第16話 未熟者

 ところで、サラとカイの楽しみはここでも食べることだ。二人にとって、タカヤマという古い町並みの風情より、そこでの食べ歩きがこの旅行の目的だ。殊に、ヒダ牛という日本固有の種類の食用牛を塩と胡椒で串焼きにしたのが絶品らしい。もちろんボクは串焼きに興味はない。以前、写真で見たことのある、深く、真っ白な雪景色を楽しみにしている。それから、アキがよく口にする、ヒダ川という川も見てみたい。崖のような岩場に挟まれた深い溝へ押し出されるようにして水しぶきを上げるこの川の流れに、自然の力強さを怖いくらい感じるらしい。何でも、アキは十歳の頃、夏の家族旅行でバスの中から見下ろしたこの川の様子が今でも鮮明に頭の中にあるようだ。当時、学校の図画工作の授業で、夏休みの体験を課題に出されると、彼は十分足らずの時間でこの激流の水彩画を仕上げたのだそうだ。


 そんなアキはもちろん、とても絵が上手だ。大きな声では言えないが、これまでカイの学校の宿題を彼が代わりに描いてあげていた。カイに絵など描かせていたら、いつまで経っても終わりやしないから、進学塾の宿題どころではなくなってしまう。小学校の絵の宿題を片付けるのは専らアキの役目だった。

 ところが、彼の作品はあまりに素晴らし過ぎて、とても小学生が描いたものとは思われない。三、四年生の頃のカイは、それをまるで自分で描いたかのように得意になって学校に持って行った。けれども、五年生から六年生の頃には、きまって彼をひどく不安にさせた。周りの友達の中にも同じように家族に手伝ってもらう子がいて、先生や他の友達に疑いをかけられているのを横で見ていたからだ。実際にカイも、クラスの皆の前でではないものの、担任の先生に疑いの眼差しを向けられたことがあったようだ。そんなわけで、サラは、夜遅くまで筆を握っていたアキが翌朝起きて来ないうちに、彼の作品に筆を入れてしまう。――もったいないな。

 しかしそれでも、この家の主役のわがままな不安は完全には解消されない。だったら、自分で描いたらいいのに、サラも「アキにお願いしたらいいよ」などと、カイをけしかけなければよかったのに――ボクは今にしてそう思う。

 ある時、自分の作品に落書きのようなサラの筆が入っているのを知ったアキは悲しそうだった。でも何も言わなかった。心の中では「もう描かないよ……」と、言葉をもらしていたのかもしれない。しかし彼は、その後も頼まれれば黙々と筆を運んでいた。真面目なアキには気の毒な話だ。その頃の彼は、こんなもの、たかが子供の学校の宿題じゃないか――そんなふうに割り切ることを閃かなかったのだろう。上手く下手な絵が描けるようにひたすら努力したんだ。(つづく)

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