道化は歌い、踊り、そして。
晴れているのに、雨が降る。
そんな日が稀にある。
雲は少し多めだけど、チラチラと降る雨が、雲から顔を出す日の光でキラキラして、じめっとする嫌な空気もなく、不思議な爽やかさがある。高層ビルの窓が反射して眩しい。
まるで、スポットライトを浴びているようで、心地が良くて僕は好きだ。
色とりどりの傘が僕の前を通る。
僕は少しでもその傘を集めたくて、今日もふざけた仮面を被り、道の片隅でおどけてみせるのだ。
爽やかな雨、傘から覗く笑顔。僕が今、生きている証拠を僕の体全体が実感していく。
これは? あれはどうかな? こういうのはびっくりしない? なんて、調子に乗っておどけてみせる。自分のできることを出し惜しみなんかしない。その傘から覗く白が見えることが僕にとっての幸せならば、僕はそれを見れるように、ただひたすらにおどけるのだ。
少し多めだと思っていた雲が更に多くなり、日の光は差し込まない。スポットライトは消えた。爽やかさは消え、じめりとした嫌な空気がまとわりつく。今日はもうやめろと言われているようだ。
傘から覗いていた笑顔は消え、色とりどりの傘は次第に僕の前から残らなくなる。
「また来てね」
なんて寂しさなんてないように、笑顔で僕は手を振るのだ。またここで待っていると。そう訴える。
日の光と共に傘は一つも残らなかった。僕は一つ息を吐き、仮面に手を掛けた、が、その掛けた手をぴたりと止めた。
傘の代わりに、真っ赤なレインコートに身を包んだ小さな子が静かに僕をじっと見つめて立っていた。
僕は、仮面の位置を修正してその子の前に歩み寄る。
「やあやあ、君は僕のステキなファンかな?」
やけにテンション高く、声を張る。
僕より少し背が低い。その子は近づいた僕の顔を見るように、少しだけ顔を上げた。深く被ったフードから現れたのは、長い前髪から微かに覗く瞳が儚げな女の子だった。色白の肌が真っ赤なレインコートで際立つ。とても美しく思えた。
彼女はただ僕を見つめ、首を横にも縦にも振りはしない。口は一文字に閉じられ、零れ落ちそうな大きな瞳だけが、僕を映す。
「そろそろ帰らないと、パパとママが心配しちゃうよ」
無反応。
「もう日は沈んできた。きっと探しているんだ」
無反応。
「パパとママは?」
無反応。
「一人なの?」
――コクリ。
やっと頷いたのは、この言葉だった。
「おうちには帰らないの?」
――コクリ。
「……ずっと独りなの?」
――コクリ。
無反応であってほしかった問いばかりに、彼女は頷いて返すのだ。
「――じゃあ、僕と遊ぼうよ」
僕は不意に思ってしまったのだ。この子が緩んだ口許から白を見せてくれることはないのかと。
僕は、彼女の手を掴む。小さくて冷たい手だった。彼女を引き寄せると、引き寄せて起こった風で彼女の前髪がふわりと浮いた。見えたのは――。
「あっ……」
咄嗟に彼女は僕の手を払い、両手で自分の顔を覆う。彼女は俯いたまま、ただ静かにそこに立つ。
彼女は手を顔に貼り付けたまま、なかなか顔を上げなかった。
「………」
顔を上げてほしかった。顔を、僕に見せてほしかった。
僕は、彼女の前にしゃがみ込み、仮面に手を掛ける。
「ほら、見て」
ゆっくりと仮面を外し、真っ直ぐに彼女を見る。掻き上げていた前髪がパラパラと頬に触れる。指と指の間から覗く彼女の瞳に映された僕の顔。彼女は零れ落ちそうな瞳を更に大きく見開いて、貼り付いていた手を顔からはがした。
「―――」
「隠す必要なんてない。本当はそのまま笑っていたら幸せなんだ」
もう一度、僕は彼女の手を取る。テンポよく足を踊らせ、鼻歌を奏でる。遠い遠いもうどこだったかも忘れてしまった故郷の鼻歌を。愛していた人が聴かせてくれた鼻歌を。
曇天の下で秘密のダンス。僕と彼女だけの不思議なダンスホール。
ぎこちなかった彼女の足許が、だんだん軽やかに動き始める。知らないはずの鼻歌を真似て奏でる。
軽やかに踏みしめるステップ、雨粒一つで壊れてしまいそうなほどの鼻歌。窓に映るカラフルな僕と赤い君。
止まることのない足。
きらめき始める雨粒。
スポットライトの次はキラーボール。
彼女の白い肌に浮かんだ赤から覗く白。
曇天無き今、僕らは遂に足を止める。
覗いていた白が姿を隠す。
僕は彼女の前にしゃがみ込み、彼女の頬に触れる。そして、繋がれた手を解き、代わりに被っていた仮面を置く。
「僕が使っていたおまじない。今度は君が使う番だ」
僕にぴったりで彼女には少し大きいふざけた仮面。
「次に会う時、またその仮面を僕に届けておくれ。それまでは君にその仮面を預けていたい」
――コクリ。
真っ赤なレインコートに不似合いなふざけた仮面。
彼女は踵を返して僕の視界から次第にいなくなる。
彼女は独りどこに行くのか。
独りの僕には知る術もない。
曇天のじめりとした嫌な空気。色とりどりの傘の中、僕は独り雨に打たれる。
耳につく雨音。
その中で微かにどこかからか懐かしい歌が聞こえた。
歌の方へと吸い寄せられる僕の足。
足が止まった先で僕の瞳に映るのは、髪に散りばめられた真っ赤な花に不似合いなふざけた仮面に顔を覆う女性。
集まる色とりどりの傘。
そこから覗く白。
おどけ、踊り、歌う彼女。
気付くと、僕の周りにはもう誰もおらず、残ったのは、僕と彼女。
急に顔を出すキラーボール。いつかの秘密のダンスホール。
彼女は僕の前に歩み寄り、仮面に手を掛ける。
透き通る美しい白に零れ落ちそうで吸い込まれそうな瞳。
彼女の小さく冷たい手が僕の頬に触れ、顔に掛かる前髪を払う。
瞳に映される僕の顔。
彼女は微笑み、僕の手に仮面を触れさせる。
――コクリ。
彼女はまた頷いた。
僕も彼女に微笑む。
「確かに、届けられた」
晴れているのに、雨が降る。
そんな日が稀にある。
雲は少し多めだけど、チラチラと降る雨が、雲から顔を出す日の光でキラキラして、じめっとする嫌な空気もなく、不思議な爽やかさがある。高層ビルの窓が反射して眩しい。
まるで、スポットライトを浴びているようで、心地が良くて僕は好きだ。
きっと彼女も。
Fin.
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