第47話 鈴香の場合 後編

 暮れなずむ空を見てそろそろちゃんと帰らないとやばいと感じたゆみは普段は通らない細くて暗い裏道を進み始めます。急に彼女が近道の方向に進路を変えて歩き始めたので、鈴香は焦って彼女の後に付いていきます。


 ある程度彼女が早歩きで追いつこうと急いでいた所、先を進んでいたはずのゆみは何故か道の途中で立ち止まっていました。止まっていた彼女の背中に鈴香がぶつかって彼女がぶつかった鼻を痛そうに擦っていると、まるでそれを合図にしたみたいに前方の景色を見ていたゆみが口を開きます。


「やば!」


「どうしたの~?」


「ヤバイのがいるんだよ、まさか今日が集会の日だったなんて迂闊だった」


 警戒するゆみの言葉を聞いてひょいと背中越しに鈴香がその景色を眺めると、そこには怖そーなおにーさんが何人もたむろしていました。そう、この裏道は近道であると同時に、怖い人達のたまり場でもあったのです。


 流石に毎日そんな人がいたのならゆみだって最初からこの道を選ぼうなんて思うはずがありません。怖い人が集まる日は決まっていて、その日さえ避ければこの道は暗くてちょっと狭いだけのただの安全な裏道でしかないのです。ゆみは怖い人が集まる日を把握しているはずでした。


 けれど今日に限ってその日を忘れてしまっていたのです。この怖い人達、実際に怖いのかどうかは今まで接触していないので本当のところは分かりません。

 ただ、見た目や態度が怖いので常識で考えてこの人達と関わっては駄目だと誰もが思っていたのでした。


「大丈夫だよぉ~」


「ちょ、鈴香!」


 厄介な相手を目にしてしまってこのまま進もうか戻ろうか躊躇しているゆみに対して、鈴香は全く普段と変わらないテンションで歩いてでいきます。危険を感じたゆみは彼女を止めるものの、お構いなしに鈴香は彼らの前に進んでいきます。


 普通に考えて、怖いおにーさん達が集まっている中を女子高生がそのまま突っ切るように進んで行こうとしてもまず止められるのがオチです。当然のように鈴香に気付いたおにーさんのひとりが彼女に因縁をつけるように声をかけてきました。


「なんだお前は?」


「すみませぇ~ん、通りたいんでどいてくれますかぁ~」


「ちょ、鈴香……」


 相手がどんな人物でも変わらないそのテンションで鈴香は怖いおにーさんにお願いをします。その様子をハラハラしながら見ていたゆみはこの彼女の言動にツッコミを入れます。それでも鈴香はおにーさんに声をかけるのを止めませんでした。


「お願い出来ますかぁ~?」


「うぉ……てめえら、どくぞ、急げ!」


「有難うございますぅ~」


 彼女にお願いをされた強面のおにーさん達はすぐにその願いを聞き入れ、道を開けてくれました。そうです、これこそが鈴香のリンゴ能力なのです。

 彼女はどいてくれたおにーさん達にお礼を言うと開けてくれたスペースをゆみの手を握って歩いていきます。鈴香のお陰で2人は無事に裏道を通り抜ける事が出来ました。


「全く、やっぱあんたはすごいよ」


「てへへ~」


 ゆみに褒められた鈴香は照れくさそうに笑います。その笑顔は夕日に照らせれて赤く染まっていました。


 その後も鈴香はその場で目にした人に様々なお願いをしていきます。主に迷惑行為をする人に対してなのですが、彼女に言葉をかけられた人はまるで別人のように素直になってすぐにその行為を改めるのでした。


「あ、歩きタバコはやめてください~」


「お、ごめん、悪かったね」


「コンビニに家庭のゴミはいけませ~ん」


「ああっ、そうだね、家に持って帰るよ」


 そうやって鈴香がプチ世直しをしながら歩いていると家の近くの公園で喧嘩をしている子供達を発見します。当然、この喧嘩を止めようと彼女は動きます。ぱっと見ではこの喧嘩、誰が悪いのか分かりませんでした。


 普通ならここで誰が悪いのか見極め、悪い方に改めるように声をかけるものですが、流石鈴香は違います。まず彼女は子供達の前まで進むと、にっこりと笑いながら全員に向かってたった一言だけ声をかけます。


「公園ではみんな仲良くねぇ~」


 この一言だけでいいのです。声をかけられた子供達はみんな素直になって、いじめていたらしきちょっと生意気そうな子が態度を豹変させ、いきなりみんなを前に宣言します。


「そうだよ、仲良くしよう」


「え、えええ~?」


 この変わり具合にはいじめられていた方がびっくりします。それから子供達は見事に仲直りをして、また楽しく遊び始めました。この鈴香の言葉の能力は一日続くので子供達は今日一日楽しい思い出だけを紡ぐ事でしょう。


 2人が道を歩いていると、人気の洋菓子のお店に行列が出来ていました。そこで何かトラブルがあったらしく、列の途中で大声が聞こえて来ます。その声に導かれるように鈴香はトラブルの渦中の人達の所に歩いて行きました。


「あれ、なんだろ~?」


「ちょ、鈴香?!」


 この行動に驚いたゆみが焦って追いかけると、トラブルはどうやら行列に割り込もうとした人とずっと列に並んでいた人とが言い争いをしているみたいでした。その様子を見た鈴香はニコニコと笑って感じた事を素直に口に出します。


「割り込みはダメですよぉ~」


「そうね、後ろに並ぶわ」


 彼女の一言を聞いて、割り込もうとしていたおばさんは自分の行動を即座に反省し、進んで列の最後尾に向かって歩いていきました。こうしてトラブルは無事に解決し、2人はまた改めて帰り道を歩きます。


「私さあ、鈴香の能力が鈴香で良かったと思うよ」


「えぇ~どう言う事ぉ~?」


「その能力って簡単に悪用出来ちゃうじゃない。鈴香はでもそれを全然しないもの」


「てへへ~。褒めても何も出ないよぉ~」


 ゆみに褒められた鈴香はいつもよりいっそう顔を高揚させながら照れ笑いをしました。


「別に何もいらないって」


「だからゆみちゃんって好きぃ~」


 褒められて気持ちが高まった彼女はゆみに抱きつこうとします。そこまでの濃厚なふれあいは求めていない彼女はこの鈴香の攻撃をかわしました。それでも腕は掴まれてしっかり密着はされてしまいます。この行為にゆみは恥ずかしくなって何とか鈴香を引き剥がそうとするのでした。


「ちょ、くっつかないでよも~」


「いつも有難うねぇ~」


「全く、憎めないなぁ」


 ニコニコと笑って自分を慕ってくれる鈴香を見ていたゆみはこれくらいのスキンシップは別にどうだって良くなっていました。一方的に彼女にくっつかれたままの状態はしばらく続き、分かれ道でサヨナラする時には鈴香は泣きそうにすらなっていた程でした。


 家に辿り着いた鈴香は、帰って早々母親に声をかけられます。


「鈴香、今日はちゃんとしてたの?」


「ちゃんとしてたよぉ~。授業もバッチリィ~」


 母親は彼女を心配して話しかけたのですが、鈴香がその気持ちに気付いているかどうかは分かりません。今日一日ちゃんと過ごしたと言う娘の言葉が少し信用出来なかった母親は一計を案じ、カマをかけてみる事にします。


「バッチリ寝てた?」


「嘘ぉ~?何で分かったのぉ~?」


 根が素直で単純な鈴香は母親の言葉にも素直に反応してしまいます。やっぱり想像通りだったと落胆した母親は小さく息を吐き出すと、彼女に対して人生の先輩としてのアドバイスをします。


「はぁ……授業態度のマイナス分はテストでしっかり点を取ればいいから、しっかり勉強するのよ」


「はぁ~い、お母様ぁ~」


 ニコニコと愛想よく笑う愛娘の姿を見ていた母親は、もうそれ以上この事を追求する気をなくしてしまいます。これで話は終わったものと感じた鈴香は荷物を下ろそうと自分の部屋に向かって歩き始めます。

 娘の後ろ姿を見送っていた母親は突然何かを思い出したように彼女の背中越しに声をかけました。


「……それと!」


「なにぃ~?」


 不意に声をかけられた鈴香はゆっくりと振り返ります。母娘で向き合う形となり、その場に微妙な緊張感が漂いました。タイミングを見計らった母親は意を決して彼女に向かって忠告します。


「朝はちゃんと起きる事!」


「了解です~」


 この忠告に対し、鈴香はいつものように少し間の抜けたゆるい返事を返しました。勿論それがお約束の反応で、明日もまたしつこく起こさないと起きない事は母親自身がよく知っています。それでも声をかけてしまうのは、もはやこのやり取りが帰宅時の儀式的なものになっていたからなのかも知れません。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る