第10話 一難去って……

 今年の夏は、テレビに出ていたポロシャツ姿のキャスターの話によれば、記録的な猛暑だったそうだ。熱帯夜というのが一ヶ月近くも続いた。でも、アキはボクの期待を裏切らなかった。あの時の言葉どおり、毎晩ボクと一緒に寝てくれた。寝室ではなくリビングで、二人きりで。

 夜十時にもなれば、サラとカイは寝室に下りて行く。その後、アキはリビングのウール・カーペットの上に「ゴザ」を敷いて寝かせてくれた。ゴザがあんなに涼しいものとは知らなかった。「イグサ」っていうらしい、あの植物の匂いが心地いい。ゴザの上に大の字になると、格別な開放感と爽快感とを満喫できる。アキは、すぐにはゴザに転がらず、冬はコタツだった足の短いテーブルに腰を下ろして、小さな蛍光灯を頼りに、カイが寝室に行く前に託していったプリントやワークブックに取り組む。カラーボールペンで赤や青の○、×や、文字を書き込んだり、PCをカチャカチャやっていたかと思うと、それを紙が出てくる黒い機械の所に持って行ったり。それが済むと灯りを消してボクをお腹の上に乗せて眠った。

 すっかりゴザの虜になったボクは、昼間もゴザを敷いてくれ、とねだってみたが、叶わなかった。――来年の夏が待ち遠しい。


 カイは、夏休み明けのテストでクラス一の成績を取った。アキは、「まあ、これが普通だよ」とサラにはあっさり言っていたけれど、カイと約束していたとおり、ご褒美として最新の携帯用ゲーム機をプレゼントしてあげた。カイは本当に幸せ者だ。もちろん彼も夏休み中、心を入れ替えて努力していたし、今ではアキとサラが新たに探した英語教室にも通うようになった。でも、ボクが知っている限り、彼は欲しいと言った物は何でもすぐに買ってもらっている。学校の友達は、何とかお小遣いを貯めて欲しい物を手に入れているようだけれど、カイの場合、お小遣いは手付かずだ。今回のゲーム機だって、カイが普段から真面目に勉強していれば、アキはテストの結果とは関係なしに――内心、ゲームを好むと好まざると、買い与えていたに違いない。

 アキは、よくサラに言う。「カイは恵まれているよな」

 ところが、サラもアキも、カイの成績がまともになってもう大丈夫、そう思って安心していられたのはほんの一、二ヶ月の間だけだった。もっとも、成績が下がってしまったわけではないようだ。


  冷たい雨の土曜日、普段ならリビングで洗濯物の乾き具合を気にし始めるところ、その日のアキは少し寒気がしているようで、ボクは、寝室のベッドで彼の背中に抱きついていた。すると、電話が鳴った。

  彼は、億劫そうに起き上がって、着信番号を確認すると、珍しく受話器を取った。

「はい、クラノです……」


 アキは相槌を打つばかりで話の内容はよく分からない。でも、良い知らせではなさそうだ。


「……分かりました。四時頃にはお伺いできると思います」


 アキはそう言って静かに受話器を置くと、辛そうに着替えを始めた。気のせいか、さっきより顔色が悪い。毎朝会社に出かける時と同じような服装――ダークカラーのスーツに白いシャツ、落ち着いたレジメンタル・タイで、車のキーを手にしていた。

 具合が悪いのに大丈夫かな? 気を付けなよ、アキ。


 それから三時間くらいしてアキはカイと一緒に帰って来た。カイはいつになく神妙な顔をしている。彼は急いで英語教室に行く準備をすると、アキと一緒にまた外へ出て行った。

 ほどなく、車を停める音がしてアキが一人で家に入って来た。彼は隣の部屋で着替え、寝室に来てベッドの上のパジャマを手に取ると、二階へ上がって行った。あんなに顔色の悪いアキを見るのは初めてだ。その後、しばらく聞こえていたシャワーの音が止まり、彼は寝室に戻って来るが早いか、ベッドにもぐり込んだ。カイやサラが帰って来るまでの間、身体を休めるのだろう。

 お疲れさま。でも、これからが大変なんだろうね。……(つづく)

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