第10話 強欲の怒り 前編

 彼は夢を見た。大事な物を奪われ、自分の力の無さを呪ったあの日の夢を――。彼は夢を見た。大事な物を奪われたその日から、全てを手に入れるための強さを求めていたあの頃の夢を――。それらは過去の記憶。もう戻すことのできない過ぎ去りし時間。そして彼は夢を見る。力を得て、誰も止めることができなくなった自身の歩みを止めた男の姿を――。その男は言った。「怒れ! 憎め! そして力を求めろ! それがお前を生まれ変わらせる糧となる!」と――。だが彼は思った。それだけでは足りない。人を、物を、力を、命を、そして世界を。全てを欲してこそ自分は始めて身を堕とすことができるのだと。そう思った瞬間、彼の全身から力が溢れるのを感じた。そうだ。これが、これこそが自身の力。全てを欲し、全てを奪う。彼の名は――――。



◇◆◇



「……変な夢を見たな……」


 どこかの一室でベッドで眠っていた一人の若い男が目を覚ます。彼の名はリイン・アルデヒド。このヒメリアの町の厄介者の暴れん坊。彼は辺りが暗いところを見ると今は既に夜になっていることがわかる。だが彼には昼寝をした覚えはないしベッドで眠ることを最近はしていなかったため不思議に思う。状況の判断のため、とりあえず体を起こそうと頭を起こしたとき、額を貫くような痛みが走る。


「ッ―――!」


 それと同時に彼は思い出した。彼は一人の名の知らない美女欲しさに若い男に喧嘩を売り、そして完敗したことを。いや、もしかしたら勝負ですらなく男にとっては遊びだったのかもしれない。それほどまでに彼は呆気なく倒された。それも拳や蹴りではなくただのデコピン一発で。

 それを思い出した彼は急激にその男への怒りと憎しみが湧き、頭痛を物ともせずにベッドから跳ね起きた。


「野郎! 俺を馬鹿にしやがった! 許さねえ! ぜってえぶっ殺してやるッ!」


 そう思いながらリインは自身が眠っていた部屋を出て建物の出口を探す。廊下を抜けて広い部屋に出るとそこは自身が昼間に入った酒場であることがわかった。


「よう」


 リインが声の聞こえた方向を見るとこの酒場の主人がいた。聞いたことがある声であったので酒場の主人が客にお酒を出しながらカウンターから声を掛けてきたことがわかった。彼はカウンターまで大股で歩くと人目を気にせず酒場の主人に怒鳴り散らした。


「あの野郎はどこ行きやがった! 美人と一緒にいたあの銀髪のマント野郎だ!」


 怒りで興奮しているリインを他所に酒場の主人は落ち着いた様子で口を開いた。


「それについてだが、そいつから伝言を預かっている」

「伝言だと?」


 「俺に伝言なんて残してどういうつもりだ?」とリインはイラムに対して怒りを表していたが主人はそんな彼に対して気にも留めずに話し出す。


「『俺たちは宿にいる』とだけ伝えておけとのことだ。宿のどこの部屋にいるかまでは言っていなかったからどこにいるかは自分で探せ」

「宿だな! 待ってろよ! すぐにぶっ殺してやる!」


 そう言って酒場を飛び出そうとするリインを「待て」と酒場の主人は引き留める。


「何だよ! 邪魔すんな!」

「邪魔なんかしねえよ。ただの忠告だ」

「忠告だぁ?」

「ああ。あの男についてだがよ。あいつに関わるのは止めておいた方がいいぜ。あいつは……化け物だ」

「…………」


 主人の化け物という言葉にリインは黙り込む。あの相対した相手が化け物だってことは実際に相手したリインが一番理解していた。あの男は普通の人とは何かが違う。今のままでは勝つことのできない大きな壁があることも理解していた。


「おそらくあの場を目にした全員が思ったよ。あいつは人間じゃない。人間の形をした何かだってな」

「…………」

「今ならまだ間に合うぞ。あいつに会うのはやめておけ」

「…………」


 リインは少し逡巡するような素振りを見せる。だが彼の肚は決まったかのように主人から踵を返し歩き出す。


「それでも行くぜ」

「なぜ? 行ったら殺されるぞ」

「いや、あいつは俺を殺さねえさ。あいつは言っていた。『殺しはしない。お前にはそれだけの価値がある』ってな」


 その言葉はあの場にいた全員が聞いていた言葉だ。それを思い出しながらリインは話を続ける。


「それって逆を言えば俺を殺したくない何らかの理由があるってことにならねえか?」

「まぁ確かにそうだが……」

「それによ、今ここで俺が行かなかったら俺は逆に殺される気がするんだよな」


 それは酒場の主人も思っていたことではあった。だがどちらにせよ場合によってはリインは殺される可能性がある。そのためイラムに関わらせるのは危険だと主人は思っていた。


「だから俺は行くぜ。それで俺が殺されることになってもあんたらは困らねえだろ?」


 自分は町の厄介者の暴れん坊であることは理解している。だから天涯孤独の身である自分が死んでも誰も困らないと、彼はそう思っていた。だが――。


「……一つ言っておくぞ。俺はお前が嫌いだ。強欲で、町では暴れ回るし入口は壊す。そして飯代は払わねえ。お前にはかなり迷惑している。……だがそれでもよ、この町で生まれてこの町で育ったお前に死んで欲しいなんて願ってるやつは一人もいねえ。……少なくとも俺はそう思ってるよ」

「……そうかい。だったら、死ぬわけにはいかねえよなぁ~……」


 彼は今生まれて初めて感動というものを覚えたのかもしれない。大事な物を奪われ、奪われないために力を身に着け、力を身に着けた代わりに町の人には厄介者扱いされてきた彼にもそうやって言ってくれる人物がいたのだから。


「……そろそろ行くわ」

「ああ。行って来い」


 それを最後にリインは酒場から出た。今の彼の中には不思議と恐れはなかった。ただどんな現実でも受け止めてやる。そう思いながらイラムが待っているという宿に向かった。



◇◆◇



 宿に向かったリインだが彼は今現在、宿の壁をよじ登っていた。先ほど宿の主人に話を聞き、イラムたちのいる部屋を突き止めた、のだが、彼は普通に廊下から入るのは何か嫌だという子供染みた理由でイラムたちのいる部屋に窓から侵入しようとしていた。辺りは暗いため人に見られる心配はあまりないため、いや、人の目が例えあったとしても彼は平然と宿の壁を登っていた。


「ここだな?」


 二人のいる部屋の窓までたどり着いたリインだが、まずは部屋の様子を窓の外から確かめてみる。部屋の中に電気は付いておらず、耳を澄ませても物音一つしない。「眠ったのか?」そう思いながらとりあえず窓が開くかどうか試してみる。


「? 空いてるだと?」


 まるで部屋の窓はいつでも入ってこいとでも言うように鍵は閉まっていなかったため、彼は警戒しながらも窓を開けて部屋に侵入を試みる。

 部屋の侵入には拍子抜けだと思うほどにすんなりと入ることができた。部屋の中を見渡すと暗闇の中にベッドが二つ並んでおり、そこに昼間の二人が眠っているのだとリインは思った。彼は「眠っているならばそれでいい。男を殺してついでに女を頂く」そう思いながら忍び足でベッドに近づく。一歩、二歩、ベッドに近づくごとに彼の呼吸は乱れていく。緊張で震える足を懸命に進ませ、そして彼はベッドに辿り着いた。相変わらず暗闇で二人の姿は見えないが、リインは必ずここにいると確信していた。だがその確信は外れた。月明かりが部屋の中に入り込み、二つのベッドを照らす。


「!?」


 そこには人の影はなく、空のベッドが二つ並んでいるだけだった。


 (まさか逃げやがったのか!?)


 そう思って後ろを振り向くと彼らはいた。窓の外から確認したときにはいなかったはずなのにいつの間にか背後に立っていたイラムとルクシエラにリインは驚いた。


「伝言通り来たようだな。強欲」

「ッ―――!」


 即座にリインは警戒を超えた防衛本能に身を任せ、イラムに向かって昼間に折られたナイフとは別のナイフを取り出し襲いかかる。だがそのナイフの刃は昼間と同様に蠅を叩くかのような動作で折られ、リインに攻撃手段が無くなる。だがイラムは彼を襲うようなことはしなかったためリインは疑問に思った。


「ふっ。不思議そうな顔をしているな。なぜ攻撃しないんだとな」

「あ、当たり前だ。お前なら俺を殺すことができたはずだ。いや、俺以外なら殺している。人を殺す人種のはずだ。なのにお前は二度も俺を殺さなかった。何故だ?」


 リインの問いにイラムは口元に笑みを浮かべる。


「その前に聞こう。お前は、シエラを見たときどう思った?」

「? シエラってお前の連れの女だよな? 思ったって何だよ? そんなもん美人だ。俺の物にしたいって思っただけだが?」

「……ならば質問を変える。シエラを見たとき、お前はどうなりかけた?」


 リインはその質問の意図を理解できぬまま彼女を初めて見たときの記憶を掘り起こす。そして思い出した。リインは彼女を見た瞬間に何も考えられずに固まりそうになった。だが彼は欲しい。俺の物にしたいという欲望が彼女の魅了に勝り、固まることなく動くことができたことを。それをイラムに伝えると、彼は一言「やはり……」とだけ言った。


「先ほどのお前の質問の答えだ。お前が、こちら側の人間だからだ」


 彼には理解できなかった。イラムにこちら側の人間だと言われてもこちら側という言葉が何を指しているのかがわからないため上手く反応ができず戸惑うだけだった。そしてようやく声を絞り出したリインはイラムに一番の疑問を質問した。


「お前らは……一体何もんだ?」


 その問いにイラムとルクシエラは笑みを浮かべた。まるでその問いを待っていたというかのように。


「それが知りたければ明日行われる騎士によるパレードを見に来ることだな。面白いものが見れるぞ」


 リインは「騎士たちのパレード? それが何か関係あるのか?」と尋ねようとするが、その言葉を発する前に自身よりも身長の低いイラムに子猫を掴むかのように自分の首根っこを掴まれるとそのまま部屋から放り出された。


「はぁっ!? ちょっ!? てめっ!?」

「話は以上だ。これ以上は話すことはない」


 リインはドア越しにイラムに抗議するが、部屋に入ることは許されず結局彼は渋々と宿から出て行った。



◇◆◇



 翌日。中々寝付くことができなかったリインは重い瞼を擦りながらパレードが行われる町の広場に向かう。イラムは面白いものが見れると言っていたが、一体何が見れるんだと考えながら広場へと向かった。



 町はパレードということで活気で賑わっており、人々の騎士への感謝の言葉が飛び交っていた。

 今回ヒメリアの町で開かれるパレードは町の生誕祭と重なっており、いつものパレードよりも活気が違った。月一で行われるパレードはこの町を守ってきた騎士たちとこの町を作ってくれたグランナイトの王に感謝と祈りを捧げる日である。

 パレードの内容は騎士たちが町中を行進することから始まり、騎士たちが町の要所を回り最後には広場に集まりグランナイトの王の像に祈りを捧げる。祈りを捧げ終わると町全体を挙げて大宴会をするのだ。

 リインは二人が何かを起こすとすれば必ず人々が最後に集まる広場だと思い彼は広場で時間を潰すことにした。


「…………」


 リインはこのパレードが始まる度にいつも思っていた。この町は、この世界は平和だなと。時々他国との戦争は起きるものの、人々は毎日を笑顔で過ごし、王を信仰し、命に感謝しながら生きている。それらの行動は例え辛い過去があっても未来は希望で溢れているのだと、彼にはそう信じて生きているようにしか思えなかった。

 リインは幼いころに大事なものを戦争によって奪われた。物は当然壊され、大好きだった父親と母親、そして姉を他国の人間に殺された。それからだ。彼が強欲になったのは。最初はただ欲しいから物を欲しがっていたのではない。寂しいから物を求める。女を求めるのはただ犯したいだけではない。ただ虚しいから女に空白を埋めて欲しかったのである。だがいつしかその思いは消え、ただ己が欲するままに欲を満たし始めた。そんな毎日を送りながらも彼はこの町を離れることはなかった。生活が楽だったからかもしれない。町を出るのが面倒だったからかもしれない。だが彼には町を離れるという考えが出てきたことは一度もなかった。それ故に彼にとってこの町はある意味宝だと呼べるのかもしれない。

 今の彼は柄にもなくそんなことを考えてしまうほどに胸中が穏やかではなかった。パレードが進むにつれ胸騒ぎが大きくなる。


(……何でだ? 何でこんなに……この町のことを考えるんだ?)


 彼の抱える胸騒ぎはついに不安に変わる。だが、パレードは止まることなく進行する。そして彼は胸の中の不安を拭えぬままパレードの最後である王の像に向けての祈りまで進んだ。


「騎士帝に、敬礼!」


 騎士と共に町民らも像に向けて敬礼をする。短い時間だが像への敬礼が終わり、祈りを捧げる段階に入る。だがリインは不安を通り越して焦りを覚えていた。


(大丈夫だ……町は何ともない……何もない……何も起こらない……)


 そう自分に言い聞かせて焦りを収めようとする。だが不安は収まらない。いつしか彼は動悸により呼吸を乱すようになっていた。

 そして――


「騎士帝に祈りを」


 そう騎士が告げ、町民は像に長い時間をかけて祈る。……そのはずだった。

 突然騎士帝の像に前触れもなくヒビが入る。祈りによって目を瞑る前だったのでそれを目撃してどよめく騎士と町民たち。そしてその像は彼らの前で爆発と共に粉々となって崩れ去った。


「「「!!!??」」」

「なっ……!?」


 これには騎士や町民だけでなくリインも唖然とした。町の城に代わる象徴が、騎士帝への信仰の証が、何者かの手によって破壊されたのだ。像が壊された直後も彼らはあまりの出来事に言葉を失い、何も考えられなくなる。そんな彼らを嘲笑うかのように広場に声が響いた。


「ククク、いいな。やはりいい。その表情を見れただけでも象徴を壊した甲斐があった」


 人々はその声で我に返る。一部の騎士たちは像を破壊したであろう声の主を探すのに人員を割かれ、一部は町民たちを守るために広場に残る。捜索部隊が町中を探そうと広場を出ようとしたとき、再び声は響き渡る。


「安心しろ。俺はここにいる」


 すると像が壊れたときに生じた砂煙の中から二人の人間が現れる。その二人とはリインが前日に酒場と宿で会っていたイラムとルクシエラだった。その二人はまるで彼らが唖然としている姿を楽しんでいるかのような笑みを浮かべながら悠然と歩を進める。そしてイラムは民衆がゾッとするような冷たい声で言い放った。


「だが貴様らとは話すことなど何もない。死ね」


 その声を聞いた人々は誰もが思った。あの男は人を殺す。間違いなく人を殺す。この場にいれば自分たちは確実に殺されると。そう理解した瞬間に人々は我先にと悲鳴を上げて広場から逃げ出した。


「さぁ、命欲しさに逃げ惑うがいい! 逃げて、泣いて、喚いて、そして何も守れない自分の無力さに絶望しろ!! 俺に立ち向かうというのであればそれでもいい。だがどちらにせよお前たちの死は変わらん。なぜなら、俺はお前たちに死という名の理不尽を与えるからだ」


 彼の言葉に人々は逃げ惑う。町にいたら彼に殺される。そうなる前に町から出なければと町民たちは考え、町を出るべく出口に向かって走った。


「し、死刑だ! 騎士帝様の像を破壊し、町民たちを恐怖に陥れた二人を即刻死刑にしろ!」


 騎士たちは隊長の命令を受けて町民たちを守るために二人を殺害するべく剣を抜いて二人に襲い掛かる。だが――。


「邪魔だ。インフェルノ・シューラ」


 イラムがそう呟いた瞬間、最初に襲い掛かってきた騎士たちの真下から槍が突き出し鎧ごと彼らの体を磔にした。


「どうだ? 綺麗なものだろう?」


 磔にされ騎士たちの全身から滴る血液を浴びながらイラムはそう言った。それを広場の端で見ていたリインは思った。


(なんで……そんなものを綺麗だと言えるんだ? どうして……そんなに楽しそうなんだ?)


 イラムはリインをこちら側の人間だと言った。だがリインはそうは思わなかった。自分は違う。あんなやつらと同じなわけがない。だって俺はこんなにも胸が苦しい。こんなにも悲しい。こんなにも……あいつが憎い。




 騎士数人を槍で磔にしたイラム。彼は残っている騎士たちを一瞥する。騎士たちの中にはイラムに怯えて腰を抜かしている者もいた。だが大半の騎士は震える己を奮い立たせて騎士帝の、国の敵となるであろう男に自身の命を賭けて刃を向けた。その彼らの覚悟を感じ取ったイラムは笑みを歪ませる。


「ああ、いい目だ。それでこそ騎士だ。それでこそ国の守護者だ。そんな王に忠を尽くすお前らを俺は狂おしいほどに殺したいッ!! だが悪いな。お前らの相手は俺じゃない。シエラ。あとは頼むぞ。俺は魔力を高める」

「ええ。任せてちょうだい」


 イラムはそう言うと騎士たちに背を向けて歩き出す。それを騎士たちは逃がすつもりはないと追いかけようとするが、彼らの歩みを止めるかのように足下に斬撃が繰り出された。思わず追跡を止めた騎士たちの前にどこから出現させたのかはわからないが手に漆黒の大鎌を構えたルクシエラが立ち塞がる。そしてその少し離れた場所にはイラムが立っており、その立ち位置からまるで「彼女を抜いてみろ。できるものならな」と挑発されているように感じた騎士たちは己の誇りを賭けて彼女に勝負を挑んだ。


「うふふっ。怖いわよね? 死にたくないわよね? でも怖がらなくていいのよ。私が与えるものは快楽。もう一度死にたくなるほどの快楽痛みをあなたたちに与えてあげる」

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セイントオーダー ~堕ちた者たちによる世界滅亡~ 但野リント @kintuba9028

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