第118話 レベルアップ その7

 りんご仲間達はその後もこの樹に触り続けましたが、満足するまで快感を味わうと、1人、また1人と樹から離れていきます。最後に鈴香が名残惜しそうに離れたところで一連のイベントは終わり、アスハは改めてみんなに向かって深々と頭を下げました。


「今回はみなさんを強引な形で連れて来てしまい、申し訳ありませんでした」


「いいよぉ~。気持ち良かったしぃ~」


「終わり良ければ全て良しっス」


「最初はびっくりしたけど、悪意がないなら別に……」


 鈴香もルルもセリナも謝られた事ですっかり毒気を抜かれ、アスハの行為を許します。アリスに至ってはこんな仕打ちを受けたのも関わらず、そうしてしまった事情を考え、逆に彼女を気遣う始末。


「もし何か困っていたなら遠慮なく話してくだサイネ」


「あ、有難う、皆さん」


 こうしてみんなの暖かい声に包まれ、アスハはもう一度深々と頭を下げました。問題が解決したところで、泰葉は自分の両手を見つめながらポツリとつぶやきます。


「でもこれ本当に能力がパワーアップするの?全然実感沸かないんだけど」


「そうそれ、まさか今になって冗談だったとか、ないよね?」


 同じ事を感じていたゆみもすぐに言葉を続けました。この2人の疑問に対し、アスハは腕を後手に組んでいたずらっぽく笑います。


「それは次に皆さんが力を使った時に実感出来るはずです」


 何となくここでも勿体つけてうまくごまかされた感じになったのですが、その仕草が可愛かったので泰葉とゆみは顔を見合わせクスクスと笑い始めました。

 2人が笑い終わったところで、残る問題は後ひとつです。笑い終わって気持ちがスッキリした泰葉はすぐにこの問題の解決に動きました。


「で、もうこれで用事は済んだ訳でしょ?どうやって元に……」


 そう、その問題とはこの楽園からどうやって教室に戻るかです。彼女が本題に入ろうとしたその瞬間でした、突然周りの景色がフェードアウトしていきます。みんながこの突然の変化に戸惑い始めるとすぐにまた景色が明るくなりました。それはほんの瞬きの間の出来事です。


「あれ?」


「いつの間にか戻ってる?」


 この一瞬の間の環境の変化に泰葉とゆみは思わず言葉を漏らしてしまいました。そう、りんご仲間達はまた教室に戻って来ていたのです。転移前に止まっていたはずの時間も普通に流れていました。きっとアスハが全ての状態を元に戻したのでしょう。

 まだ教室に残っていた数人のりんご仲間以外の生徒達も全く違和感に気付いていません。その事からも楽園へ転移していた時間が現実時間ではほんの一瞬でしかなかった事が伺われました。


 この時、りんご仲間達はそれぞれが現実世界に戻って来れた事を受け止めるのに精一杯でしたが、その中でアリスだけがもうひとつの違和感に気付きます。


「アスハちゃん、消えちゃいまシタ……」


「ええっ……?」


 そう、みんなを楽園に導いた魔界の少女、アスハの姿がどこにもなかったのです。きっとみんなを現実世界に戻した後に魔界に帰っていったのでしょう。

 教室内を見渡してアリスの言葉の正しさを確認した泰葉は、アスハに別れの挨拶が出来なかった事を少し残念に思います。


 現実世界に戻った事をりんご仲間達がしっかり受け入れる中、よっぽど楽園での体験が気に入っていたのか、鈴香がいきなり残念そうな顔で嘆き始めました。


「もっとあの場所にいたかったぁ~」


「鈴香、落ち着こう、ねっ」


 大声を上げる彼女をゆみがなだめます。突然騒ぎ始めたクラスメイトに周りの生徒達も一瞬注目するものの、その声の主が鈴香だと分かるとすぐに騒ぎは収まりました。彼女の自由さをクラスメイトは全員知っていますからね。

 6人の中で唯一部活から抜け出していたルルは、ここでみんなに元気よく声をかけました。


「じゃあ、私は部室に戻るっス!」


「うん、ルル、またね」


 こうしてルルが教室を出ていって、アスハがやってくる前の状態に戻ります。何もかも元通りになって、セリナは教室にかけてある時計を眺めました。

 あれだけ色々あったと言うのに、現実時間ではほとんど時間は過ぎていません。この状況に思わず彼女はつぶやきます。


「何だか狐につままれたみたい」


「アスハは元蛇だけどね」


 セリナの言葉に泰葉は軽く突っ込みます。蛇の苦手なセリナはこの言葉にぎこちなく笑いました。それから5人はしばらく雑談を楽しんで、それから解散します。のんびりと帰り道を歩きながら泰葉がこれから力を使う時の事をぼんやりと考えていると、夕暮れの空をカラスが横切っていきました。

 何かが起こってしまうのが怖かった彼女は、その鳴き声を耳をふさいで聞こえないようにしてその場をやり過ごします。


 そうしてしばらくは何事も起こる事もなく、穏やかで退屈な変わらない日々が繰り返されていくのでした。

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