12月24日 PM9:00 @佐野光太郎(稀代の名探偵)

 吹雪の夜を切り裂いて、女の悲鳴が苫野山荘に響き渡った。


「やった……!」


 その断末魔のような悲鳴を聞いた瞬間、佐野光太郎は思わず飛び上がり、弾かれたように食堂にとって返した。


 なぜなら、このときがついに訪れたのである。


 この天才であり、現代におけるシャーロック・ホームズ、大量の灰色の脳細胞を頭に詰め込んだ男、千年に一度の名探偵、難解な建物構造をぱぱっと理解しそのトリックを瞬時に見破り、それから語るも涙の過去があり、それから、それから――――


 とにかく、この吹雪の山荘という最高のシチュエーションで、やっとのこと待ちわびた殺人事件が起こったのだ。多分。



 先ほどヒナ子たちから親はどこだ、だの、家出の高校生だの言われていた彼は、彼らが想像するような人物ではなかった。


 彼は――自称ではあるが――稀代の名探偵、佐野さの光太郎こうたろうなのだ。


 小柄で童顔の彼が、高校生に見間違われるのはこれが初めてではない。


 この山荘のオーナーである苫野夫妻も、初めて光太郎がここを訪れたときには困惑を隠せなかったものだ。高校生にしか見えない彼が、一人でこんな山奥に現れたのだ。無理もないだろう。


 しかし、光太郎は大学院に通う、正真正銘の二十五歳であり、高校生などではないと知ると、しぶしぶながらに宿泊カードを差し出した。


 それ以来、彼はもう一年近く、苫野山荘に通い詰めている。もちろん、目的あってのことだ。


 そして、その目的がいま、達成されようとしている。


 つまり、この吹雪に閉じ込められた夜に行われる、血の惨劇。謎の絡んだ愛憎劇。その謎を鮮やかに解く、名探偵のための舞台。


 それも、今宵はクリスマス・イブというおまけつきだ。


 この一年、台風や吹雪、天気の悪そうな日を選び抜いて苫野山荘へ通った努力が、いまようやく報われようとしている。これが喜ばずしてどうしろというのだ。



 ガッツポーズをしたまま、光太郎は食堂の扉の前で深呼吸をし、おもむろに開いた。


 この日の宿泊客は大学生が四人に、若いカップルが一組、それからさきほどすれ違った中年夫婦のみである。


 この中で誰が一番始めに殺されるのか――


 もちろん、被害者は一人に留められればいいが、連続殺人ならばどんなにいいかという探偵ならではの希望は捨て切ることはできない――光太郎は、事件が起きる前から、最初の被害者の目星をつけていた。



 最初の被害者というものは、光太郎ほどにもなれば目星をつけるのも簡単だ。


 最初に殺されるのだから、できるだけ派手で印象深い人物が好ましい。つまり、男性よりも女性、ブスよりも美人、である。


 そのほうが物語的に引き立つだけでなく、探偵が犯人の動機を絞るのを難しくしてくれる。


 振られた恨みなどという人間関係が動機となっているか、それとも真のターゲットを殺すための序章に過ぎないのか――。



 その人物が到着した瞬間から、彼女の情報をできるだけ得ておこうと、じっと監視し続けていたのだ。


 すなわち、それは――。


 光太郎の手が、扉を開け放った。


 興奮の只中にいる彼は、天才名探偵にあるまじきことに、悲鳴が食堂とは反対方向――つまり、階段を上がった客室から響いてきたことには、まったく気づかなかったのである。

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