第18話 絶景・ガキ使・年明け

 オクヒダのホテルに着いたのは、予定より少し早目の午後三時三十分を少し回った頃だった。アキはロビーで旅行会社の女性からルームキーを受け取ると、勝手が分からずその場にたむろする同じツアー客を尻目に、二人を連れてすぐにエレベータに乗り込んだ。最上階の七階の部屋だった。


「広いねー」

 サラはそう言いながら、部屋の奥に冷蔵庫を見つけると、直前のドライブインで買い込んだ缶ビールやペットボトルのお茶をそこにしまい始めた。

 アキは荷物を部屋の隅に下ろすと、ボクをバッグの中から出してくれた。それを見たカイも、同じように耳の黒いビーグルを青いスポーツバッグの中から出していた。

 部屋は暖房がかなり効いていて、バスの床下部屋とは雲泥の差だ。ところが、そこには覚えのある涼しい匂いが心地よく広がっていた。これは夏の、あのゴザと同じ匂いだ。

 アキはボクの望みを察していたのか、そのまま窓際のソファに座らせてくれた。障子を隔てたそこの空間は、窓から伝わる冬の薄日と凝縮された冷気のせいで、疲れたからだに英気を吹き込んでくれるような澄明さをもってボクを迎えてくれた。

 アキとカイは浴衣に着替えると、「それじゃ、お先に」と言って、タオルや下着を手に部屋を出て行った。部屋にひとり残ったサラは、車中でトイレが近くなるのを嫌って我慢していた缶ビールをおいしそうに二本飲み干した。それから二人と同じように支度をして部屋を出て行った。


 窓のずっと下には真っ白な岩場があってカラマツの細い枝が所々に黒くつんとしている。そしてその合間から、凍らんばかりの水の流れが辛うじて顔を出す。ふわふわの綿のような雪がはらはらとゆっくり降りて行く。黒い枝を白くするものもあれば、岩場の白いのに重なるものもある。川面にたどり着いて消えてなくなるものもある。それなのに、遠くの空は透明に澄みきって高くどこまでも連なる大きな岩の輪郭を黒くはっきり見せてくれる。右端の方に遠慮がちに浮かぶ雲はその半身を薄ら紅色に染めている。何てことだろう。ボクは一つの場所に居ながらにして二つの景色を眺めている。不思議な気分だ。こんなにも有り難い場面にめぐり合えてボクは幸せな気持ちだ。一生忘れないよ、アキ。――いや、生まれ変わってもきっと。


 アキとカイが風呂から戻って来た。アキは、ボクが窓の景色に見とれているのに気づくと、濡れたタオルをソファの側に干すが早いか、携帯電話を片手に窓を開けた。何とかこの有り難い景色を写真に収めようと、端末を上に向けたり下に向けたり、縦にしたり横にしたり、挙句の果てにはベランダの手すりから身を乗り出してみたり、――まだ湯に浸かっているサラがもしもこの場に居たら、「寒いから早く閉めて!」なんて、たちまちどやされるのだろうな。それはそうと、アキ。いくらアキだって、二つの景色を一枚の写真に収めることはできないよ。……


 夕食後は、三人が大晦日にいつも観るテレビ番組で盛り上がった。

 この番組では笑ってはいけないらしい。笑った出演者は罰として尻を黒い棒で思い切り叩かれる。笑うなと言う方が無茶な、お腹の筋肉がよじれるような仕掛けが次々と出演者達を襲う。日常的な設定の中での、この非常識極まりない仕掛けが愉快なのはもちろん、出演者達が吹き出す笑いを押し戻そうとする苦悶の表情がそれ以上に愉快でたまらない。こらえきれずに吹き出してしまった者が、その直後に叩かれた尻を両手で押さえて海老反りする姿も観ていて笑いが止まらない。――こんな調子で番組は何時間も続くようだ。

 そのうちサラは年を越す前に睡魔に負けてしまった。アキとカイは一頻り笑い倒した後、気がついた時には年が明けていた。


「明けましておめでとう」

 アキはカイに声をかけた。


「ああ……」

 年が変わってもやはりカイだ。その横ではサラが鼻孔を鳴らしている。


 ――アケマシテオメデトウ!(つづく)

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