第9話 強欲との出会い

 グランナイト領のヒメリアという町に辿り着いたイラムとルクシエラ。彼らはまず食料の買い足しをしに市場へと向かっていた。その道中彼らはただ町の中を歩いているだけにも関わらず町人たちからの視線を集めていて非常に目立っていた。普通であれば片や美青年、片や美女のカップルという点で視線を集めるのだが、実際はルクシエラが視線の大半、いや全てをと言っても差し支えないほどに彼女一人で視線を集めていた。それもそのはず、彼女は自身の体から溢れ出る魅力を抑えることはできないため周りにいる人間は誰彼構わず魅了していた。よって人々は彼女の一部でしかない魅力の虜となってしまい人々は動きを止めて何もすることができず、何も考えることができずに彼女の姿を見えなくなるまで追い続けるだけだった。


「人気者だな」

「そうね。これくらい私にとっては日常茶飯事よ」

「……そうか」

「あら? 妬いてるの?」

「まさか。ただ大変だなって思っただけだ」

「別に大変でも何でもないわよ。彼らは私を見てただ動けなくなるだけだから。何かを仕掛けてくるわけでもないしね。ただ、魅了が解けたあとは大変ね。魅了が解けた人々は私を手に入れようと躍起になるから逃げるのも撒くのも大変だったわ」


 彼女はいつもの表情に影を落とした。大変だった頃を思い出したのだろう。いつの間にか彼女の表情から笑顔が消え、過去の恐怖で彼女の体は小刻みに震えていた。


「……今は俺がいるだろう」

「……え?」

「昔がどうだったのかは知らない。だが過去に怯えるのはいいが未来に怯えるのはやめておけ。未来に怯えてしまえばそこから先は地獄になるだけだ」


 イラムはそう言って口を閉ざした。直接は言わなかったが彼女への彼なりの慰めなのだろう。それを理解したルクシエラは嬉しそうに微笑みながら彼の腕に自身の腕を絡める。


「おい……」

「暗い顔をした私は見たくなかったの?」

「……そんなことはない」

「あらそうなの? でもあそこで手を握ってでもくれたら落ちてたかもしれないわよ?」

「そんなことをするつもりは毛頭ないしこれからもすることはない」

「あら残念。……でもありがとう。慰めてくれて」

「……ふん」


 イラムはそれ以降は何も言うことなくただ歩き続けた。だがルクシエラにはわかっていた。彼はありがとうと言われることは嫌いではなくむしろ嬉しがっており、彼が黙るのは単なる照れ隠しであることを。



◇◆◇



 二人は食料の買い足しを終え、町を破壊する予定である明日のために魔力の回復と温存に努めるため宿屋に向かう。宿屋に入ると宿の主人が出迎えたのだが、例のごとくルクシエラに魅了されて動けなくなったところを第三者であるイラムが声を掛けることで魅了から解放する。


「い、いらっしゃいませ。お二人様でよろしいですか?」

「ああ」

「部屋はどういたしましょう? 二人部屋をご所望ですか? それとも別部屋をご用意させていただきますか?」

「じゃあべ――」

「二人部屋でお願いします」

「二人部屋ですね。かしこまりました」

「…………」


 宿の主人が部屋の鍵を取りに向かっている隙にイラムはルクシエラを冷めた目で見つめる。彼の視線に気が付いたルクシエラはただ彼に向かって微笑むだけで何も言わなかったためイラムは彼女に対しちょっとした怒りの気配を出したが、すぐに大して怒るようなことでもないと自分を諫めて何事もなかったように振る舞うのだった。



 案内された部屋に入り、二人は明日のことについて確認を取り合う。


「明日はちょうど一か月に一度行われる騎士たちによるパレードがある。そこを狙う」

「わかったわ。そしてこの町での私たちの目的は目立つこと、よね?」

「そうだ。この町を破壊し、この領の王に俺たちの存在を知らしめる。そして俺たち二人への対策として固められたグランナイト王城の防備を正面から突破することで王に、国民に絶望を与える。それが俺の復讐のやり方だ」


 ルクシエラはただ一度の名前も出ていないが王という言葉だけで怒りを露わにする彼の過去が気になった。だがまだそれを聞く機会ではないと思い言葉を飲みこんだ。


「騎士は伝令用に一人だけでなく数人は生かしておけ。一人だけを残すよりも数人の目撃者がいればそれだけ話の信憑性が上がる」

「了解よ。確認することはそれだけかしらね」

「ああ。あとは明日に向けて魔力を温存するだけだ」

「そう」


 今後の方針を確認した二人だが、今はまだ昼前であるため明日までにはまだまだ時間があった。


「なら魔力の回復ついでに酒場にでもいきましょう?」

「断る……と本当なら言いたいところだが、魔力も温存しとかねばならん。別に行っても構わんが、酒場に行くにはまだ時間が早いだろう?」

「理由は簡単。昼はまだ人が少ないから。後は察してくれるとありがたいわ」

「……確かにそうだな。いいだろう。付き合ってやる」

「ありがと。じゃあ早速行きましょう?」


 そう言ってルクシエラは嬉しそうにイラムの腕に自身の腕を絡ませて歩き出す。イラムも彼女に引っ張られるような形で歩き出すのだが、態度では彼女を突き放すような発言をしていたりするのだが何だかんだ言いつつも彼女に付き合ってあげているところを見ると彼女に甘いのだろうと思う。それを彼女は頬を緩ませながらイラムと共に酒場へと向かった。




 二人は宿のすぐ傍にあった酒場に入る。そこは昼間であるためそこまで人は多くはなかったが、食事時ということもあってほどよい活気で溢れていた。そこへ二人の、というよりはルクシエラの登場により酒場は一度静まり返る。それは彼らの来訪を快く思わないものではなく、案の定ルクシエラの放つに魅力に魅了されたことにより動けなくなったことにより生じた静寂だった。彼らの視線を浴びながら二人は酒場の余っていたテーブル席に向かい合うように腰をかける。そしてイラムの酒場の主人を呼びかける声で彼らは我に返る。


「ここのおすすめの酒と料理を持ってこい」

「わ、わかった」


 二人は料理とお酒が来るまで何も会話をすることなくただ黙って待っていた。周りの人間は変わらずイラムとルクシエラに向けて視線を送っていたが、彼らが送る視線の対象が変わっていた。先ほどの視線の対象はルクシエラが独り占めにしていたのだが今はイラムがその視線の大半を集めていた。彼らが送るのは嫉妬や妬みによる負の感情。そして人の心を魅了して放さないほどの美貌を持った女を独り占めにしていながら彼女に目も向けない彼の態度への怒りが視線に乗せられていた。それらの視線を受けながら彼が浮かべたものは不快感による暗い表情などではなく彼らの視線を愉悦にして浮かべる笑みだった。そう、悪魔である彼にとって他人から向けられる負の感情など心地の良いものでしかないのだ。そして彼は楽しそうな笑みを歪ませながら目の前にいるルクシエラに向かって話しかけた。


「なぁシエラよ」

「なぁに?」

「この俺に向けてくる嫉妬や妬みの感情が恐怖に変わったとき、俺はどれだけの愉悦感に浸れるのだろうな?」

「ふふっ。それはとっても楽しそうだけど、今は我慢したら? 折角立てた方針が無駄になってしまうわよ?」

「そうだな。明日の楽しみのためにそれはとっておくとしよう」


 そんな悪魔にしかわからない楽しみをルクシエラと共に話しながら彼らは料理が運ばれてくるのを待っていた。すると、バァン!というドアを蹴破る音ともに一人の若い男が酒場に入ってくる。そして入ってきた男を一度見ると周りで食事をしていた者たちは一斉に顔をしかめる。周りの人間の反応を見るに男はこの町の厄介者のように思えたが自分たちには関係ないとイラムとルクシエラは男に一瞥もせず食事を待った。


「おいおっさん。酒と飯を寄越せ。今すぐだ」

「ちっ……。わかってる。少し待ってろ」


 酒場の主人は不機嫌そうな表情を浮かべながら渋々と言うかのように厨房へと引っ込んだ。席に腰をかけた男だったがすぐに店内を見渡した。自分のお眼鏡に合う女でも探していたのだろう。そして彼の目の端に映ったルクシエラの姿を見つけると彼は席から立ち上がりイラムたちのいる席に向かってくる。その様子を見た周りの人間はイラムに聞こえないような声で口々に呟いた。「あの男、女を奪られたな」と。だが二人はそんな言葉よりも男が一度も固まった様子もなく近づいてくることに軽く驚き、二人は思った。彼には素質がある。人を蹂躙し恐怖に陥れる悪魔としての素質が。そして男は二人のいるテーブル席に辿り着くと、狂気の笑みを浮かべながらイラムに向かって言った。


「おいお前。この女、俺に寄越せ」


 男の案の定とも言うべき発言にイラムとルクシエラは黙っていた。二人の目に男の姿は以前の盗賊たちと違ってしっかりと映っていたのだがただ一瞥しただけで反応を見せず、ただ黙って男の反応を待っていた。周りの人間たちは内心焦りを覚えていた。「このままでは殺傷沙汰になる。早く女を渡してしまえ」と。二人が男にほとんど反応を見せないことに苛立ちを感じた男はイラムの胸倉を掴むとを彼を無理矢理立ち上がらせる。


「無視してんじゃねえ!女を寄越せって言ってんだ!さっさと寄越せ!」


 男は沸き立つ苛立ちを抑えることなくイラムに言った。だがそれでも彼は黙っていた。すると――


「クッ……ククククク……」

「ふふ、ふふふふふ」


 笑いを堪える声が聞こえた。それは幻聴でも何でもなく、この場にいる全員が聞いていた。誰が笑っているのだと男と周りの人間は思っていたが、その笑っていた者はすぐ目の前にいた。イラムとルクシエラだ。二人は黙っていたのではなく、ただ笑いを堪えていただけで無視をしていたわけではない。ただ声を出すと笑いを堪えていることがバレそうだったので結果的に無視する形になってしまったが、ついに堪えていた笑いが漏れてしまっていた。


「何を笑っていやがる!!」


 彼は二人の様子に激昂するが、男の様子など知らないとでも言うように二人は周りの人間にも聞こえるような声で話した。


「ククッ……なぁシエラよ」

「ふふっ……なぁに?」

「本当なら俺に掴みかかっている時点で殺しているのだが、まだこいつを殺すには惜しい。少し遊んでやってもいいか?」

「ええ。それであなたの気が済むなら、私は止めないわ」


 そしてイラムは己の胸倉を掴んでいる男に向き直ると彼は言った。


「そういうわけだ。少し遊んでもらうぞ。強欲」

「何ふざけたこと言ってやがる! さっさとお――!?」

「とりあえずうるさいからまずは黙れ」


 男が言葉を言い終える前にイラムは男の顔面を掴み、自身も胸倉を掴まれた状態で男を持ち上げる。そしてただ顔を掴んでいるだけではなくイラムは男を床から足が離れるぐらいまで持ち上げた。自身よりも背の高い者を片手でそれも腕力だけで持ち上げたので男は驚く。当然男の手はイラムから離れ、自身の顔から手を放させるように暴れる。だがそれでも外れないイラムの手は更に強い力で男の顔を掴む。そしてイラムは男の顔を掴み持ち上げていた自身の手を振り下ろして男の胴体を床に叩きつけた。


「ガッ―――!?」


 男の顔からイラムの手は放れたが肺に衝撃を与えられたため呼吸が上手くできず中々立ち上がることができない。その様子を見ていたイラムは立ち上がらない彼に追撃をする素振りを見せずにこう言った。


「どうした? さっさと立ち上がれ。お前はこの程度で終わるタマではないだろう?」


 彼は男を挑発するかのように立ち上がることを要求した。男が受けた衝撃は並大抵の人間では与えることのできない衝撃だ。普通の人間ならば立ち上がれないと思うのだがイラムはそれでもこの男は立ち上がるという確信めいたものを持っていた。いや、立ち上がってもらわねば困ると思っていた。悪魔の素質があるならばこいつは立ち上がる。立ち上がれないのであれば素質がないと判断して殺そうとも考えた。だが男はイラムの希望通りに立ち上がった。そして怒りの炎を灯した目でイラムを睨みつけると懐からナイフを取り出した。


「て、めえ……ぶっ殺してやるッ!!」


 男はイラムに向けてナイフを突き出した。周りの人間は男がナイフを出したことにより悲鳴のような声を上げるが彼は先ほどとは変わらない、いや、先ほどよりも歪んだ笑みを浮かべながら男のナイフを蠅でも叩くかのように払いのける。だが男は驚く様子もなく次々とイラムを殺すためにナイフ振り回した。だがイラムは先ほどから一歩も動いていないにも関わらずナイフを全て払いのけられているため男は怒りを募らせる。そんな彼を見たイラムは声を出して笑った。


「クハハハハハッ!! そうだ! 怒れ! 憎め! そして力を求めろ! それがお前を生まれ変わらせる糧となる!」

「ガァァァァァァアアアアアアアッ!!」


 男は雄叫びを上げながらイラムに襲い掛かるが届かない。周りの人間にはまるでイラムと男の間に大きな壁が立ち塞がっているように見えた。それは男も同じように感じていたが彼は攻撃を止めない。それどころか壁を自覚する度に彼は更に怒りを募らせてその壁を抉るかのように攻撃を強める。それと同時に彼は欲した。力を。人から奪える力を。何も奪われないだけの力を。そして思い出す。自分の手元から奪われた大事な物があったことを――。

 イラムが攻撃を捌く腕を下ろした瞬間に男はイラムの胸にナイフを突き立てる。


「ハハッ!どうだッ!!」


 男はイラムの胸にナイフを突き立てたのだ。これで彼を殺せた。そう思って男はイラムの顔を見たのだが、イラムは笑みを歪めたまま倒れる様子はなかった。そして彼は言った。


「そんな刃のないナイフでどうやって俺を殺すんだ?」


 その言葉で男はナイフを見た。ナイフにはイラムの血液どころか根本から刃が折れて無くなっていた。そしてイラムが指差した方を見ると無くなっていたナイフの刃がルクシエラのいるテーブルの上に突き刺さっていた。


「さて、遊んだからには片付けをしなければならん。大丈夫だ、殺しはしない。お前にはそれだけの価値がある」


 イラムはそう言って男の額に中指を曲げた手を当てる。彼が何をするのか、それは周りの人間はおろか男にもわからなかった。


「だがッ!俺に歯向かったことは別だ! 今貴様が一番屈辱的な方法でお前を倒し、力のないまま俺に歯向かったことを後悔させてやるッ!」


 そう言って急変したイラムは力を溜め込んだ中指を親指から弾くように解き放つ。つまりはデコピン。それによって男の額に衝撃を与え、脳を揺らす。力加減はしたため男は死ぬことはないが強烈な衝撃によってしばらくは目覚めることはないだろう。

 その場にいた全員は唖然とした。この町で最も困っていて騎士たちでも手を付けられなかった暴れん坊をただの赤子でも相手をするかのように容易く撃破し何事もなかったかのように席に戻った彼に。それと同時に恐怖を覚えた。今回は乱暴者の男が標的になりイラムは男を殺すには惜しいといって気絶させるだけで留まったが、その標的がもしかしたら自分たちに向けられ、自分たちに生かす価値がなかったらと思うと震えが止まらなかった。男がこの場に現れなかったらこの酒場にいた誰かが美女を侍らせているという理由でイラムに喧嘩を売っていただろう。その点ではこの場にいた人間は白目を剥いて気絶している男に救われたと言える。そして彼らは思った。いや、直感した。イラムには逆らってはいけない。彼は悪魔だと。宗教的な意味ではなく、悪魔が実際にいるという意味ではない。ただ彼は関わってはいけないものの類だと、そう直感した。


「おい店主。さっさと料理を持ってこい。それと一つそこで寝ている男に伝言を頼みたい」

「な、なんでしょう……?」

「俺たちは宿にいる。とだけ伝えておけ」

「わ、わかりました……」

「わかったらさっさと料理を持ってこい」

「は、はいぃぃぃ!」


 店主は急いでイラムたちにお酒と料理を運んだ。イラムとルクシエラは運ばれてきた料理を普段ならば黙々と食すだけだったが、今はとても上機嫌な気分で料理とお酒を楽しんだ。

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