第5話
そびえたつ摩天楼の数々がセシルとダンを迎えていた。先日の金属が剥き出しになっている町とは違う、どちらかと言えば見栄えの良い、白をベースにしたような町。
いや、町と言うには少しばかり語弊があるかもしれない。この秩序が崩れかけているご時世では珍しい、都市、と言った方が良いだろう。
そんな都市を前にして、ぶろろろろ、と言う音を立てながら車が進んでいく。ガッタンガッタンと左右に車体を揺らしていた車が、道が徐々に舗装され始めたらしい、揺れがだいぶ収まった。
あれから数日。何もない道のりをただひたすらに走りぬけ、ようやく見つかった都市。それを見つめてセシルが陰鬱そうに呟く。
「クソッたれ……ついにこの時が来たのか、死にさらせ」
汚らしい言葉使いとは対照的な可愛らしい声が車内に行きわたる。セシルは以前の町で購入した何着かのうちの一着を着ているのだろう。
町を出るときに着ていた服とは違う、動きやすそうなワンピース型の服を着ている。もっとも本来はそれだけで良いはずなのに、男であった頃穿いていたズボンも穿いているのは、心ばかりの抵抗に違いない。
「良いじゃないか、セシル。誰もキミのことなんて知りやしないよ」
「うるせぇよ! それが問題なんだろうが。ちったぁ考えろ。このファッキン野郎!」
セシルが文句を垂れると、おや、とばかりにダンは眉を吊り上げて、
「まさかキミに頭を使え、と言われる日が来るとはねぇ」
と、言ってクックックと小さく笑った。
たぶん、ダンは分かっている、とセシルは思う。この数日、ダンと二人っきりだったおかげか、トイレや、体を洗う、衣服を着る、などの場合を除いて女である、と言う自覚症状を薄れさせることが出来た。
しかしこれがダン以外の人もいるとなると話は変わってくる。どう考えたって今のセシルは女の子であって、そうである以上、周囲の人はセシルを女の子として扱う訳だ。
つまり本来は感じなくても良い場所で女であることを自覚してしまう、と言うことになる。それがセシルにとって、町に行きたくない壁となって立ちふさがっていた。
「ッチ、分かってやがるクセに」
「はは、ごめんよ、セシル。とは言え、だ。キミが街に行きたくないのは分からないでもない。理由もね。だけど忘れたとは言わせないよ。僕たちが旅をしている理由、それを達成するためにも、街へ寄るのは必然だ」
「うるせぇな、分かってるよ」
でも、とセシルは付け加える。
「必ず、絶対必要だからってのと、行きたくねぇって感情は別もんだろうがよ!」
クックックと笑って、笑顔を浮かべていたダンがとつぜん、真顔になる。まるで聞いてはいけないものを聞いてしまったような、そんな顔。
「キミ、女の子になって頭良くなったのかい?」
「うるせぇよ! てめぇ、ぶっ飛ばすぞ!」
「ここ数日、手早さもなくなってきてる気がする。もしかし――お、おい!」
セシルはいい加減、その減らず口を何とかしてやろうと、助手席から身を乗り出してダンの握っているハンドルを左右に動かす。
「やめろ、セシル!」
「うるっせぇ! 事故れ! このファッキン野郎!」
舗装されている道だと言うのに車内は凸凹道を走っているかのように大きく揺れる。
「事故ったらどれだけ金が掛かると思ってるんだ! セシル! やめろ!」
「てめぇ、俺が女になったからって何もできねぇと思ってんじゃねぇぞ!」
「わ、分かった! 悪かったよ、セシル! だから離せ!」
ダンの謝罪を聞いて、ようやくセシルはハンドルから手を放す。とは言え女になった当初含め、ここ数日で受けた様々な出来事のようやく一つを少しだけ晴らせたような気分になっただけであって、まだまだ根は深い。
いつか必ずとは思いつつも、即時実行、それが出来ないセシルには大きなわだかまりとなって残る。
「ダン、いつかてめぇの眉間に銃弾をぶち込んでやるから覚えときな」
「怖いな、まったく。キミが夜な夜なその体に慣れようと訓練してることは知っているんだよ。せいぜいキミが今まで通り動けるようにならないことを祈るよ」
「ファック! てめぇ俺が動けない方が良い、って言いたげじゃねぇか。良いか、俺が動けねぇってことはそれだけ危険が増すんだぞ。分かってんのか、おい」
それを聞いてダンはやれやれ、とばかりに首を振って、
「言われずとも分かってるさ。だがね、キミ。分かっている、と言うのと感情は別モノなんだよ」
「てめぇ! やっぱりおちょくってんじゃねぇか! 死ね! やっぱ死ね!」
「僕が死ぬとキミも死ぬことになるんだ! やめろ!」
セシルは再び、ハンドル操作を無理やり奪い取って、舗装されている道の上を不安定に進んでいく。
そんなガッタガッタと左右にぶれる車の前に、お世辞にもきれいとは言えない少女が一人、何かを探すように下を向いて立っていた。あの様子では車を気づくことは出来ないだろう。
けれども気づいていないのはこちらも同じ。セシルはハンドルを邪魔することに夢中になっていた。
「お、おい待て、セシル! 前見ろ! 前! 人だ! 避けろ!」
「あ? んなわけ……クソ虫が! なんでこんなとこに居んだよ!」
セシルが奪い取っていたハンドルを切って、少女を何とか避ける。そのままダンにハンドルを預けたかと思うと、セシルは窓から身を乗り出して、
「てめぇ死にてぇのか! ぶっ殺すぞ!」
「言ってることがめちゃくちゃだよ、セシル……」
とダンはため息をついて、華麗なハンドルさばきで車体を持ち直す。
そんな中でもセシルはまだ、ぶつくさ文句を垂れていたが、どうやら興味はダンではなくあの少女に移ったらしい。それ以上、セシルはダンと口喧嘩することなく、真っ白な都市の入口にたどり着いた。
どこの町もそうだが、やはり外界からの敵を警戒して門が設置され、厳重な警備が施されている。もちろんこの町も例外ではない。
とは言えこれだけの規模になる町であったため普段よりもかなり厳重に見える。厳重さが意味するところ。それはそれだけ、この町が安全である証拠でもあった。
白いスーツを着て銃を片手に持った警備員がセシルとダンの車にまで寄ってくるので、ダンは窓を開ける。
「どこから来た?」
「うーん、どこから、と言われると困りますね。出身と言うなら僕はクラマス」
ダンに続いてセシル。
「俺はタイタスだ」
警備員はセシルのその言葉使いに少し驚いた表情をするものの、すぐに引っ込めて、
「クラマスにタイタスか、あまり聞かない名だな」
「ええ、まあ僕たちはもう何年も旅をしているのでね。かなり遠くの地であると言うことは間違いないと思いますよ」
ダンの言葉を聞いて身元を確認する方法などない、と悟ったのだろう。周囲に居た警備員を呼ぶと、
「とりあえず積み荷と身体検査をさせて頂く」
結局こうなるのか、とセシルは思いつつも、いつものことだったので、二人は揃って車から降りて明け渡す。二人が車から出たのを確認すると同時、代わりに警備員が車の中に入って怪しいものがないか、と念入りに探し始める。
その一方、ダンとセシルは身体検査のためだろう。警備員の一人に、こちらへ、と門脇の扉へと促された。
「積み荷検査の間にお二方は身体検査を」
「あ? おいおい、お前らまさか俺らに別の場所に行けってのか? 車を置いて? 何するか分かったもんじゃねぇんだ。しっかり見てからだろ、普通は」
ダンもこれに関してはセシルに同意するらしい。セシルの隣で「僕もここで見ているよ」と、警備員に念を押すかのように意志を伝える。
「……確かに、失礼しました」
二人の頑なな態度を見て警備員は納得したらしい。非礼を詫びて身体検査を後にし、二人の人柄でも見ようとしてるのか、世間話を振ってくる。
「この町の外はどうですか? 我々はこの町の外にあまり出たことがないので」
まったく、仕事熱心なことだ、と思いつつもセシルさっさと馬鹿みたいな検問を終わらせるために口を開く。
「あぁ、お前らがこうやって防波堤になってんだろ? だいたい町の安全ってのは門で分かるもんだが、ここはなかなか厳重だ。ま、検査されてる俺らが言うことじゃないんだろうが、なかなか良さそうな町だと思うぜ」
数多もの検問を潜り抜けてきたセシルだからこそ、出てくる滑らかな口八丁もはんかいとう。セシルはそれを口先だけで見事に答えきる。すると口先だけの解答とは微塵にも思わなかったのか、警備員は照れ臭そうに笑って、ありがとうございます、と言ってから、今度はセシルに向けて質問をする。
「失礼ですが、貴方、女性……ですよね? 一応、確認なんですが万が一、ということもありますので。もちろん万が一、なのですが、それによって身体検査も変えなければ、ならない可能性もなくはなくてですね」
歯切れの悪い警備兵の質問にセシルは痺れを切らして口を割る。
「てめぇ、どこ見て言ってんだよ。男に決まっ――んが」
「女です」
ははは、と苦笑いを浮かべ、セシルの口を抑え込むダン。
むがむが、と抑え込まれるセシルはダンの腹に肘鉄を加えて何とか脱出を試みようとするも、力が足りていないのか、はたまた腕の長さが足りないのか。思うようにいかずに、じたばたと暴れるに終わってしまう。
事情の分かっていない警備員は、首をかしげつつも、やはり初見通り、間違っていないと思ったのだろう。やはりそうか、と確信を得た顔になっている。
と、どうやら積み荷の検査が終わったようで、車から警備員が出てきて、
「積み荷の方は特に問題なし、です。身体検査、お願いします」
それを聞いてダンはセシルを離して、
「じゃあ、セシル。キミは女の子だから女の子の身体検査を受けてくるんだよ」
「てめえ! 殺す! あとで殺すからな! 覚えてろよ!」
今にも取って掛かりそうなセシルを警備員が抱えて持って行かれるのだった。
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