12月24日 PM9:19 @佐野光太郎(稀代の名探偵)

「そして、女性を殺した犯人はこの中にいます」


 待ちに待ったこの瞬間の感動を、光太郎は目を閉じ、胸一杯に染みこませた。


 被害者は読み違えたものの、肝心の殺人事件は起こった。現場の様子を思い起こしながら、光太郎は深く深呼吸した。



 女は白いドレスの胸を朱に染め、ベッドの上に倒れていた。


 シーツの上には長い黒髪が広がり、ドラマのようなその光景が却って現実味を感じさせる。


 光太郎が死体を見るのは、初めてだった。気をつけないと、先ほど食べたばかりのディナーが食道にせり上がってこようとしている。


 しかし、歴史に名を残した探偵は数多いれど、死体を見て嘔吐した者はいただろうか。否、いない。


 ここは気張らなければ。酸っぱいそれを無理矢理飲み下し、光太郎は咳払いをした。


「殺人事件って……」


 光太郎の言葉に、真っ先に反応したのは苫野オーナーだった。顔面蒼白で、手足は震えている。


「まさか……」


 頭を抱える。大柄なほうの男が、食堂を飛び出し、すぐにとって返してくる。


「マジだ……誰かが、殺されてる」


「嘘……」


「嘘じゃない。あれは死体だった」


 大柄の言葉に、美人の――光太郎の勘では被害者であったはずだった――女性が叫び声を抑えるように口に手を当てる。


「そう、殺人事件です。女性が胸を刺されて――」


 そこまで言うと、やはり酸っぱいものがこみ上げる。そこで詳しい描写は避けることにし、光太郎は精一杯の威厳を持って言った。


「しかも、ここは吹雪に閉ざされた山荘であり、警察の到着は期待できません。それならば」


 声を張り上げる。


「この恐ろしくも残忍な殺人犯と、私たちはこの山荘に閉じ込められてしまったのでしょうか? この連続殺人犯の毒牙から逃れる術はないのでしょうか? いいえ、ご安心下さい。この私こと、名探偵、佐野光太郎が見事にこの事件の謎を解き、解決へと導いてさしあげましょう」


 熱のこもった演説に、人々は驚いたように――そしてそこには若干の敬意を込められていると彼は思っていた――光太郎を見つめている。


 この瞬間のために僕は生きていたんだ、光太郎は名探偵を目指してきたことを誇りに思った。



 そもそも、殺人の舞台にぴったりなこのひなびた山荘を見つけられたことが奇跡だった。


 しかし、見つけただけではどうしようもない。大学院での勉強の傍ら、バイトに勤しみ、金を貯めた。


 その上、天候の悪い日を見定め、山荘へ通うのは容易なことではない。しかも、そこで殺人が起こる保証はどこにもないのだ。それこそ、俺はビッグになるぜと嘯く若者が、本当にビッグになるほどの確率だ。


 しかし、それを僕は引き当てたんだ、光太郎は胸を熱くした。


 それに伴い、自分の胃という予想外の弱点も見つかったが、それは後々改善もできるだろう。いまはただ、この事件の謎に全力でぶち当たるのみ、である。


「……謎って言うけどさ」


 突然、美人ではないほうの女が無遠慮に沈黙を裂いた。


「何が謎なの?」


「え……」


「だから、何が謎なんだって聞いてるの」


 女性はつかつかと光太郎に歩み寄り、怒ったように腕組みをする。


「答えなさいよ」


「え、あの、だってそれは……」


 じり、と押される形になりながら、光太郎は女性を見返した。


 その眼差しが気に入らないのか、何なのか、女性はほとんど睨みつけるような目で光太郎を見つめる。


 そして、まるで彼女自身が神であるかのように言い放った。


「バッカみたい。どう考えても、犯人は二階から落ちてきた血まみれのあいつでしょ。あんたの頭の中、オガクズでも詰まってるわけ?」


「お、オガクズ…?」


 そんなわけないだろ、僕の頭に詰まってるのは、ポワロと同じ、灰色の脳細胞だ!


 光太郎が言い返そうとしたとき、いやに静かで通る声が、二人の間を貫いた。


「……あいつを殺したのは、俺だ……」


「え?」


 振り向くと、そこに立っていたのはさっきまでぼうっとした顔つきで話を聞いていた、いやに存在感の薄い男だった。しかし、その瞳にはいまは奇妙な光が宿っている。


 男は苦しみに充ち満ちた声を吐き出すようにもう一度繰り返そうとする。


「あいつを殺したのは……」


 いけない、いまはまだ犯人の出る幕じゃない――探偵の本能とでも言うべき部分が瞬時に働き、光太郎は大声で叫ぶ。


「ちょっと待った!」


「あなた、やめて!」


 はっと食堂が静まりかえった。


 男の言葉を遮ろうと叫んだのは、光太郎だけではなかった。


 この世の地獄でも見てきたかのような顔をした、けれどちっともやつれてはいない、ふくよかな男の妻だった。

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