12月24日 PM10:11 @三枝美夏(榎本裕太の彼女)
「ヒナ子を離しなさいよ!」
ヒナ子の白い肌に、ナイフが食い込んでいる。もう少し、もう少しよ――美夏はじり、とナイフ男に近づいた。
「おっと、動くなと言ってるだろ。お友達がどうなってもいいのか」
ええ、どうなってもいいわ。ってか、さっさとその子を殺してくれない? こっちの手間が省けるから。
――とは、胸の内の言葉である。もちろん、声に出して言うわけにはいくはずもない。
「無関係な子を、殺せるはずないわ」
健介――あんな女のために死んでしまった幼なじみを思い浮かべる。
うまくいけば、本当に目の前でヒナ子が殺されるところを見ることができるかもしれないのだ。それも、自分の手を汚すこともなく。
美夏は懸命に男を挑発した。
「できるもんなら、してみなさいよ。ほら」
「あんまり挑発するなよ!」
翔平が美夏の袖を引く。
この腰抜け男、美夏は彼をひとにらみすると、祐太をちらりと見た。
彼には美夏の意図が伝わっているのだろう、目顔で頷き、ヒナ子に声を掛ける。
「隙を見て逃げるんだぞ、わかってるな?」
そうだ、それでいい、美夏も頷く。ヒナ子が男の腕から逃れようと暴れてくれれば、殺される確率も上がるだろう。
心配と言えば、男がヒナ子の首に当てているナイフは、柔らかいチキンを切るにも苦労した代物だということだが、男も必死なのだ、そこは火事場の馬鹿力を祈るしかない。
しかし、それにしても肝心のヒナ子はと言えば、大人しく捕まったまま、少しも逃げようという素振りを見せない。
普段からおっとりしたお嬢様っぷりなのだ、もしかしたら美夏たちの言葉が耳に入らないほど、恐怖に身を強張らせているのかもしれない。
気づけば、見たことのないくらいに顔を真っ赤にしている。捕まったショックで熱でも出してしまったのだろうか。
もしそうだったら――まずい。美夏は頭を巡らせた。
人質に病人を選ぶ馬鹿はいない。なぜなら、逃げるのに足手まといになるからだ。何とかして、早く殺してもらわなければ。
それとも――。
ぱっと別の考えがひらめいた。
そもそも二階で死んでいる女は――犯人は記憶喪失でそれが誰なのか覚えていないと主張しているが――彼女は、察するにナイフ男の恋人であろう。
つまり、男が女を殺した。となると、理由なんて決まってる。痴情のもつれというやつだ。かっとなって刺したか、もしかしたら、無理心中かもしれない。
しかも、今夜はクリスマス・イブだ。ということは、この男は最後のロマンチックな演出として、この山荘で心中をしようとしたのではないか? しかし、女がそれを拒み、男は手近にあったナイフで――。
それならば、ナイフで刺すというのは、男の計画ではなかったともいえる。つまり、男の用意した手段とは――
毒だ。
ピンク色の角砂糖の入った小箱をちらりと見る。
あれをコーヒーに入れ、翔平が仕組んだ無理心中に見せかける予定だったが、これではそのプランは諦めなくてはならない。
だが、あの角砂糖に仕込んだ毒を、もしナイフ男とヒナ子に飲ませることができたら。そして、二人がどうにかして山荘から逃げてくれたら。
人質を殺して、自らも自殺した、という結末にできないだろうか。
「でも、あなた、何も覚えてないんでしょう。その……人を殺したことも」
美夏は懸命に言葉を選んだ。
「だったらちょっと落ち着いて。とりあえず、話し合いを……」
けれど、どうやってコーヒーを飲ませようか。最悪、毒入り角砂糖を口の中に突っ込めればいいのだが、どうしたらそんな機会が巡ってくるだろう。
「話し合いだと?」
しかし、ナイフ男は顔を引きつらせながら、彼女の言葉を一蹴した。
「何を話し合うんだよ? 覚えてなくったって、俺はもう、人殺しなんだろ? だったら――」
「いいえ、僕はそう決めつけていません」
何を思ったか、探偵がぐいと胸を張る。
「あなたの血だらけのシャツはもちろん、その――問題ですが、探偵はそんなことから安易に結論を導いたり――」
「うるせえよ!」
しかし、あえなく一蹴され、探偵は口を閉じる。
「いいか」
ナイフ男は血走った目でぐるりと見回した。
「人を殺しちまったんだ。顔も見られちまったし、逃げられもしねえ。つまり、俺はもう終わりだ。でも、ただでは終わらねえ」
興奮しているのだろう、息が荒い。彼はその呼吸を静めるように大きく深呼吸をすると、ひときわ大きな声で叫んだ。
「こうなったら、ここにいる全員道連れに死んでやる!」
「そんな……いやよ」
美夏は思わずつぶやいた。そして、心の中でこう付け足した。
道連れにするなら、ヒナ子だけにして!
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