12月24日 PM10:16 @佐野光太郎(稀代の名探偵)
念願の殺人事件は起こった。
吹雪の山荘、死体、容疑者、そして探偵、謎解きの舞台はすべて整っている。
それなのに、なぜ、どうして誰も事件の解決に協力してくれないんだ――まるで予想しない方向に向かって進んでいく事態に、内心、泣き出したいような気持ちになりながら、光太郎は額に片手を当て、もう片方の手で顎をつかんでいた。
本当なら、謎を解いているときにするために大事にとっておいたポーズだ。
けれど、この場に集まった誰もが、名探偵にその機会を与える気はないらしい。それなら、これ以上温存しておいても無駄だ。
半ばやけになり、ため息をつく。向こうでは、相変わらず血まみれの男が人質を取り、全員ぶっ殺してやると喚いている。
ぶっ殺すならぶっ殺してくれたって構わないが、それなら『そして誰もいなくなった』ばりの演出を考えてからにして欲しい。何の謎もトリックもなく、ただただ惨劇の餌食になるのだけは我慢がならない。
まったく間抜けな犯人に当たってしまったものだ。光太郎は歯がみした。
これだけの舞台が整ったのに、犯人がしくじってくれたせいで、名探偵の出る幕がない。
それならそれで、と、血まみれの男の「血まみれ」の部分に目をつむり、犯人がわからないものとして事件を調べようにも、記憶をなくしたらしい男は逆上し、こちらの言うことを聞いてくれない。
記憶をなくしているのだから、本当に彼は犯人でないのかもしれない。いや、その可能性は大いにある。
うまく嵌められ、殺人犯に仕立て上げられた男。その真偽を瞬時に見抜き、調査を開始する名探偵、佐野光太郎。果たして真犯人は――?!
うまくいけば、そんな素晴らしい探偵譚にもなり得るというのに、どうしてあの男はそんなことすら理解しようとしないのだろう。間抜けの上に、無能である。
しかし、まあ――光太郎はそこまで考えて、再び深くため息をついた。記憶喪失だって何だって、あいつが犯人なんだろうけどな。だって、血まみれだし。
現実は何とも面白くないものである。けれど、それに比べ――光太郎は隣に立つ中年夫婦をちらりと見た。
こちらの夫婦には、何か素晴らしい秘密がありそうである。
全員殺す――そんな脅しに、妻の方は怯えたように体を強張らせてはいるが、夫の方は相変わらずぼうっとどこか遠くに視線をたゆたわせ、時折、小さく口を動かしている。
俺が、殺した――
あの台詞である。
「とりあえず、全員壁際に並べ!」
ナイフ男が怒鳴り散らす。皆、お互いを伺いながら、仕方なく移動する。
「おい、じいさんもさっさとしろ!」
じいさん? 振り向くと――いままでその存在を忘れていたが、苫野オーナーがぎこちなく壁際に向かって歩いている。
「そんなとこで時間稼ぎしようったって無駄だからな!」
そう言って、男は苫野の足を軽く蹴り――
「うわああああ」
バランスを失ったらしい苫野は、これでもかというほど見事に転び、その頭をテーブルの角に打ちつけ、もんどり打って――動かなくなった。つ、とひとすじの血が、苫野の額から流れて落ちた。
瞬間、光太郎の大学院が東大だと明かしたとき以上の沈黙が食堂を包み込んだ。
因果関係が明確な死体がまた一つ、名探偵の眼前で増えたようだった。
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