物書き靄掻き

 キヨエは真っ直ぐに私の目を見て笑い、口を開いてこう言った。

 ───先輩の台本読んで、がしました。


 泣きながら怒りを露わにした顔でアカネは言った。

 ───こんなの……酷すぎるよっ。


 周りからの「何でこんなものを書いたんだ」と言いたげなその視線を台本会議が終わるまでナナコは耐えていた。


 校内公演まで日がない演劇部にのしかかった課題は“脚本”だった。既成のものは極力使わず、生徒創作で頑張ろうという部のちょっとしたプライドから生まれた課題だった。

 だが、プライドがあるからって、皆が脚本を書いて提出するわけでもない。

 生徒の中でこれまでまともに脚本を書いてきたのは一人だけ。ナナコだった。

 皆は決めつけていた。「アイツがどうせ書くんだ」と。

 ナナコは焦った。


 ───書けない。


 今まで作りたい話があれば、スラスラと書けていたのが嘘であるかのように、ナナコはキーボードに手を置いて動かすことが出来ぬまま、ただただ真っ白な画面を見ていた。


 いつからだろう。書きたいものを書けずに、人が望むものばかりを気にして書くようになったのは。


 人の目を気にしてばかり書く内に、書くことさえ出来なくなってしまった自分を夜な夜な笑った。自分に嫌気が差すのと同時に脚本を書けないことへの焦りから眠ることが出来なくなった。


「脚本は進んでる?」


 廊下ですれ違いざまにナナコに声を掛けたのは顧問のイワタだった。顔を向けたナナコの目の下にはくっきりと誰もが分かるようなくまがあった。ナナコはいつも通りの笑顔を向けて「それが全然で」と言葉に打って変わって明るく言った。ただ、その顔に明るさなどない。

 顧問は何か言いたげであったが、「そっか」とだけ答えて次の授業のある教室へと急いだのだった。


 脚本が書けぬまま、締切は徐々に迫りつつある。ナナコは兼部している文芸部の方に用事があると演劇部部員に伝え、文芸部の方で舞台の脚本を考えた。

 しかし、皆が望むような脚本を思いつくことは出来なかった。

 もう時間はない。


「───よし」


 ナナコは最後の手段に移った。自分の今考えていることをそのまま脚本にしようと思い立ったのだ。皆が望まぬ、自分の書きたいものを書くスタイル。それが最後の手段だった。

 完成とは言えないが、ミーティングに出せるほどのものはなんとか書けた。

 ミーティングに脚本を出したのは、やはり、ナナコだけであった。

 部員は一部ずつ脚本を手に取り、目を通していく。


『捨て犬マイナス一点』


 それが、ナナコの書いた脚本のタイトルだ。

 捨てられた犬たちを人間が演じる。残酷な最期までを。今まで、「犬かわいそう」と軽く思っていた感情を人間がすることによってどうその感情に変化が出るのか。如何に人間中心主義的考え方をしているのか。

 それをナナコは言いたかった。

 書いたものはギャグでもない、シリアスで、シリアスの中でも重いものだった。高校生が進んでしようと思うものでもないそんな作品だ。


 作品に浴びせられた言葉はどれも酷かった。言葉は感情的でどれも棘があった。

 ナナコ自身、覚悟はしていた。望むものでない種類の作品。やりたがらないと分かっていて書いたのだ。

 皆から浴びさせれる言葉に表情を崩すまいと膝の上の両手を強く握り締めた。

 作品は案の定ボツで、全て最初に戻ってしまった。


 翌日、台本案の練り直しの為に、ナナコはイワタのところへ行って二人で頭をひねった。


「あんた、大丈夫?」


 不意にイワタがナナコに言う。「何がですか」とナナコは返す。


「昨日、結構言われていたから」


 ナナコの喉がきゅうっと締まる。声を出したくても出しづらい、そんな喉だ。


「……あれは、公演のことを考えなかった私が悪いので」


 ナナコは笑い顔を浮かべたが、一言一言を言うのに精一杯であった。

 イワタは何か言いたげな顔だったが、口を紡いだままだった。


 悔いの残るまま、ナナコは三年となり、演劇部を引退した。開放感よりも心に残るのは脚本への悔いだった。

 心に溜まる靄を、受験勉強に打ち込むことで消そうとした。しかし、いつも見る夢は、あのミーティングの記憶だった。


 教育相談期間でイワタと話す機会があった。

 大会が近いのに脚本が出来なくて困っちゃう、とイワタが世間話を始める。

 あまり、演劇の話はしたくなかったが、笑顔を取り繕って話を聞く。


「大変だったよね」


 不意にイワタが口にした。ナナコは首を傾げる。


「ほら、ミーティングで凄い言われ方したやつがあったじゃない」


 ナナコは堪らず眉間に皺を寄せた。


「でも、みんなはああいう言い方をしたけど、それって凄くあの作品としては成功だと思うのよ。私はあれだけ書けるのって凄いと思ったのよ。だからね、あんたは自分の書いた作品にもっと自信を持ちな。持っていいのを書いてるんだから」


 ナナコの頬を何かが伝った。イワタのその言葉がナナコの中の靄を取り払ってくれたような気がした。

 認めてくれたことを知る安心感はなんとも言えない思いだった。


 目を赤く腫らして、職員室を出ようとしたナナコをイワタが呼び止める。


「これからも、書きたいものを書けばいい。それを書けるのはあんたしかいないんだから」


 ナナコは笑みを浮かべて、頭を下げ、職員室を出た。

 久しぶりの本当の笑顔だった。



 Fin.

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