去っていった。



 視線を横にスライドさせると、空港の敷地の片隅に、黒焦げになった飛行機が一機、止まっているのが見えた。


 思わず、はっと息を飲んだ。



「あれ?」



 私の傍には小型スーツケースがあった。でも着ているのは、白いワンピースのまま。



「あ!」



 私の手には、あの青いマフラーがあった。広げてみると、なぜか私が織った長さよりも長くなっている。軽くて、柔らかくて、父が送ってくれた写真の海みたいな青。



 私、父と話す。



 私は、小型スーツケースの持ち手を引っ張って伸ばすと、目玉焼きが焼けそうなぐらい熱い地面の上をゆっくりと歩き始めた。


 スーツケースの駒が、カラカラと軽やかな音を立てて、私についてくる。



 今なら言えそう。



 お父さん、ありがとう。


 一緒に帰ろう。







<ペンネーム>


谷崎みか



<普段書いている作品>


◎思いを伝えます

https://t.co/i9V0WoVmPe


新人研究員、理緒の波乱万丈研究所ライフ。人間の思いを記録・再生できる石の研究を通して、様々な敵に立ち向かいます。一応、恋愛もの。



◎止まり木旅館の若女将

https://t.co/Yn9iQF4kr9


様々な世界、時代、身分のお客様をお迎えする不思議な旅館のお話。若女将の楓が、訳あり従業員と共に誠心誠意おもてなし致します。



<自己紹介>


ひよっこ物書き見習い レベル1  です。

子育ての合間に、スマホでちまちま書いています。

応援よろしくお願いします。



  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る