鈴香の場合
第46話 鈴香の場合 前編
午前7時30分、鈴木家の朝は鈴香を起こす声から始まります。5分毎に彼女の部屋に向かって母親の声が鳴り響くのですが、何度呼ばれても彼女は起き上がる事が出来ません。鈴香も朝になったのは分かっているのです。ただ、それ以上の行動が取れないだけで。
「ふええ~」
「鈴香、起きなさい!」
我慢の臨界点を超えた母親はついに部屋のドアを開け直接彼女を起こしに来ました。この時点で時間は7時55分。全ての準備を速攻で済ませても遅刻にならずに済むかどうかのギリギリの時間です。そんな切羽詰まった状態でさえ鈴香は全く緊張感の欠片もありませんでした。
どうしても起きたくない彼女は母親にとんでもない事を言い出します。
「今日はもう休む~」
「何言ってるの!別に病気じゃないでしょ!」
オオカミ少年が最後に信用されくなったように、鈴香のこの言葉も母親は全く信用していませんでした。それもそのはずです。何故なら彼女は毎朝母親にそう言っていたのですから。怒られた鈴香は負けじと更に言葉を続けました。
「今から風邪ひいたよおぉ~!」
「そんな都合のいい話はないの!起きなさい!」
「ふえええ~」
これ以上の交渉は不可能と判断した母親によって布団を剥ぎ取られ、彼女は強制的に起こされます。それから無駄のない朝の作業を母親に手伝ってもらいながら完遂し、彼女は学校へと送り出されます。それが毎朝変わらない鈴木家の朝の風景でした。
「でね~、結局休めなかったのぉ~」
「そりゃそうだよ、お母さんが正しいよ」
遅刻ギリギリで教室についた鈴香は今朝の母親の仕打ちを仲良しのゆみに愚痴ります。
しかしその話の賛同を期待していた彼女は見事に裏切られる結果になりました。ゆみの言葉に不満を覚えた鈴香は諦めずに言葉を続けます。
「正しくても私は休みたかったんだよぉ~」
「どうして起きられなかったの?夜更かしでもした?」
「え~?夜の10時には寝たよぉ~」
このゆみの質問に鈴香は口を尖らせながら答えます。夜の10時だなんて今時中学生だってもっと夜更かししています。彼女の答えを聞いたゆみは信じられないと言った態度で口を開きます。
「早っ!一体一日に何時間眠るつもりよ!鈴香授業中も眠そうにしてるじゃない」
「そんな事言われたってぇ~」
鈴香はそう言うと腕を伸ばして机に倒れ込みました。そんな彼女の仕草を見たゆみは右手で自分の額を抑えながらため息を吐き出します。
「まあそれが鈴香らしいっちゃ鈴香らしいけどね」
「でしょお~」
その後も2人が他愛のない雑談を続けているとその会話の中にアリスが割り込んで来ます。彼女はどうやら鈴香に話があるようでした。
「あの、鈴香さんの能力ってどんなものでしタッケ?」
「アレ?アリスは知らなかった?鈴香はどんな人にも言う事を聞かせる事が出来るんだよ」
いつも会話がワンテンポ遅れる彼女の代わりにゆみがその能力の説明をアリスにします。この説明を聞いたアリスはほうと感心しました。このやり取りに不満を覚えたのが当の鈴香です。彼女は突っ伏した状態から勢い良くガバッと上半身を起こすと早速ゆみに抗議します。
「えええ~。その言い方じゃ私悪者みたいじゃない~」
「でも間違ってはいないでしょ?」
鈴香の必死の抗議に対してゆみはケロッと返事を返します。悪気がない為、彼女の言葉はゆみの耳には全く届きません。こうなったら自分がちゃんと説明するしかないと考えた鈴香はアリスの腕を掴んで揺らしながら必死に弁明します。
「違うのぉ~アリスちゃん聞いてぇ~」
「は、ハイ……」
この勢いに驚いたアリスは動揺しながら彼女の言葉を聞き入れる事を了承します。鈴香はこほんと小さく咳払いをすると自信たっぷりに喋り始めました。
「私の能力はねぇ~みんなが私のお願いを聞いてくれるって言うものなんだよぉ~」
「そ、そうデスカ……」
正直言ってゆみの説明と鈴香の説明は全く同じもののようにしかアリスには聞こえません。なので得意気に話す彼女の言葉にアリスは苦笑いをして誤魔化すしか出来ないのでした。
「ね?言ってる事同じでしょ?」
「あ、アハハ……」
このゆみの言葉にも、どう言う反応していいのか分からずにアリスは苦笑いを続けます。そんな微妙な空気の流れる中でクラスメイトの井出のぞみがやって来て、そのまま自然にこの輪の中に入り込んで鈴香に声をかけてきました。
「ねぇ鈴香、お願いしていたアレ、出来た?」
「あ、のぞみちゃん、出来てるよぉ~」
のぞみに催促された鈴香は早速カバンからその御指名の品物を彼女に差し出します。それは可愛いくまのぬいぐるみでした。一瞬既存の物のようにも見えましたが、所々にオリジナル要素が見られ、何よりどこにもタグが付いていません。つまり明らかにそれは手作りのぬいぐるみでした。
「わあ!かわいい!有難う」
ぬいぐるみを受け取ったのぞみはほくほくとした顔でそれを胸に抱きしめながら3人の輪の中から遠ざかっていきます。その様子をアリスは不思議な物を見る目で眺めていました。
「あれハ?」
「鈴香の趣味。ああ見えてぬいぐるみ作りが得意なんだ」
「へえ、そうなんデスネ」
ゆんから鈴香の意外な趣味を説明されてアリスは感心します。当の鈴香はのぞみにぬいぐるみを渡した後、また電池切れになって勢い良く机に突っ伏しました。
「ぷしゅ~」
「ああっ!もうっ!」
お約束のように脱力する彼女にゆみは大声を上げます。
しかしそのやり取りもお馴染みのものになっていた為、鈴香の耳には届かず彼女は惰眠を貪り続けるのでした。一連の興味深く眺めていたアリスは2人の関係に興味を抱き、ゆみの方に顔を向けながら口を開きます。
「ゆみさんは鈴香さんと昔からの知り合いなんデスカ?」
「まぁ、幼い頃から知ってるからね。泰葉と私と鈴香は小学生時代からの仲なんだ」
この答えに呼ばれなかった名前があると気付いたアリスは更に質問を続けます。
「あれ?セリナさんハ?」
「彼女は中学の時に友達になったんだ。知り合ってからはみんな仲良しだよ。高校に入ってアリスとも仲良くなれて良かった」
この話の流れで自分の名前が出てくるなんて思っていなかったアリスはゆみの口から自分の名前が語られて思わず照れてしまいます。
「えぇと……有難うゴザイマス」
それから時間はあっと言う間に過ぎて放課後になりました。放課後になるまでの間にも鈴香は寝たり起きたりを繰り返していました。そんな彼女の生態はクラス全体、いや、学年全体に広がっていたので敢えてきつく注意する先生も生徒もいませんでした。
けれどそれは鈴香のリンゴ能力でそうなったのではありません。彼女は元々許される性分を産まれつき持っていたのです。
「むにゃむにゃ~もう食べられないよぉ~」
「ほら、起きて!もう放課後だよ!」
机の突っ伏してよだれを垂らしながら気持ち良さそうに夢を見ている鈴香を腐れ縁のゆみが起こします。授業間の休み時間に起こしてもすぐに起きない彼女ですが、放課後に起こされる場合はいつも速攻で目を覚まします。どう言う仕組みかは分かりませんが、彼女はそう言う子なんです。
「ふにゃ?いつの間に?」
「ほら、帰るよ!」
ゆみに急かされて2人は学校を後にします。いつもならここにセリナや泰葉も加わる事も多いのですが、今日は2人とは都合がつかなかった為、鈴香とゆみの2人で下校する事になりました。
「いつもすまないにゃ~」
「それは言いっこなしだよ、お前さん」
お約束の小芝居を演じつつ、2人は会話を楽しみながら帰ります。帰りにお店に寄ってお菓子を買ったり、買ったお菓子を公園で食べたりと人数が2人な分、その時間を自由に使ってのんびりとこの帰宅時間を謳歌します。気が付くとお日様は沈み始め、西の空を赤く染め始めていました。
「いい夕暮れだねぇ~」
「遅くなったし、近道しよう」
「ああっ、置いてかないでよぉ~」
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