12月24日 PM10:38 @紺野隼人(血まみれの男)

「嘘だろおおお!」


 紺野は羽交い締めにしていた女を突き飛ばし、床に倒れ込むようにして叫んだ。


「どうして、何で、こんなことって、マジ、ええ、どうしてだよおおお!」


 もうわけがわからなかった。わけがわからないまま、二人目の命を奪ってしまった。


「嘘だろ、転んだくらいで普通死なないだろ?」


 しかし耳元で叫んでも、揺すっても、苫野は何の反応も示さない。テレビドラマでよく見る死体のように、がっくりと首を落としている。


「マジか……」


 顔を上げると、壁際に並んだ人々が、一斉に紺野から目を背ける。


「何だよ、何なんだよ、俺が何したって言うんだよ!」


 人殺し――と誰かに答えて欲しいわけでは、もちろん、ない。紺野は独り言として――もしくは、格好をつけて言うのならば、運命に問いを投げつけたのだ。


 どうして、俺は人を殺す羽目になったのか。いや、まったく記憶にはないが、二階の女生徒やらを殺したのは、自分の意志でやったことなのかもしれない。


 しかし、これは――紺野は拳で床を殴りつけた。このじじいは殺そうと思ったわけじゃない。偶然、そう、死ぬだなんて思っていなかったのだ。


 大体、俺は人を殺すだなんて凶悪な人間か? 


 記憶を失っているから何とも言えないが――けれど、何となく、本当に何となくだが、己は人畜無害な人間であるような気がする。


「……大丈夫ですか?」


 そのとき、すっと肩に手が置かれた。


「君は……」


 美しく、大きな瞳が紺野を見上げている。


 色は白く、頬は微かに紅が差している。まるで女神のようだ――ふと紺野は彼女に見惚れ――次の瞬間、その女神に自分が何をしたのかを思い出す。


「こんなこと言っても許してもらえないかも知れないけど……」


 潤んだ瞳に見つめられ、紺野の口から思わぬ言葉が漏れた。


「ひどいことをしてすまなかった。俺は、俺は……」


 その先は言葉にならない。女神の発する浄化の光に清められ、いままでのとげとげしい気持ちが消えていく。


「君だけにじゃなく……俺は、何てことをしたんだ。二人の命を奪って……謝って済むことじゃないけど、もし、許されるなら、二人に謝りたい……」


 もちろん、謝ったところで受け入れられるはずもないし、それどころか女性と苫野は死んでしまったのだ。声が届くはずもない。


「いまさらこんなことに気づいても、遅いよな……」


「いいえ、そんなことはありませんよ」


 オーラの宿ったような声で、女神が答える。


「ありがとう、そんなことを言ってくれるのは君だけだ」


 紺野は肩に置かれた手を掴む。


「ありがとう……」


「あ、あの……私じゃありませんよ」


「え?」


 振り返ると、女神が不思議そうに首をかしげた。


 たしかに、女神の声は至極普通で、オーラの欠片も感じられない。


「じゃ、誰が……」


「私です」


 壁際に並んだ人間の中から、一歩、太った女が進み出た。そして、わけがわからずにいる紺野を見下ろし、威厳たっぷりの声で言った。


「殺人を犯しながら、その被害者に謝りたい――そんな境地に至ることのできる人は多くはありません。微力ながら、私がそのお手伝いをいたしましょう」


 太った女は首に巻いていたスカーフを慣れた手つきでほどき、それを今度はヒジャーブのように――つまりイスラム教徒が頭を覆う布のように巻いた。


「あなたは……」


 紺野に手を握られたまま、女神がはっと息を呑んだ。


「あなたは、まさか……」


「ええ、そうです」


 スカーフの間から目だけ出した、太った女は鷹揚に頷いた。


「私が、マダム・フレグランスです」

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