耽溺の闇
薄紅の膜がそよいでいるようだった。
瞬きし、暗がりにじっと目を凝らす。
かぶっていた布団の端が、ほの白く、こちらの世界とあちらがわとを隔てている。
へやのすみで、かけかえたばかりのカーテンがそよいでいる。瞬きすると、それにあわせたかのように、そよ、と、薄紅のカーテンが揺れる。
窓を開けたおぼえはない。
そもそも、気密性が高い、コンクリート打ちっ放しの現代家屋、というふれこみではあったが、マンションは常に、奇妙なひび割れやたわみに満ち、築年数の高さを物語っている。だからといって、窓も開けていないのに、カーテンが、そよ、と揺らぐ風があることは、なかった。ように思う。
分からない。
外出し、家に帰れば、シャワーを浴びて、瓶入りのカクテルをあけて一息つき、友人のメールを確認してから眠るだけの日々を送っている。こんなに、じっくりと、室内の様子に息をひそめている、ということは、おそらく、なかった。瞬きする。とりあえず便利だから、と引っ越しのさいに用いた段ボール箱を開いて並べ、戸棚めかした、適当な家具があるばかりだ。後ろのほうで、冷蔵庫のたてるぶううん、という音が、しきりに、せわしない野鼠の寝息のように聞こえている。
やはり、赤いカーテンに変えたのがいけなかったのだろうか。
窓際に、たぬきがいる。
三階の部屋なのに。辺りには森はないというのに。どこから出張してきたのだろう。四つ足で、フローリングをかりかりかいて、たぬきは不意に、二本足で立った。
前足は、子供が持つような、プラスティックのおもちゃの鞄をひっかけている。
見ているまえで、たぬきは、鞄を床に立てた。
爪でおすと、ボタンが鳴って、かちゃんと開く。
中からは、まるで宝石みたいな、透明な、それでいてドロップみたいなカラフルさをした、大きさもとりどりの「何か」がこぼれ落ちた。
からから、からから、
下の階の老人が、起きたかもしれない。
音が大きすぎて、首をすくめると、たぬきが、さっと振り返った。
思わず息を止めていると、まっしろい歯が、きらりと光った。たぬきは笑っているらしい。
どうしてこんなところにいるんだ。
まともなたぬきではないと踏んで、かすれた声で聞いてみた。
機密性が高いと聞いたからさ。と、茶色の毛皮を着込んだたぬきが言った。
なぐられたような、目元の、色違いの毛が、どことなく毛羽立ち、そよいでいる。
暗がりのなかできらきらと輝く、小さな石たちに目もくれず、たぬきは鞄から、ふるびた薬瓶を取り出した。
かれは、辺りを見回すと、テレビの後ろにある、室外機へと通じるための穴を見つけて、瓶を丁寧に中に埋めた。
エアコンが壊れて、買い換えるのが面倒で、部品がほしいからくれよという友人に本体をあげたまま、穴だけ取り残されていたが、今、ここでついに役に立った。
感心していると、たぬきはまた、丁寧な手つきで、こぼれ落ちた石を拾った。かたほうの手で受けて、かたほうの手で拾っていく。
拾っていくはしから、たぬきの腕が狭すぎて、落ちていく。それを、鞄の口が拾った。
何か質問しなければいけない気がして、口を開いた。
布団からカーテンを見ている姿のまま、唐突に朝日がのぼってきたことに気がつく。
たぬきの姿はなく、石のかけらも見あたらなかった。
暖かな寝床から出るには、勇気が必要だったが、そっとフローリングを踏みしめ、室外機へと通じる穴に、手を伸ばした。
手にはコンクリートのざらついた、うつろな感触だけが残った。
がっかりしながら、窓をあけると、朝焼けの太陽が、まるで地球を飲み込むように、大きく、空を埋め尽くしていた。
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