目を数える
寝転がって畳の目を見ているうち、日曜の昼下がりに何もしないで寝ているのが嫌になった。家族に煙たい目を向けられるのが(具体的にそれを想像してしまうのが)、嫌になった。
そういえば畳の目を数える、という言葉があったが、そいつはきちんと、一つ一つ、畳の目を本当に数えたのだろうか。一畳分の、畳の目を。
寝転がったまま、爪の先でひいふうと数えていく。腕を伸ばしきって届かなくなった頃、身を起こして数え続けようとしたが、どこまで数えたか分からなくなった。爪の先をひっかけていたのは、そこだったか、その手前だったか、どちらかなのだが、起きあがるとき、少しだけずれたかもしれない。
さて、どうしよう。
短い辺なら、数えやすい。すぐに数え終える。果たしてすべての畳がすべからく同じ目の幅で並んでいるのか、目の数が同じなのか、他の畳を数えたくなったが、まずはこの畳からだ。浮気心はいけない。
膝を突いて、長辺を数えることにする。老眼は未だのはずだが、焦点が合いづらく、顔を近づけて見る。まるで砂漠で迷子になったかのように、延々と、畳の一目ひとめが、砂の模様のように並ぶ。
そういえば祖父が使っていた虫眼鏡があったのだが。
取りに行こうとして、いやいや、そんな暇があれば、さっさと数えてしまえ、と考えを改める。徐々に飽きてきているのだが、こんなことでは有意義な日曜日を無意味に寝てそれ以外は何もせずに過ごしたことになってしまう。
ひいふうみい。
数えていくと、十も行かない間に、目がちらちらしてきた。
そういえば、子供が使っていた、水で濡らした雑巾で拭くと色が取れるという、ペンがあった。
家捜しするまでもなくテーブルにあった。木のテーブルには、子供が散々食べこぼしをしたのを拭いたせいで、色が薄くなったところが出来ている。指先で触れると、いくらかざらつく。
日曜日の日差しが窓越しにまぶしくて、急に棘が指に刺さった気がした。じっくりと指先を検分したが、何事もない。
戻って、これと決めた畳の前に座る。十二色あったので、キャップを外して、青赤黄色、と順番に一目ずつ塗り分けていった。途中、見た目に判別しづらい、肌色を除(の)けた。鼠色も色が畳の目にのりづらかったので、除外する。子供は鼠色なんて使うんだろうか。灰色がなければ白い壁の影を描くことも出来ないだろうが、幼児のうちから灰色だなんて色を覚えなくても良かろうに。肌色もそうだ。輪郭線は黒だろうし、肌は赤でも茶でも黒でも白でもかまいやしない。
思いながら、だんだんと、色の名前だけを念仏のように繰り返していく。
使った十色のうち、最後は黒にした。幕引きの色。最後の色だ。そんなことを考えるのは、何だかロマンチストみたいで、彼女に初めて声をかけたときに読んだこともない詩集を手渡して気を惹こうとしたことを思い出す。
最後まで塗りきって、虹色になった一列に満足の笑みを浮かべる。日が暮れるほどの時間が経ったと思っていたのだが、リビングの時計はまだ三時半を指していた。十分も経っていない。
黒い線の数を数える。一、二、三、
玄関先で物音が聞こえる。真っ先に娘が飛び込んでくる。手を洗おうとして最初から両手を持ち上げて歩いている。ふと気配を感じたのだろう、こちらを振り向き、ただいまの挨拶をした。
返事をしながら、何故雑巾を準備しておかなかったのか、悔やまれた。素知らぬ顔をして、立ち上がり、テーブルにあった台ふきんを掴む。犯罪者になった気持ちで、心臓が脈打つ。湿った台ふきんの感触が気持ち悪い。我慢して掴み続け、畳の縁(へり)に、そっとしゃがむ。
あぁっと、太陽でも見つけたひまわりみたいに、子供が叫んで駆けてくる。手を洗ったものの、拭いてくるのを忘れたらしい。お気に入りのワンピースが水玉に濡れ、床にも水がまき散らされたが、彼女は自分の足下の、畳の虹色に釘付けだった。
とっさに、さっき窓から虹さんが入ってきたので、足跡がついたのだと嘘をついた。散らかしたペンに、子供はめざとく気がついたようだが、虹さんがやったのだよと平然と言って、もう一人の大人が戻ってこないうちに、丁寧に畳をぬぐっておく。
うっすらとしみになった畳に、数えそびれたむなしさが漂う。子供は、背を向けて走り出すと、玄関先にいる大人に、畳に虹が落ちているよと叫びはじめる。
黙って台ふきんをテーブルに戻し、壁際に飾っていた、虹を作るプリズムのおもちゃを、カーテンレールにつり下げておいた。
一気に騒々しくなった室内に、きらきらと光が踊る。
寝転がって、畳の目を数えないで、目を閉じた。
日曜日の午後。
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