第9話 主役の曲がり角
五月も終わり、例年より少し早めのうっとうしい梅雨に入った頃から、カイの様子がどうもおかしい。春先からの外食メニューも食べ尽くしてしまって飽きたのか、夕食を済ませずに帰宅する日が増えた。もちろん家には夕食など用意されていないし、サラも「出稼ぎ」から戻って来ていないことが多い。一人ぼっちのカイは、冷蔵庫に気に入った物を見つけてそれを食べることもあれば、何も食べずにサラの帰りを待っていることもある。たまにサラはアキと外で待ち合わせ、二人で食事をしてほろ酔い加減で帰って来ることもある。そんな時のカイは仲間外れの気分になっているようだ。これまでカイはサラに付きっきりで世話をしてもらっていたからね。
ボクは主役の座から外れかかっているカイのことが少し心配だ。
梅雨明けの頃になると、カイは学校もそれほど楽しく感じなくなってきたようだ。春先とはどこか顔つきが違う。彼は元々自分から勉強をしたり家事を手伝ったりするタイプではなかったけれど、最近では、家に誰もいないのをいいことに、寄り道をしてこれまでより遅い時間に帰宅する。それからシャワーを浴びて着替えを済ませると、宿題もやらずに、音楽を聴いたり、漫画を読んだり、携帯電話をいじったり。サラが見たらきっと雷を落とすだろうな。
「宿題はやったの?一人でちゃんと勉強やってるよね?」
帰宅したサラがカイにそう聞くと、彼の返事はきまってこうだ。
「ちゃんとやってるよ!」
――カイ、嘘をついちゃいけないよ。
彼がそうやっていくらサラの追及をかわしたところで、勉強に関してアキの目はごまかせない。アキは、カイがろくな勉強をしていないことなどお見通しだ。
「カイ、英語で一般動詞は何を習った?」
「一般動詞はまだこれから……」
「じゃあ、他に動詞は何を習った?」
「………」
カイは「am」や「is」が動詞だとは思っていないのだ。
「幾何は今、どこまでいった?」
「平面図形……」
アキは、それじゃ大雑把過ぎて質問の答えになっていないだろう、と言いたげだ。が、横で聴いているサラの機嫌が悪くなりそうなので、それ以上は突っ込まない。
なぜか、サラはアキがカイを叱っていると、きまって機嫌が悪くなる。そのうち大抵は、アキを脇道に逸れた、別件でとがめ始める。カイもそれに気がついているようで、サラの前ではアキに強く叱られることはないと高を括っている。……
明日から夏休みというこの日――案の定、サラの雷が落ちた。カイが学校から持ち帰った成績表は、目も当てられないような内容だった。おまけに学校から指定された、成績不芳者向けの補修授業の日程が、サッカー部の合宿の日程と重なっている。
「カイ、振り込んじゃった合宿の代金はどうなるの?合宿用に、ってウェアもあんなにたくさん買い込んで……」
サラの怒りは留まる所を知らない。
「何が、『ちゃんとやってるよ!』なの?」
「テストが難しかったんだよ」
「皆はできているじゃない。カイの評点は平均以下――特に、この英語の成績は何なの?」
「英語はやらなかったんだよ」
「今、何て言った?『やらなかった』って聞こえたけど?」
「そうだよ――」
「やっぱり、やってないんじゃない」
「時間がなかったんだよ」
ああ言えば、こう言う――テンポのいい、掛け合い漫才のような二人の会話は聴いていて愉快だけれど、ボクは少し身の危険を感じる。アキ、早く帰って来ておくれ。……
結局、カイは夏休み中、アキの指導に従って学習することとなった。アキはこれを予期していたようで、例によって手際よく学習プランを作り始めた。サラは、アキに任せておけばひと安心、とばかりに、気分よくハイボールをあおっていた。(つづく)
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