雨の日晴れ顔
小さな水滴が一粒、私の頬に触れる。
そして、一粒、また一粒と、私も私もと雫らが頬を撫でていく。
瞳に空を移すと、どんよりとした雲の重さが体にのしかかり、後に遅れてきた雫が私の視界を霞ませた。
また、この季節が来てしまった。
慌てて肩から提げたトートバッグの中を漁る――が、お求めのものはなく、代わりに溜息が口から顔を覗かせる。ここから家まではまだ遠い。どこかで雫らが遊び終えるのを待つのが無難に思えた。
走るのに不慣れな靴に罪悪感を抱きながらも、近くの喫茶店まで走る。
少々雫らに弄ばれたが、カランコロンと可愛らしく鳴るドアを開けた。
店に入ってこれない雫らが、ぴたりぴたりと窓に張りつき、店の中を覗く。私はその雫らに向かって「ざまあみろ」と意地悪に舌を出す。
「呼ばれてもないのに、懲りずに来るよね」
心を読まれたのか将又同じことを考えていただけか、小さめの丸眼鏡の位置を修正しながら、マスターが私の前に溜息と共に珈琲を差し出した。
「そうですね」
私は濡れる窓に自分の姿を映す。
私とマスター以外、こんな日にわざわざ小さな喫茶店に来るわけもなく、雫らが未だ帰ろうとしない空の下の店で二人の時間がゆらゆらと過ぎる。
「……狡いですよね」
ぽつりと漏らす。
「何が?」
マスターが首を傾げる。
「こんなに降って、体は濡らして、いい気分なんて全部持っていってしまうのに、嫌なことだけは持っていってくれないんですよ。流れてくれない。ずっと、そのままで。……流してくれればいいのに」
「そんな都合よくなってくれればいいのにねぇ。空は随分厳しいらしい」
「……もっと優しくしてくれてもいいのに」
無意識に口を尖らせた。
「――甘いものは好きだったかな」
マスターがキッチンへ戻り、何やらカチャカチャと食器を鳴らす。また、顔を覗かせると、私の前にプレートを一つ置いた。
「わあ……」
パフェだ。
「やっぱり梅雨時期は閑古鳥が鳴いちゃってね、時間があるなら新作でも作っちゃおうと思って」
マスターが少し照れながら、鼻の先を掻く。
青や紫のゼリーがクリームとアイスの上でキラキラと輝き、砂糖で作った小さなパラソルが可愛らしく添えてある。
「試作品なんだけど、食べてくれるかな」
「いいんですか」
「感想聞きたいから」
いつも何にも動じないようなマスターが今日はなんだかそわそわして見える。その姿がとても愛らしく見えて胸の奥がじんわりと熱を持った。
「じゃあ、いただきます」
贅沢にアイスとゼリーを一気にスプーンで掬い、口の中へと運ぶ。懐かしさを感じさせるソーダ味のアイスと控えめなフルーツらの風味を感じさせるゼリーが口の中で踊っては去っていく。
「わあ……」
思わず感嘆が漏れる。
「えっ、口に合わなかった?」
パフェに目をやっていても、マスターが眉尻を下げて焦っているのが分かった。
私はくすり、と笑って、そのままマスターの方を向く。
「すっっっっごく美味しいです」
「本当?」
ご褒美を貰った少年に戻るマスターの丸眼鏡越しの瞳がきらりと輝く。
「見た目も凄く可愛くて、味も甘いだけじゃなくてちょっと爽やかで。何だろう、雨の日に食べたいって思います」
「そっか、雨の日に食べたい、か」
丸眼鏡を外し、ポケットからクリーナーを取り出す。俯き加減で丁寧に眼鏡を拭くその姿は、少し照れた時の動作であること――これを知るのは、マスターではなく私。
「この新作、雨の日限定スイーツにするなんてどうですか?」
「雨の日限定?」
「そう。ちょっともったいない気もするけど、だからこそ、何だか雨が楽しくなるっていうか」
「楽しくかあ」
「……あ。すみません。私なんかがマスターに提案なんか」
「いやいや、嬉しいよ。せっかく言ってくれたんだ。そうしようと思う」
眼鏡の奥の細められた瞳は温かかった。不意に窓の方に目をやる。マスターにつられて、私も窓の方を見る。
「日が出てきたね」
「そうですね」
やっと雫らは帰ったようだ。
「今日は、ありがとうございました」
カランコロンとドアのベルを鳴らす。
「こちらこそ。新作も食べてもらえて嬉しかったよ」
また、眼鏡を拭いている。
「また、おいで。雨の日にも」
「――はい。また来ます」
ドアのベルがまたカランコロンと鳴る。外は少し爽やかな気がする。
光が漏れる雲がとても綺麗に感じた。
休日。天気は雨。
いつもなら、外に出るなんて億劫で引きこもっているが、今日は違う。
クローゼットを開け、お気に入りの服を手に取る。メイクもしっかりして、女の子らしくビューラーでしっかり睫毛も上げる。口紅は淡い可愛らしいピンク。靴はお気に入りの可愛らしいレインブーツ。
傘を開く手は踊る。レインブーツで軽やかにステップを踏み、一つドアに手を掛ける。
カランコロン。
「いらっしゃい」
雨の日も案外悪いものじゃない。
Fin.
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