第7話 世界滅亡への旅

 まだ日が昇っていない時間帯に彼、イラムは起きた。彼は今まで執事として働いていたためその習慣が体に染みついていたので早く起きたのだが、商人ですらまだ数えられるほどしか活動していなかったため「少し早すぎたかな?」と思った。だがそれと同時に自分が自宅にいるという時点で彼は少し物悲しくなった。


(……やはり夢ではない。いや、夢のはずがないか)


 恋人の死、仲間の死、尊敬していた女王の殺害、そして悪魔の力といういかにも現実離れした出来事だったのだが、それは夢ではなかったため彼は物思いにふけった。


(夢であったならどんなによかったことか……)


 そんなことを考えながら体を起こす。窓から見える景色も以前までとは違って街の合間に縫って見えた巨大な城は見る影もなく、あるのはただのガラクタの山だけだった。

 だがそれは彼が自分の意思で決意してやったことなのだ。今更後悔しても遅いと開き直る。


(そうだ。今更後悔しても遅い。俺はこの悪魔の力でやつを……世界を破壊する!)


 眠ってしまったことで揺らいでしまった自分の決意を固め直し、彼は立ち上がるためにベッドに手をつく。すると彼が手をついた場所はとてもベッドとは思えないほどに柔らかいものに触れる。


「ぁん……」

(なんだ?)


 ふにょんとした柔らかい感触と共に声が聞こえてくる。その瞬間にイラムは昨日のことを思い出し嫌な汗を吹き出しながら錆びた鉄製品のような音を出しながら恐る恐るその柔らかいものに目を向ける。そこには昨日と同じように一糸纏わぬ姿のルクシエラが頬をほんのりと紅潮させていた。彼は彼女の胸に直に手を触れていたのだ。イラムは急いで彼女の胸から手を退けようとするのだが、その行動はルクシエラの手に阻まれる。そして彼女は挑発するかのような口調でイラムを誘惑する。


「まさかこんなに朝早くから求められるとは思ってなかったわ。でもあなたが望むなら、私があなたに忘れられない快感を与えてあげる」


 そう言って彼女は自身のその豊満な胸を触らせるべく彼の手を自身の胸に押し付ける。彼女の誘惑にイラムは一瞬意識が飛び理性が崩壊しかけるがギリギリのところで押し留まる。しかし理性を保つことができたからといって彼女の胸に触れ続けていればいつ理性が崩壊するかはわからない。復讐の炎を滾らせる憤怒をも魅了させる彼女の魅力的な体はそれほどまでに強力で、それほどまでに美しかった。だがそれでも何とか抜け出したいイラムだったがルクシエラはそれを許そうとしない。ならばどうするべきか逡巡した結果、彼は彼女を押し倒した。


「あら、本気?」

「ああ。俺は本気だ」

「そう。なら……来て」


 その一声が彼を獣の本能へと駆り立てるが、踏み留まった彼は彼女に何もすることなくベッドから立ち上がり、旅の準備を始めた。


「あ、あら? ちょっと。本気だったんじゃないの?」


 イラムと交わることができるのだと少しどころかかなり期待していたルクシエラは完全に油断していたため想定外の彼の行動に思わず困惑した表情を見せるほど彼女は拍子抜けする。


「そうだ。本気で俺はお前とは交わらない」


 そう宣言したイラムは私服であるマントを羽織って自宅を出て魔力の回復のための食料を買いに向かった。一人取り残されたルクシエラ相手にしてもらえなかったことでふてくされながらもどこか嬉しそうに笑みを浮かべながらもう一眠りするのだった。



◇◆◇



(……危なかった……)


 半ば逃げるようにして自宅から出たイラム。彼は表向きは彼女の誘惑から逃れることができてよかったと思っていたが、心のどこかでは彼女と共に快楽に浸りたかったと考えてしまっていた。そのため彼は自身がそんな邪念を抱いてしまったことに怒りを感じ、イライラしながら食料を求めて商店街に来ていた。

 まだ日が昇りきっていない時間帯というにも関わらず街の様子は未だに混乱しており商人たちは一応自分たちの仕事を行ってはいるものの、どこか生気が抜けているような気がしていた。


「……すまない。食料を買いたいのだが……」

「……ん……? ああ……適当に持っていってくれ……金はいらん……」

「? だが金がなければ商売はできないだろう?」

「商売なんかやってる暇なんてねえよ……城が崩れたんだぞ? 城の中には女王様や専属の使用人がいる……あんな状態の城で人が生きているはずがない……そんな状態で商売なんてやっていたら女王様に怒られちまう……」


『信仰は王のためにある』

 それが全世界に根付いている風潮であり、王にも治すことのできない不治の病。国民にとって信仰するべき王は絶対である神と同じだ。そのため国民にとって王の死は己が信仰している神の死と同義である。病死や戦死、寿命であるならば彼らもなんとか割り切ることはできただろう。だが今回の城の崩壊はノストリアの国民にとって何が起きたのかすらも理解できぬまま象徴が崩れ去ってしまったのだ。その中から希望なんて見出せるはずもなく、彼らはただ今後の国の行方に絶望するだけだった。

 イラムはそんな彼らの様子を見て思った。女王を殺して城を破壊しただけでこれほどの絶望を与えることができたのだ。ならば国民の前で王を惨殺し、国の象徴である城を破壊すればどれだけの絶望を与えることができるのだろうか。そしてそれが現実にできるほどの力がある自分に彼は震えて口元が歪んだ。「あいつの愛した国民には深い絶望をくれてやろう」彼は復讐を誓った相手にそう思いながらもらった食料を手に帰路についた。




 帰宅したイラムは帰って来たことをルクシエラに伝えないまま黙って食料をキッチンへと運びそして調理を開始する。彼は元々執事であったためそれなりに料理はできる。「執事たる者ある程度のことは一人でこなせ」と彼に執事としての生き方を教えた父親にある程度のことをできるように叩き込まれた。だがたかが執事の料理と思うかもしれないが彼の料理は王城の料理を任せられる宮廷料理人顔負けの腕前であるため、城で女王の専属になる前は執事の仕事と共に時々料理人たちの手助けをするほどだった。

 調理を終えたイラムはできた二人分の料理を自身の部屋に持っていく。部屋の中に入ると昨日の扇情的なドレスを着ていたルクシエラだが、その顔は悲しげでイラムが帰ってきていたことにすら気づいている様子はなかった。


「……おい」

「……おかえりなさい。思ってたよりも早かったのね」

「何を言っている。俺が帰ってきて30分以上は経っているぞ」

「……そう……。ごめんなさい。少しぼんやりしてたわ」


 彼女はベッドを椅子にして座り、イラムの方を見る。イラムはそんな彼女に朝食を渡しベッドに座っている彼女の隣に腰かける。


「朝食を作ってきてくれたの?」

「ああ。お前の分だ」

「ありがとう。……憤怒を司っているというのに、あなたは優しいのね」


 ルクシエラの優しいというその言葉にイラム反論する。だが怒声を浴びせるのではなく穏やかに人に語りかけるかのように話す。


「何を言っている。憤怒を司っている俺が優しいのは当たり前のことだ」

「そうなの?」

「確かに憤怒の大半は人間の憎悪などの負の感情から来るものだ。俺の大半も負の感情で構成されている。だがその根底にあるのは人を思いやる優しさ、己への慈しみだ。人を思いやるからこそ人を憎み、己を愛しているからこそ他人に怒りを覚える。俺は悪魔となって悪そのものになり怒ることが増えたが、だからと言って優しさを捨てたわけではない。優しさがあるからこそ人は何かに憤怒する。それを忘れるな」


 「あくまで持論だがな」と最後に付け加えると彼は自身の食事を進める。そんな彼を見ていたルクシエラは微笑みながら食事を取り始める。そして彼女は言った。


「じゃあもっと私に優しくしてくるとありがたいわ」

「何を言っている。俺はお前に十分優しくしている。それどころか自分では甘いと思っているのだがな」

「ならもっと甘くしてもいいのよ? それこそ私があなたから離れたくなくなるくらいに」

「ふん。それは俺が困るから却下だ」

「……ほんと、いけずな人」


 彼女はそう言うものの、先ほどの憂いを帯びた顔が嘘のように笑みを浮かべながら食事を進める。それを見たイラムもまた口角を吊り上げながら食事を進めた。



◇◆◇



 食事を終わらせた二人は旅の支度を終えてイラムの自宅を出る。人が活発に動くようになる時間帯にも関わらず街の様子は今も絶望により暗い雰囲気が漂っていた。


「この街はどうするの?」

「放っておく。城と王がいないこの街が他の国の支配下に落ちるのは時間の問題だ。この街の人間には毎日を絶望しながら生きてもらう」

「支配下に置いた国がこの街の人に優しかったら?」

「その時はその時だ。どの道俺が世界を破壊するのだから行き着く先は同じだ」


 そう言った彼の顔は頼もしさを覚えるほどに自信にありふれている表情をしていた。そんな彼を見つめながらルクシエラは彼に尋ねる。


「次はどこに行くの?」

「まずは俺の復讐に付き合ってもらう。お前の復讐はそれからだ。向かう先は――」


 彼らが行うものはただ一つ。復讐。そのためだけに彼らは世界を滅亡させる。世界を滅亡させるのはその理由だけで十分だ。そう思いながら彼らは街を出る。


「騎士帝国グランナイト。俺の故郷であり、俺が女王の前に仕えていた国だ」


 彼は街の名を口にしただけで憤怒で感情を激情で一杯にする。そして彼は今一度己の憎き相手に復讐することを誓った。


「行くぞシエラ。悪魔の復讐は誰にも止められん。そのことを憎き相手に教えてやるのだ!」

「ふふっ。ついていくわ。あなたが私の協力者である限り、どこまでも」


 彼らの復讐はもはや誰にも止められない。それが止めることのできない茨の道だと理解しているにも関わらずだ。そして彼らは踏み出す。その身を復讐で焦がすために――。

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